第66話 火車とアフタヌーンティー
「火車ですかっ!?」
きつねうどんを啜っていた稗田礼子(ひえだ れいこ)さんが声を張り上げながらガタッと椅子から立ち上がる。少年のように目をキラキラさせて、うどんの器から手を離しもしない姿からは、彼女のテンションの上がりっぷりがダイレクトに伝わってきた。
稗田さんは黒髪ロングストレートの純和風な顔立ちをした美少女で、アメリカの大学を飛び級で卒業した考古学者である。学生服風デザインのパリッとしたスーツを着こなしており、普段からネクタイも締めている姿は実にアカデミック。でも、やってることが完全に夏休みの自由研究なので全然堅苦しさがない。
「そうそうっ! あれはどう見ても火車! 妖怪辞典で見たっ!」
私、虎谷スバル(こたに すばる)も興奮のあまり大声を出してしまう。
私たちの暮らしている巨大女子寮『少女九龍城』にはあらゆる不思議が集まる。お化け、幽霊、妖怪……そんな存在の目撃例も少なくないし、私自身も悪霊に取り憑かれたり、魔法少女になったりと何度も不思議な体験をしてきた。でも、そんな私も今回の火車には度肝を抜かれてしまったのだ。
稗田さんが丸々残っていたおあげを一口で食べきる。
食器返却口にうどんの器を返してから、私と一緒に食堂を飛び出した。
うどん食べたあとにいきなり走ったりして、稗田さん大丈夫かな?
そんな心配は必要なかったらしく、彼女は走りながら私に質問してきた。
「……して、どんな火車でしたか?」
「ちゃんと火を出して、回転しながら進んでたよ。大きさは天井をこすりそうなくらい」
「天井をこすりそう……ということは3メートルはありそうですね。それほど大きなサイズの怪異は少女九龍城でもなかなか見られませんよ! 巨大怪獣が現れたという話は例外中の例外ですが……」
「それにUFOみたいに横回転してるんじゃなくて、ちゃんと車輪らしく縦回転してた。空を飛んでる雰囲気じゃなくて、地面を走ってる感じで……しかも、自動車くらいのスピードは軽く出てたと思う。私、火車の正体は猫又だって聞いたことがあったから、めちゃくちゃ大きいやら猛スピードで走るやらでびっくりしちゃって……」
稗田さんが「うんうん」と細かく相づちを打つ。
ふわふわした私の証言を彼女は論文の発表の如く真剣に聞いてくれていた。
「火車は罪人の死体を地獄へ連れ去る妖怪であると言われています。古来から死臭をかぎ分けると言われ、死と結びついたイメージを与えられた猫……すなわち猫又が正体として考えられたのも自然なことでしょう」
「猫車を押してる猫耳娘とかなら可愛かったのにーっ!」
「猫又以外では、地獄の鬼を正体とする説があります。地獄に落ちた罪人を針地獄とか血の池地獄とかで責めるあの鬼が、火の車を引いて罪人の死体を迎えに来るというものです。ただ、その場合は鬼が荷車を牽いているような見た目になるのですが……」
でも、そんな雰囲気はなかった。
あれは猫耳娘が手で押しているのでも、地獄の鬼が引っ張っているのでもない、火のついた車輪が自立して走っているタイプだった。一番近いのは巨大な車輪に入道の顔がついているゲゲゲの鬼太郎に出てきたやつだろうか? でも、車輪に顔がくっついていたのなら、そんな目立つものを見逃すわけがないし……。
「火車が地獄からの使者であると考えると、少女九龍城に実在する黄泉国との関連性も気になってきます。黄泉国が日本神話由来なのに対して、地獄は仏教由来の概念ですからね。少女九龍城ではあらゆる神話、宗教の世界観が同居している? それなら、まさかキリスト教における地獄(ゲヘナ)に通じている可能性も? そして地獄が存在するなら対を成す天国に辿り着くことだって――」
「あっ!?」
不意に大事なことに気づいて、私の喉から驚きの声が出た。
考察を展開していた稗田さんがびっくりしてこちらに顔を向ける。
