ほどくひと⑥ ~彼女より~

 直接依頼を受けて千羽鶴をつくろう――そう思ったのは、昨年の5月頃のことです。

 3月末で農協を退職し、糸が切れたようにアパートで無気力な生活を送ること1か月。新潟のNPO法人に寄付する鶴は制作していたものの、仕事は見つかっていませんでした。

 堀越店長からお話を頂きました。

「みづきちゃん、手先が器用だよね? お願いしたいことがあるんだけど」

 それが千羽鶴の依頼でした。

 堀越店長の奥様は、デイサービスの生活相談員をされています。

 そのデイサービスが、社会福祉協議会の広報誌に取り上げられることになり、取材を受けました。

 しかし、写真を撮り直すことになってしまったのです。

 理由は、デイルームが殺風景だから。

 写真はカラーで掲載されることが決まっていました。

 デイサービス自体が新しい建物だったためか、写真に収めるとモノトーンで、生活感が失われてしまったのだそうです。

 ご利用者様の作品は飾っているそうですが、目立つものではないそうです。

 写真の撮り直しは、一週間後。それまでに何か飾りをつくってほしいとお願いされました。

 そこで思いついたのが千羽鶴でした。カラフルで大きなものがあれば、写真が引き締まると思ったからです。

 堀越店長を介して奥様から許可を頂き、千羽鶴を制作しました。

 少しは折鶴をストックしていたものの、6日間で1000羽折って糸に綴るのは容易ではありません。

 寝食を削って千羽鶴に打ち込みました。

 奥様は気に入って下さるでしょうか。デイサービスのご利用者様は。職員さんは、社協の担当者様は……そんなことを考えながら。

 少しだけ、彼のことを思い出しました。同じ高校に通っていた彼。初めて制作した千羽鶴をもらってくれた人です。でも、不埒な想像は頭から追い払いました。

 6日間、へろへろになってまで制作した千羽鶴は、好評でした。

 奥様も職員さんも「すごい! 売り物にできるレベルだよ」ともったいないお言葉を下さいました。

 再び撮った写真も掲載許可がおりたそうです。

 何より、ご利用者様がお喜びになったそうです。

 それらを聞きまして、また千羽鶴をつくりたいと思うようになりました。

 千羽鶴を必要としてくれる人がいるのなら、千羽鶴で誰かが笑顔になってくれるのなら、もしも千羽鶴が活力になるのなら、私は喜んで千羽鶴を承ります。



 ……また長々と語ってしまいました。申し訳ありません。



 2月4日を過ぎますと、暦の上では春のようです。

 でも実際は、まだまだ冬です。

 2月半ばになっても、冬物のコートが手離せません。

 休日なのを良いことに、セーターの上にダッフルコートを着て、午前中からお出かけします。

 目的地は、世界文化遺産「高山社跡」。

 ひとりで見学します。

 彼には内緒です。

 知られれも困ることはないのですが、内緒にしてひとりで行きます。

 常に平常心でいなければならないことはわかっています。

 腹は立てません。

 でも私はすねています、多分。



 「高山社跡」は、藤岡市高山地区にあります、2階建ての養蚕農家の建物です。

 群馬と埼玉の一部には、独特の養蚕農家の建物が残っています。

 「やぐら」と呼ばれる出窓のような窓が2階の屋根についているのです。

 「高山社跡」にも「やぐら」がついています。「やぐら」を開けたり閉めたりすることで室内の空気を入れ換え、温度や湿度を調節したのだそうです。

 そのようにして蚕の育成法「清温育」を研究したのが、高山長五郎という人です。

 この人が「高山社」という養蚕の研究機関をつくり、養蚕の指導者の育成にも力を入れました。

 この功績が認められ、「高山社跡」は「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の一部として登録されました。

 ……すみません。彼の受け売りです。

 彼は目をきらきらさせて語ってくれました。

 彼のこういうところが恰好良いです。

 彼の見ている世界遺産は、きらきら輝く宝物なのでしょう。



 「高山社跡」のボランティアガイドのかたは、熱心に説明をしてくれます。ガイドさんにとっても、「高山社跡」は宝物のようです。

 ここは平成の世になっても普通に人が住んでいたのだそうです。

 古い建物なのに新しい引き戸がありまして、興味本位で開けてしまいました。

 そこはユニットバスでした。新しいです。まだ使えそうです。

 1階は住居、2階は養蚕室となっています。

 ここに住んでいたかたは、この建物を価値の詰まったものだと大切に管理していたのでしょう。今は藤岡市の管理になりました。個人から市へ、保存と継承のバトンのつなぎかたが素敵だと思いました。

