第14話 彼の名は


 ホームの端に立った私の目に多摩川の水面みなもが映る。

 電車の中からは「希望の光」といった印象を持ったけれど、水位が上がって流れが速くなっている様子は、おどろおどろしささえ感じられる。


『ウォンスさん、小百合です。多摩川の脇にいます。どうすればいいですか?』


 スマホを取り出して素早くメールを打った。すぐにウォンスから返事が返ってくる。


『小百合さん、ありがとう。無理を言ってごめん。時間がない。小百合さんにサヨナラを言わなければならない』


 ショッキングな内容ではあったけれど、私にとっては「想定の範囲内」だった。

 ウォンスはもともと韓国の人。いつか帰国するときが来る。遅かれ早かれ、そんな台詞を言われることを覚悟していた。


 私がウォンスと会うことに拘ったのは、彼が母国に帰っても私のことを忘れないよう、二人の間にきずなを作っておきたかったから。お互いの温もりを感じることで繋がりがより深いものになると思ったから。


『私はあなたのことを理解しているつもりです。サヨナラを言われることも覚悟していました。ただ、一つお願いがあります。一瞬でもいい。あなたの温もりを感じたい。私のわがままを聞いてください。お願いします』


 正直な気持ちをメールに込めて送信した。


 駅のホームはたくさんの人で溢れかえっている。カップルやファミリーのほか、一人で携帯やスマホを眺めている男性も何人かいる。

 遠目に眺めていた私は、ウォンスがいないかどうかを確認しようと、ホームの中心に向かって足を踏み出した――そのとき、スマホの着信音が鳴る。


『僕も小百合さんのことを抱きしめたい。でも、無理みたいだ。僕はもうすぐいなくなる。小百合さんにはもう会えない。小百合さんのことは絶対に忘れない』


 思わず息を呑んだ。今回の別れが「永遠の別れ」となるような書きぶりだったから。

 スマホを持つ手が震えた。それは瞬時に頭のてっ辺から足のつま先まで広がっていく。立っていられなくなった私は、フェンスの網をつかんで身体を支えながら、震える手で必死にメールを打った。


『どうして一生のお別れみたいなことを言うの? あなたのことを諦めるなんてできない。私のこと嫌いになったの? 悪いところがあったなら謝ります。言ってもらえばすぐに直します。だから、サヨナラなんて言わないで』


 スマホの画面がにじんでいる。打った文字がぼやけて確認できない。でも、そんなのお構いなしに送信ボタンを押した。表示されたのはおそらく「送信完了」の四文字。


 ウォンスからの返信を待つ時間がとてつもなく長く感じられた。


 突然スマホを手にした男性が近づいてきて「小百合さん、こんにちは。少し冗談が過ぎたね。ごめん。ごめん」と話し掛けてくる場面を期待した。

 でも、そんな恋愛ドラマのような、ご都合主義の出来事が起こるはずなどなかった。


「二度と会うことができないのなら、なぜ私に多摩川の駅で電車を降りるように言ったの? 電車に乗っていてもメールのやりとりはできたはず」


 涙ながらに、やり切れない思いを口にした。すると、再び着信音が鳴る。


『小百合さんのことを嫌いになるなんてあり得ない。大好きです。できれば僕もサヨナラなんてしたくない。でも、暑すぎる』


 返信メールに「大好き」の三文字を見た瞬間、やりきれない気持ちで胸が押しつぶされそうになった。お互い好きなのにサヨナラしなければならないなんて納得できなかった。

 すぐにメールを返した。すると、ウォンスから返事が送られてくる。そんなチャットのようなメールのやり取りを何回か繰り返しているうちに、少しずつ状況が見えてきた。


『暑いってどういうこと? 意味がわからない。私はあなたのことが好き。あなたなしでは生きていけない。私はあなたに会いに行く。だからサヨナラなんて言わないで』


『二月十四日に日本に来たときは、こんなに長くいられるとは思わなかった。でも、小百合さんが願ってくれたから、僕はここにとどまることができた。あの夜、小百合さんの思いが僕に届いた。そんな思いをエネルギーに変えて僕は大雪を降らせることができた。そして、小百合さんが望んだ世界を作ることができた』


『雪を降らせた? あの世界を作ったのはあなただっていうの? 嘘でしょ? あなたは韓国の大統領の関係者じゃないの? 私が思っていた人じゃないの?』


『小百合さんが思っていた人とは違う。僕にできることと言えば、人間の女の子の思いをエネルギーにして雪を降らせることぐらい。でも、普段の僕にそんな力はない。それは奇跡みたいなもの。今にも壊れてしまいそうな、その子のことが放っておけなくて、何かしてあげたいと思った。僕の気持ちがその子の思いとシンクロしたんだ。

 空気中には無数の電磁波が走っている。僕は自分の考えたことを電磁信号に変換して電磁波に乗せてその子に送った。そんなことができたのも奇跡としか言いようがない。その子が、小百合さんが奇跡を起こしてくれた。僕の名はWONSウォンス


 私はすべてを理解した。

 驚かなかったと言えば嘘になる。でも、そんなの取るに足りないことだと思った。

 ウォンスは私のことをとても大切に思ってくれた。そして、大きな幸せを私に与えてくれた――そんな人は今まで誰一人としていなかった。


『あなたは人間じゃない。でも、私の気持ちは変わらない。WONS、あなたがSNOWだって私は構わない』



 つづく

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