「どうしました、虎谷さん?」
「もしかして、火車が現れたってことは死体もあるんじゃ……」
顔から血の気が引いていくのを感じる。
さっきまで小さい子供みたいに頬を赤くしていた稗田さんも、その可能性に気づいた瞬間に顔色がサーッと青くなった。
「そ、それはシンプルにまずいですね。迷子の住人はチズちゃんが見つけてくれるので、まさか死体になってるとは思いませんけど……もしかしたら、どこかの犯罪者が少女九龍城に逃げ込んで野垂れ死んだ可能性があります」
「ふ、普通に警察沙汰ですよねこれっ――あ、この辺りですっ!」
私たちはようやく火車を目撃した場所に到着する。
何の変哲もない木造の屋内廊下だが、そこには明らかな怪異の痕跡が残されていた。
板張りの床は深々と轍が刻まれ、ガスバーナーで炙られたかのように黒く焦げて煙を上げている。天井すれすれに走ったという私の記憶は正しかったようで、天井にも黒焦げの二本線が焼き印を押したかのようにくっきりと刻まれていた。周囲にはガスストーブを急速鎮火したときのような、いやーなにおいが今も漂っている。
「おかしい……」
そんな光景を目の当たりにして、稗田さんが怪訝そうに眉をひそめた。
「床板を踏み抜くほど重い車輪が、火を吹き出しながら走っていたんですよね? 妖怪だからと言われたらそれまでですけど、きっとかなりの騒音だったはず……それなのに虎谷さんしか気づかなかったのは不自然です」
「……確かに!」
私が火車に気づいたのだって、お昼ご飯を食べるために食堂へ向かう途中、ふと妙な気配を感じて様子を見に来たからだった。魔法少女生活を経験して以来、私はこういう直感が働くときがあった。
「それにこの嫌なにおい……ガソリンや軽油のような化石燃料を燃やしたにおいです。古代日本でも燃水などといって石油が産出された例もありますが、妖怪のイメージに結びつくほどメジャーではありませんでした。虎谷さん、これはもしや――」
そのときだった。
インディジョーンズの大岩が転がってくるシーンを思い起こさせるような轟音が廊下の奥の方から鳴り響いてきたかと思うと、ミシンにはめるボビンに似た形をした巨大車輪が特急電車の如き勢いで火を吹き出しながら突っ込んできた。
廊下同士の交わる丁字路に立っていた私たちは反射的に曲がり角へ飛び込んだ。
さっきまで私たちのいた場所を燃える巨大車輪が通過する。
それは妖怪なんてファンタジックな存在ではなく……しかし、ファンタジー世界の存在としか思えない馬鹿げた造形をしていて、その正体に気づいてしまった瞬間、私と稗田さんは同時に絶叫していた。
「「パンジャンドラムだこれーっ!?」」
巨大車輪の向かった先から、アクション映画で聞くような爆発音が聞こえてくる。
どうやら、パンジャンドラムが廊下の突き当たりで大爆発したらしい。
逸話によると真っ直ぐ走ることすら危ぶまれたらしいし、よくもまあ奥が暗くて見えないくらい長く続いている廊下を走りきったものである。
「――ほほう! 日本でも有名になっているのは本当でしたか!」
廊下の曲がり角の向こうから女性の声。
私たちが反射的に振り返ると、パンジャンドラムが走ってきた方向から一人の女性が近寄ってきた。軍服を身につけた西洋人の女性で、つやつやとした黒髪をオールバックにしているのが実に男前。そして何がそんなに楽しいのか、ニッコニコの満面の笑みを浮かべていた。
「日本には一度来てみたかったのです。私の執筆する小説の題材には、日本の歴史と関係深いものもありますからね。生前の過ちを今から正すことはできませんが、やはり自分なりにけじめはつけたいものでして……おや?」
女性の発言は私の耳を右から左へ素通りしていた。
というのも、私の意識は彼女の丸出しになっているレースのパンツに釘付けになってからである。