 2階の養蚕室にしゃがみ込んで屋根裏を見上げますと、字が書かれた部分があります。

 「落書き」と言われる部分です。

 高山社で学んでいた沖縄出身の人が、帰郷する前に、自分がここにいたことを書き残したのだそうです。

 トイレにも落書きがあるらしいですが、見ることができませんでした。

 自分がここにいたことを残したい……そのくらい、高山社での学びが実りあるものだったのでしょう。



 彼に愚かな質問をしたことがあります。

 「世界遺産の魅力は?」と。

 彼は「待ってました」とばかりに語ってくれました。

 彼にとって世界遺産の魅力とは、「ユネスコのブランドりょく」だそうです。



 世界遺産とは、ユネスコ総会で採択された世界遺産条約に基づいて「世界遺産リスト」に記載された、「顕著な普遍的価値」を有する自然や生態系保存地域、記念建造物、遺跡のことです。

 世界遺産を決めるのはユネスコ、保護や保全活動を行うのは国や自治体なのだそうです。

 ユネスコは、「世界遺産」という、人の良心に訴えかける良いブランドをつくったのですね。

 世界遺産イコール守りたいもの、という意識は、多くの人々の中に根づいています。私もそのひとりです。



 ところで彼は、仕事が決まりました。

 新年度から、富岡市の市立図書館の臨時職員として勤務するそうです。

 市の職員みたいなものです。

 「じゃあ、お約束の高山社跡に行きませんか」とお話しましたら、「まだ公務員になっていないから」と断られてしまいました。

 腹を立ててはいけません。約束を破ろうとした私が悪いのです。

 だから私は、自己嫌悪ですねています。

 私は傲慢です。

 我が儘です。

 でも、彼に謝ろうと思います。

 今日は新田先生に千羽鶴を渡す日です。

 もしかしたら、彼も来てくれるかもしれません。



 待ち合わせは15時。堀越店長のお店です。

 一度帰宅しましたが、いてもたってもいられず、千羽鶴を持って14時前にアパートを出ます。

 横断歩道の前で青信号になるのを待っていましたら、スマートフォンが鳴りました。

 新田先生からです。

『花村さん!』

 新田先生は息を切らせているようです。

 目の前の信号は青になりました。人々は横断歩道を渡り始めます。

 私も人の波に押されて渡り始めてしまいます。

 顔を上げると、ダークグレーのコートが目につきました。

 着ているのは、中学生くらいの男の子です。不安そうにきょろきょろしています。

 小さいと思っていましたが、私よりは大きいです。私が小さいだけです。

『花村さん、ごめん! 千羽鶴、延期にしても平気?』

「……平気ですけど」

 横断歩道を渡り終え、邪魔にならないところで止まります。

『良かった! また改めて連絡します』

 キャンセルでなければ平気です。お店に行く前に連絡を頂けて良かったのです。

『それと、もしも中学生くらいの男の子を見つけたら教えてほしいんだ』

「中学生くらいの男の子、ですか」

『身長は160センチに満たないくらい。グレーのコートを着て、自信がない感じの子。名前は、ニッタカイト。“ほどくひと”と書いて、カイト』

「え、先生……?」

 何があったのか訊くのは野暮というものです。

 でも、あの慌てようだと事情を聞いた方が良いかもしれません。

 しかし、電話はすでに切られていました。



 思い当たる節がありまして、私は再び横断歩道を戻ります。

 身長160cmに満たない、グレーのコート、自信がない感じ……先程すれ違った男の子の特徴と、一致するのです。

 滅多に当たらない勘を頼りに、上信電鉄の上州富岡駅へ向かいます。

 観光客らしい集団に紛れて、ダークグレーのコートが見えました。

 身長は高くないです。後ろ姿は男の子に見えます。

 声をかけようか迷ったとき、男の子は転んでしまいました。奇しくも、私が以前転んだポイントです。

 チャンスです。駆け寄るのです。

 男の子は転んだ拍子に、コートの中身を落としてしまいました。

 きっちり折り畳まれた富岡製糸場のパンフレット、小銭入れ、生徒手帳……勝手に生徒手帳を見ます。

 持ち主の名前は「新田解人」。証明写真に写るのは、目の前の男の子です。



 “ほどくひと”と書いて、解人カイト

 新田先生が捜していたのは、この男の子で間違いありません。

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