ほどくひと④ ~彼女より~

 気がつけば、1月は半分も過ぎています。

 ついこの間までお正月だと思っていましたが、もうお正月気分ではいられません。

 「chouchouシュシュ」では、バレンタインデー関連や春物も少しずつ扱い始めました。



 今日は珍しく、雨が降っています。

 一か月ぶりかもしれません。

 小雨ですが、恵みの雨です。

 ベランダで育てているかぶは、もう少し大きくなってくれるでしょう。

 大きくなるのが待ち切れずに一度収穫してしまいました。

 今は、また生長するのを待っています。

 それにしても、今日は冷えます。



 最近良いことがありました。

 彼は卒業論文を大学に提出し、富岡に引っ越してきたのです。

 アパートは少々離れていますが、高崎と富岡を行き来していたときよりは会いやすくなりました。

 それに昨日、陶芸のマグカップが届きました。

 11月に藤岡で陶芸体験をさせて頂いたときのものです。

 彼は「茶そば釉」、私は「萩釉」をかけてもらい、形は似ていても印象の異なる作品になりました。

 彼に連絡しましたが、まだ返事が来ません。

 仕事の前にメッセージを送ったので、朝早過ぎて見ていないのかもしれません。



 16時に仕事が終わりまして、スマートフォンを見ますと、メッセージが2件来ていました。

 1件は、彼から。30分前に受信しています。

 堀越店長のお店にいるから仕事終わりに会えないか、という内容です。

 行く旨をお伝えしました。

 もう1件は、堀越店長から。つい5分前です。



『千羽鶴の依頼あり。本人様来ています。待てるそうですが、どうしますか?』



 それにも「伺います」と返信して、一度帰宅します。

 車をアパートの駐車場に置いて、堀越店長の喫茶店へ徒歩で向かいます。

 雨はもう、ほとんど降っていません。



 喫茶店の扉を開けようとしたとき、ふと思い出しました。

 8月のある日。

 千羽鶴の依頼があってお店を訪ねたとき。

 今のように扉を開けようとして、ガラスに映る彼が見えたのです。

 3年半ぶりだったのに、彼だとわかりました。

 彼も私だと気づいていたらしいです。



 お店に入りますと、テーブル席に彼の姿を見つけました。

 彼の向かいには、誰かいます。多分、私の知っている男の人です。

 知っている、などというものではありません。

 とてもお世話になりまして、迷惑をかけてしまいましたから。

 男の人は私に気づくと、わざわざ立ってくれました。

 背は高くありませんが、鼻梁の整った人です。

「久しぶりです……花村さん」

 清涼感のあるテノールボイスです。

 間違いありません。この人と同じテーブルに彼がいるのも頷けます。

「ご無沙汰しています、新田先生」

 当時は、コンタクトレンズをつけていると言っていました。今は、度の強そうな眼鏡です。

 この男の人は、高校でお世話になった新田泰輔先生です。



 大変気まずいです。

 私なんかに、新田先生に気安く話しかける資格はありません。

 事務的に千羽鶴の要望を聞き、1か月後の土曜日にお渡しする約束をしました。

 千羽鶴の話が終わりますと、新田先生は私達を見て、にこりと笑います。

 珍しいです。新田先生が笑うなんて。

「お似合いだと思っていたけれど、本当につき合っていたとはね」

 彼は「やっぱり?」と軽い調子ですが、私は下を向いてしまいました。

 高校生のときからそのように見られていたのですね。やはり、担任だった先生。生徒のことをよく見ていたようです。

「花村さん」

 急に呼ばれて、私は上ずった声で「はい」と言ってしまいました。

「田沢くんにちゃんと甘えるんだよ……って、これはセクハラになるのかな」

「なりません、多分」

 瑞樹くんのように、ずけずけと尾籠なフレーズを並べるのとはわけが違います。

 多分、セクハラではないです。



 新田先生がお店を出ましたら、彼も私も空いたカウンター席に移動します。

「洋也くん、ありがとう」

 彼に感謝です。同席してくれて、助かりました。

 新田先生と一対一では、息が詰まるところでした。

「私なんか、新田先生に合わせる顔がないのに」

「そんなことないよ」

「私が悪いの」

「違うよ」

 彼は否定してくれます。ありがとうございます。ごめんなさい。

「新田先生、今は塾講師をやっているんだって。教員には戻れないけれど子どもに教える仕事は続けたいって言っていたよ……あっ!」

 彼は急に慌てます。

「忘れてた! 新田先生、変な噂が流れているんだ」

 SNSで広まっているのではないそうですが、元・クラスメイトの何人かが知っているそうです。

 噂というのは、隠し子疑惑。

 教員時代に、ひとりっ子で独身を自称していた新田先生に、中学生くらいの子どもがいるんじゃないか、というのです。

 お正月に、埼玉県神川町の金鑚大師かなさなだいしに行った人が、新田先生と一緒に参拝する男の子を見たというのです。

 塾生とも思えたそうですが、それにしては妙に家族っぽい雰囲気だったのだとか。

「……やめよう、この話。信憑性ないから。俺から話し始めたのに、ごめんね」

「ううん。新田先生は、その子に千羽鶴をあげたいのかな」

 いけません。話を切り上げるはずだったのに、続けてしまいました。



「マグカップ、届いたんだって?」

 彼が話題を変えてくれました。

 いけません。すっかり忘れていました。

「……持ってくるの、忘れた。ごめんなさい」

「ううん、大丈夫。むしろ、ありがたい」

 陶器を使う前に、「目止め」という作業を行わなくてはならないそうです。

 全く知りませんでした。その作業をせずにマグカップを彼に渡してしまうところでした。

 それに、引っ越したばかりの彼に「目止め」の作業をする余裕はないでしょう。

「はなちゃんち、行っていい? 一緒にやろうよ」

 全然問題ありません。

 彼との初めての共同作業です……あれ? 意味が変わってしまいますか?

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