この女性、上はきっちり軍服を身につけているのに下にはスカートもズボンもストッキングも穿いていない。風呂上がりに半裸でうろうろする住人は数あれど、こんな淑女スタイルで出歩く人間は少女九龍城でも見たことがなかった。唖然とするしかない。
稗田さんの方は完全にドン引きしているようで、ガラスの仮面の亜弓さんみたいな白目になってしまっていた。
「ああ、このスタイルが気になるのですね?」
軍服の女性が恥ずかしげもなく、パンツ一丁の尻をぱんっと叩いた。
「これはウィッチーズ的なアレだと思っていただければ結構。西洋の軍人を日本でよみがえらせるには、このように女体化するのが一番効率がいいのだとか。さしずめ『英国面だから恥ずかしくないもん!』といったところで――」
「ガンド!」
私と稗田さんの間をすり抜けるようにして、背後から光の球が一直線に飛んでくる。
それは軍服の女性に命中する寸前で唐突に消滅した。
否、別方向から飛んできたもう一発の光の球に撃ち落とされたのだ。
「稗田さんも虎谷さんも、ここは私に任せて今は逃げてっ!」
私たちを背中で守るように飛び出してきた二人の少女。
ミカ・カタリナ・ノイマンと彼女の連れであるらしい引きこもりの女の子。
私たちはどうやら、深い事情のある戦いに巻き込まれてしまったらしい。
×
「ああもう……いくら私がド三流だからって、一般人を戦いに巻き込むなんて……」
私、ミカ・カタリナ・ノイマンは自己嫌悪から深いため息をついた。
ドイツからの帰国子女を名乗っている私であるが、正体は日本の魔術協会から送り込まれた見習い魔術師である。少女九龍城に隠されているマジカルアイテム『聖杯のかけら』を巡って世界各国のライバルと戦うことになってしまったのが運の尽き。おそらく目の前にいる奇抜な格好をした女性は、他国の魔術協会から送り込まれてきた召喚主(マスター)が呼び出した偉人の幻霊(ファントム)なのだろう。
「た、戦いはあの一回限りだと思ったのに……」
私の隣にいるしょんぼり顔の金髪ロリもファントムである。
魔術師(キャスター)のクラス。
真名はシカゴのアウトサイダーアーティストこと、ヘンリー・ジョセフ・ダーガー。
しかして分厚い著書を抱えてぶるぶる震えている姿は、どこからどう見てもお化け屋敷か予防接種に連れてこられた女子小学生である。これでも敵対ファントムを追い払えるくらいの強力な宝具を持っているのだが、詠唱に時間が掛かるのが玉に瑕……というか接近戦が苦手なキャスターにとっては致命的だ。
稗田さんと虎谷さんが帰るのを待ってくれていたのか、軍服女性の背後から一人の少女がタイミングを見計らったかのように姿を現した。
ユニオンジャック柄のパーカーを身につけた10代半ばとおぼしき西洋人だ。パーカーの下には日曜朝に放映されている女児向けアニメのTシャツを恥ずかしげもなく着ている。これででっぷり太っていたりしたら海外アニメオタクそのものなのだが、これまた目が覚めるような美少女なのだった。
妙なのはこんな戦いの最中なのに、わざわざティーポットとティーカップで紅茶を飲んでいることである。アニメオタク紅茶好きの美少女魔術師なんて、世界広しといえども目の前のこいつくらいしかいない。ボブカットにしている淡いワインレッド色の髪も、なんだか紅茶色に見えてきてしまう。
「私のアーチャーの攻撃からよく逃げ回れるものデース。いくら真っ直ぐに走らない失敗兵器といったって、爆発力はかなりのものだと思うのデスが……」
「いやはや、失敗兵器とは手厳しい。改良の余地はまだまだあると思いますよ? いつかはパンジャンドラムもAIで動いたり、ものをつかんで運んだり、空を飛んだりできるようになりますからね?」
「そ、それはないと思うデスが……」
そんなことはともかく、と美少女魔術師が紅茶を一口。
冷静に考えて、こいつバトル中に紅茶飲んでるとかなんなの?
「変なタイミングになってしまった感じデスが、改めて名乗らせていただくデス。私はロンドン魔術協会所属の魔術師、ルイーズ・ダブルイール。本当はアキバでオタ活するつもりで日本に来たんデスが、なんか師匠から日本の魔術師と戦えと言われて……とにかく、地下アイドルの握手会に行かなくちゃいけないので、さっさと勝負をつけたいところデス」
「こっちも日本魔術協会のメンツがかかってるんでね、悪いけど簡単にはやられないよ」
と言ってみたものの、ハッキリ言って戦いは完全にこちらの不利である。
なにしろロンドンのルイーズといったら、古くから魔術を研究してきた英国貴族の血筋にして、イギリス魔術協会の若手ナンバー1だ。私の魔力を1としたら、彼女の魔力は200くらいある。彼女が気取ってアフタヌーンティーを楽しんでいなければ、今頃は攻撃魔法をぶつけられて終わっていた。
それに私たちがドンパチしていても他の住人に気づかれないように、そして少女九龍城に侵入してきたマスターを撃退できるように展開しておいた魔術結界も、残念ながらルイーズにあっさりと破られてしまった。そのせいで魔術結界の隠蔽能力が低下して、虎谷さんと稗田さんを巻き込んでしまった次第である。
「相手はアーチャーですか……ううう……すでに負けてる感が……」
キャスターは相変わらずビクビクしている。
覚え立てのパソコンで小説の挿絵をコラージュしていたところに突然パンジャンドラムが突っ込んできて大爆発を起こしたらそうもなろう。不発弾かと思うくらい爆発に遅延があって逃げられたからよかったものの、私なんて一張羅のライダースジャケットの背中を丸焦げにされてしまった。
「落ち着いて、キャスター。相手の正体は分かってるよ」
私は彼女の背中を優しくぽんぽんした。
「アーチャーの真名はネビル・シュート。パンジャンドラムの開発者ね。小説家としても活動しているから、あなたと同じ文化人キャスター枠かと思ったけど、まさかパンジャンドラムを発射するからアーチャーとして召喚されるなんて……ともかく、軍人の格好をしてるけど実際は技術者だから、肉体的な強さはあくまで人並みってわけ」
「でも、私よりは強いですよね?」
それはローティーンの女の子と成人女性を比べたら、まぁ……。
「廻れ、運命の車輪!」
アーチャーが高らかに詠唱する。
瞬間、彼女の目の前に直径3メートルの巨大車輪が出現した。
「ぱんころ~っ!」
気の抜けるようなアーチャーの号令。
取り付けられた小型ロケットが火を吹き、パンジャンドラムが私たち目がけて走り出す。
「とりあえず退却!」
「で、で、で、ですねっ!」
私とキャスターはきびすを返して一目散に駆けだした。
パンジャンドラムが加速しきらないうちに脇道へ逃げ込み、そのまま少女九龍城の迷路構造を利用してひたすら逃げる。
どうやら真っ直ぐにしか転がれないというパンジャンドラムの欠点は変わらないらしい。行き止まりにさえ追い詰められなければ避けること自体は簡単だ。
しかし、こちらから攻撃を仕掛けるのもなかなか難しい。キャスターの宝具『非現実の王国の七姉妹(レルムス・オブ・アンリアル・ヴィヴィアンシスターズ)』の射程は20~30メートルくらいがいいところで、詠唱も長いから敵に察知されやすい。
前回の菖蒲川星光(あやめがわ すたーらいと)と同じくらいルイーズをへろへろにさせることができたら、その隙を突いて宝具を撃ち込めるかもしれないけれど……。
「あのルイーズさんて人、なんであんなに元気なんでしょう?」
「うーん、確かに変だよね」
魔術の才能がある魔術師ほど、少女九龍城を漂う濃厚な魔力にあてられて魔力酔いにかかりやすい。前回のスターライトなんてまともに歩けないほどふらふらになっていた。ルイーズだって同じくらい苦しんでいなければおかしい。アキバに行くついでにここへ来たという口ぶりからして、あらかじめ濃い魔力に体を慣らしていた線も考えられない。
「……となると、怪しいのは紅茶か」
「た、確かに紅茶を飲みながら戦っているのは怪しいですけど……」
「いや、紅茶を飲みながら戦ってるのが怪しいのは当然として、飲んでいる紅茶そのものも怪しいって話ね」
ロンドン魔術協会には『無限に紅茶が出てくるティーポット』なる魔道具があるらしい。ルイーズが持っているのがまさにそれだろう。紅茶の中には魔力酔いを緩和する成分が含まれているに違いない。そして、紅茶大好きイギリス人というステレオタイプを利用して、戦闘中に紅茶を飲んでいても不自然にならないようにしているのだ。
改めて考えてみると、ルイーズが積極的に攻撃してこないのも、紅茶を飲んで魔力酔いを緩和するので精一杯だからなのかもしれない。余裕ぶっているように見せかけて実は限界ギリギリだというのなら、こちらにだって勝機はある。
「……よし、マスターを狙おう」
「ど、どうするんです!? 私、不意打ちできるような武器とか持ってないですけど……」
「キャスターは焦らなくて大丈夫。こんなこともあろうかと手は打ってあるからさ」
「ほえ? いつの間に?」
キャスターが自著の続編を書いている間に、である。
私が展開したへっぽこ魔術結界が破られるなど想定内だ。
少し離れた場所……おそらく部屋を3つ4つ挟んだあたりから爆発音が聞こえてくる。
先ほどから少しずつ爆発音が近づいてきていた。ルイーズほどの実力者なら、わずかな魔力の痕跡から私たちを追跡するなんて朝飯前だろう。このまま逃げ回って彼女の膀胱が限界に達するのを待ってもいいけど、それでは少女九龍城の至る所が爆破されてしまう。動き出すなら今すぐだ。
「この辺にいるのは分かってるデス! 諦めてパンジャンドラムの錆になるデース!」
ルイーズにはやはりお見通しらしい。
アーチャーのやたら楽しそうな笑い声も聞こえてきた。
「キャスター、ここで宝具を使って!」
「ふえっ!? と、と、届きませんよ、射程的にっ!?」
「破れかぶれになってると思わせるためだから届かなくて平気」
「な、なるほど……では参ります」
キャスターが胸に抱えていた分厚い本を開くと、本のページが周囲に展開された。
おどおどとしていた彼女の横顔が急に様になる。
それはすでにいっぱしの魔術師の顔になっていた。
「我は少女の守護者なり。我は善き国の将軍なり。善き国の兵士たちよ、七人の少女戦士たちよ。血の雨を晴らし、悪しき帝国を退けよ。現実に非ずして現実、実在に非ずして実在。物語のくびきから解き放たれ、我が元に集え……非現実の王国の七姉妹(レルムス・オブ・アンリアル・ヴィヴィアンシスターズ)!!」
空中に展開された本のページから黄金の光が放たれて、その光の中から子供服に身を包んだ7人の少女たちが飛び出してきた。
少女九龍城の住人たちの姿を借りたヴィヴィアンシスターズを皮切りにして、思い思いの武器を持った無数の少女たちも本のページから出現する。
私たちの隠れていた部屋から怒濤の勢いで飛び出していった少女たちだったが、わいわいきゃっきゃと大騒ぎしながら走って行くと、そのまま廊下をしばらく走った先でスーッと姿を消してしまった。
「はぁ……ヴィヴィアンガールズ、今日もかわいしゅぎる……」
「はいはい、とりあえず霊体化して隠れておいてね」
うっとりしているキャスターを急かして、透明になって隠れてもらう。
私はそそくさと部屋から廊下に出ると、廊下の片隅になぜか置かれている古いタイプの郵便ポストの影に隠れた。
それから1分も経たないうちに、廊下からルイーズとアーチャーがやってきた。ルイーズは相変わらず、ほとんど間を置かずに紅茶を飲み続けている。こちらとの距離は30メートル、20メートル、10メートル……今のところ私たちの存在はバレることなく、こちらに近づいてきてくれていた。
「さっきの宝具はなんだったんでしょうかね、マスター?」
「私たちが近くにいると予想してのぶっぱなし……なんてマネをするほどバカな相手ではないはずデース。なにしろ相手はあのスターライト・アヤメガワを倒してるデスから。おそらくは部屋の中へ誘い込むのが目的……ないしはこの廊下で奇襲を仕掛けるとか」
「となると、あのポストのあたりが怪しいんじゃないですかな?」
「先ほどの宝具のせいでそこら中に魔力の残滓がとっちらかってるデスね……」
ルイーズとアーチャーが部屋の出入り口よりもやや手前で立ち止まる。
そして郵便ポストを警戒しながら、部屋の中をゆっくりと覗き込んだ。
その位置、ドンピシャ!
これでもくらえ――と心の中で叫びながら、私は郵便ポストに隠されたレバーを引く。
瞬間ルイーズの頭上、すすけた天井が音もなく開いたかと思うと、昭和のコント番組に登場するような金だらいが垂直落下してきた。
「へぶっ!?」
ルイーズの脳天に金だらいが命中して、彼女は美少女らしからぬうめき声を漏らした。
左右の手に握られていたティーカップとティーポットが床に落ち、派手な音を立ててバラバラに砕け散る。
「ジーザスッ!!」
ルイーズの口から反射的に母国語が飛び出す。
紅茶が飲めなくなった効果はすぐに出た。
「お、お、おおおおお……」
「大丈夫ですか、マスターっ!?」
斜めに傾いだルイーズの体をとっさにアーチャーが支える。
ルイーズの顔は一瞬のうちに青ざめ、さっきまで飲んでいた紅茶を吹き出しそうな有様になっていた。
「ま、魔力酔いにやられたデース……それに尿意もそろそろ限界……」
「ああもう、あんなに余裕ぶって戦ったりするから……私にもっとパンジャンドラムを大量召喚するように言えばよかったのです。戦争と恋愛に手段を問わないのが、我々イギリス人のモットーだったのでは?」
「ロンドンのエリート魔術師である私がマジになって勝ったところで、師匠にはエリートらしくないと満足してもらえないデスよ。ここがニンジャ屋敷であることを見抜けなかった私の不覚……それにいくらなんでも、人の住んでる場所でパンジャンドラムの乱れ撃ちはできないデスよ。もう十分に壊してしまってる気もするデスが……」
勝負あったと判断して、私は郵便ポストの影から出る。
この天井に仕掛けられた金だらいトラップは、かつての住人が悪ふざけで設置したらしきものだ。ここ一帯を私の魔術結界で囲むにあたり、住人仲間の加納千鶴(かのう ちづる)さんから詳細な地図を貸してもらい、敵マスター撃退に使えそうなロケーションを頭に叩き込んでおいたのである。
キャスターも霊体化を解いて姿を現す。
それから、不安そうに私の袖をギュッと握りしめた。
「いつかリベンジさせていただくデスよ、ミカ・カタリナ・ノイマン」
ルイーズが青白い顔をしながらも強気に笑う。
私はそこにエリート魔術師として、そして英国貴族としての誇りを垣間見た。彼女は確かに余裕そうな態度を貫いていたけど、少なくとも私やキャスターを小馬鹿にした態度は取らなかった。その辺、前回突っかかってきたやつとは大違いである。
「ま、体調が戻ったらアキバ観光を楽しんでよ」
それはどうも、という感じにルイーズが手を上げる。
声も出ないようではいよいよ体調がヤバいらしい。
「よし、それでは……廻れ、運命の車輪!」
アーチャーが唐突にパンジャンドラムを召喚する。
命令したわけでもないので、ルイーズが巨大車輪をぽかんとした顔で見上げた。
「ア、アーチャー? どうしてこんなタイミングでパンジャンドラムを?」
「ははっ! そんなのパンジャンドラムに乗って帰るために決まってるではないですか!」
「えっ――」
パンジャンドラムの車軸には子供が二人くらい乗れそうなブランコがぶら下がっていた。
アーチャーはルイーズを抱き上げると、小さな子供をひざの上に乗せるようにして、重量オーバーギリギリのブランコに乗った。
「え、ちょっ……ユー、キディング!? おい、バカ、やめろっ!!」
流石に命の危険を感じたのか、外国人キャラ口調が崩れるルイーズ。
アーチャーは「またどこかで!」と和やかに手を振ると、パンジャンドラムを猛スピードで発進させた。
「ぱんころ~っ!」
「ファッキン、ジーザス……ノォオオオオオオオオオオオオッ!!」
ルイーズの絶叫が少女九龍城にこだまする。
パンジャンドラムは真っ赤な炎と真っ黒な煙を吐き出しながら、廊下の奥の奥、私たちの視界の届かない暗がりの先へ姿を消した。爆発音は聞こえてこないから、壁にぶつからないでちゃんと走っているのだろう。もしかしたら、本当は操縦できるのかもしれない。
「キャスター、ありがとう。今回もお疲れさま」
「ふへっ!? い、いやぁ……えへへ……今日はあんまり活躍できなかったような……」
嬉しがっているのか恥ずかしがっているのか、キャスターの色白の頬が食べ頃の林檎みたいに赤くなる。
いやホント、リアクションが完全に女の子だよね? まあ、本人が「元から女の子として生まれてきたような気分」って言ってたし、ほとんど同棲しているような生活をしているので最近はもう気にならなくなってきたけどね。
「殴り合って勝たなくちゃいけないルールなんてないんだし、楽に勝てるに越したことはないんじゃん? さっさと戻って爆破された部屋の片付けでもしよう」
「よーし、私の城を取り戻すぞ~っ! な、なーんて気合いを入れてみたりして……」
がっくり落ち込むかと思いきや、ふんすふんすと鼻息を荒くするキャスター。
やる気満々の彼女を目にして、私はちょっぴり安心した。
さて、パンジャンドラムにそこら中を爆破されたわけだけど……修理費、私に請求されたりしないよね?
×
ショベルカーの稼働する重低音が鳴り響いている。
作業着とハーネスと黄色いヘルメットを身につけた女性たちが、パンジャンドラムで爆破された建物の解体をしている真っ最中だ。女性作業員たちは住人仲間の西園寺香澄(さいおんじ かすみ)さんが社長を務める建設会社の社員で、多くは少女九龍城のOBであるらしい。動きはテキパキとしていて実にエネルギッシュだ。私も魔術協会をクビになったら、西園寺さんの会社で雇ってもらおうかな?
西園寺さん自身も黄色いヘルメットをかぶり、嬉しそうに作業風景を監督している。
そんな彼女の隣に立って、私も気持ちの良い光景に見入っていた。
「本当に嬉しそうですね、西園寺さん」
「ええ、それはもう。実のところ、少女九龍城を魔改造できる口実を探していたのです」
「ははぁ、そうやって少女九龍城は複雑化していったと……」
では、私もその複雑化に一役買うことにしよう。
「西園寺さん、これが例のものです」
私は一冊のスケッチブックを西園寺さんに手渡す。
スケッチブックに描かれているのはキャスター直筆の建物デザイン案だ。
それは古今東西の有名建築物をでたらめにコラージュした代物で、逆さまになったピラミッドにおまけ感覚で乱立しているエッフェル塔、コンクリート剥き出しのデザイナーズマンション風と日本の城が悪魔合体、ヘンゼルとグレーテルが迷い込んだお菓子の家にディズニーランドから引っこ抜いてきたシンデレラ城……しかも、それらは独自のアートセンスで極彩色に塗り上げられていた。
奇抜すぎるデザインアートを目にした西園寺さんは、
「いい! いいです! 素晴らしいです! 作りがいがあります!」
クリスマスプレゼントを渡された子供みたいに一瞬にして心をわしづかみにされていた。
私は悪い越後屋みたいな顔をして提案した。
「それで私からも提案があるんですが、この建物を忍者屋敷ばりのトラップまみれにしていただけませんか?」
「ふふふ、なにやら込み入った事情があるようですね。もちろんOKです」
理由も聞かずに即採用してくれるとは……ナチュラルボーンお嬢様らしい余裕というか、少女九龍城の住人らしい尖ったセンスの持ち主というか。どんな建造物ができるのかちょっぴりワクワクしている私も、すっかり彼女の同類と言っていいだろう。
ともあれ、ここに忍者屋敷ができあがったなら敵対マスターを撃退するのに役立ってくれるだろう。魔術の実力で勝てないなら地の利で勝つ。まあ、一番いいのは私がさっさと聖杯のかけらを見つけて日本魔術協会に持ち帰ることなんだけど……。
「どうしてネビル・シュートの幽霊が日本に……しかも少女九龍城に出現を……サブカルチャーとしてのパンジャンドラムが日本で人気だから? 何者かが降霊術で呼び出した? いや、全ては私と虎谷さんの見た幻覚……集団パニック……」
ぶつぶつ呟いている稗田さんの声が聞こえてくる。
私たちから少し離れた場所で彼女も工事現場を眺めていた。
魔術を一般人に知られてはいけない(魔術が公になると効力が落ちるから)都合上、私は稗田さんと虎谷さんに記憶を消す魔術をかけなくてはいけなかった。
本当は綺麗さっぱり忘れてもらうべきなのだが、私の実力不足で『ネビル・シュートの幽霊とパンジャンドラムのお化けを見た』という変な部分だけ記憶が残ってしまったらしい。そんな変な記憶のせいで真剣に悩んでいる稗田さんを見ていると流石の私も罪悪感が湧いてくる。
「稗田さん、その……なんか疲れてるみたいだから奢るよ……」
目がぐるぐるになっている稗田さんの肩をぽんぽんする。
振り返った彼女は聖人を見るような眼差しを私に向けた。
ううっ……罪悪感がすごい!
「なんだか心配させちゃったみたいで……今日はお言葉に甘えさせていただきます」
私は稗田さんを連れ立って工事現場をあとにする。
せっかくだから虎谷さんも誘おう。ネビル・シュートとパンジャンドラムの悪夢に悩まされるタイプとは思えないけど、聖杯のかけら争奪戦に巻き込まれてしまったお詫びだ。
それからしばらくの間、住人たちの間で『ネビル・シュートの幽霊とパンジャンドラムのお化け』の噂が流れた。パンジャンドラムを完成させられなかったネビル・シュートの怨念が日本に流れ着き、少女九龍城のどこかで夜な夜なパンジャンドラムを走らせてるのだとか……やめてやめて、そういう噂って大抵実体化しちゃうから!
(おしまい)
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