神殿

     ★☆★☆★


 ほどけた世界が、ふたたび姿を結びなおす。

 つややかに磨きあげられたしろい大理石でつくられた空間だ。りさげられた装飾、ペンダントを中心にして、同心円状のレリーフがほどこされたドーム状のたかい天井から、煌々こうこうと光がそそぎ、優美な神々の彫刻が壁面から室内をみまもっている。

 壮麗な装飾ではあるが、正方形の部屋とよすみにそそりたつ円柱という構成が、かつてとらわれたのろわしい場所を、クレアに思いおこさせた。

「なんなの、ここ……」

「ヴィマーナ、さっきみせたサブシステムが設置されている施設よ。こっちがマンダパ、つまり拝堂で、そのちいさな部屋はガルバグリハ、聖室ね。ミルキーオーシャン・サイバネティックス・テクノロジーズ本社ビル、マウントマンダラの中枢にあたる場所よ」

 科学技術をあつかうミルキーオーシャン・サイバネティックス・テクノロジーズの施設に、拝堂や聖室という名称があたえられていることに、クレアは違和感をおぼえる。

「宗教施設ね、まるで」

「ええ。施設名称のヴィマーナも、もともとは神々の乗りものをさしていたのが、転じてインド寺院建築の本殿をさすようになった言葉よ。ここはね、神殿の本殿なの。このうえに屹立きつりつするビルは、神殿の上部構造であるシカラでしかないわ。

 ラクシュミー計画。ちょっとした悪戯いたずらごころで潜りこんだサブシステムでみつけたこの文章をよんだとき、私はまた絶望のふちたたきこまれることになった」

 車椅子くるまいすまでまったくおなじ形に再現した姿で、クレアと向かいあったまま、鳳は歌声をつむいだ。さきほどのドキュメントが展開される。

「周到に組みあげられたこの計画の目的は、ある特殊な能力を有する人物の脳をデジタルデータ化して、複製と交換が可能な資源として恒久的に運用していくことにあったの」

「人の、脳を……運用?」

 ぞわり、と悪寒が走った。人にゆるされる領域からあまりに逸脱した目的に対して。それを発案できてしまう人間性に対して。

「立案時には未確立だった人間の脳をデジタルデータ化、および運用技術を確立するまでを第一フェイズ、被投与者をトランス状態にみちびく電脳麻薬の開発を第二フェイズ、運用対象の脳をリバース・エンジニアリングして運用可能な状態を構築するまでを第三フェイズとしたこの計画は、私がこの文章を発見した時点で第一フェイズをおえて、第二フェイズに差しかかっていたわ。それはつまり――」

「――あなたは、加担していたといっているの? 私の母が……、こんな、まともじゃない計画に」

「いいえ。この計画にサウンダララジャン博士の名前はでてこない。彼女は人の脳のデジタルデータ化に反対する姿勢をつらぬいていたから。それに博士はこの計画が実行にうつされるまえに、……亡くなっているわ」

「そう……。でも第一フェイズをおえたということは、それはつまり……、誰かの脳が分解されて、デジタルデータにかえられてしまったということ……?」

「ええ。しかも本人には一切しらされることなく。彼女はあるときから、自分がただのデータにすぎないこともしらないまま、数年をすごしたの」

「彼女? その人は女性なの?」

「ええ。被験体ひけんたい一号、文章中に繰りかえしでてくるその人物が誰なのか、すぐに突きとめた。けれどもまあ、笑い話にもならかったわ。――だってそれは、私自身だったのだから」

 ファンがうかべた自虐的な笑みが、ひどく心にささった。ついさきほどまで、あれだけ警戒していたにもかかわらず。

滑稽こっけいな話ね。連中の謀略で私は、殺害されたうえにただのデータにされてしまったにもかかわらず、重傷をおったので治療には慎重を期する必要があるという言葉をしんじ、感謝して、毎日せっせと貴重なサンプルデータを採取させていたのだから。間抜けもいいところだわ」

「じゃあ、いまの、あなたは……?」

「わたしの脳のデータをもとに、エミュレーターというプログラムが出力した、ただの演算結果にすぎないというわけ」

「で、でも、脳の活動を再現したのなら、……あなたは、まちがいなく人間だわ」

「あなたならそういうでしょうね、クレア。いいの。気にしてないっていったらうそになるけれど、私は人間よ。そうおもうことにしてる、しばらくはくるしんだけれど。私は連中の計画をしったことをひたかくしにして、計画について調べあげたわ。そしてしってしまったの。この計画の運用対象とされた人物が一体誰なのか。……それは私にとって、自分がただの演算結果にされてしまうことよりも、たえがたいことだった」

「それは一体、……誰なの?」

 いつの間にか張りつめていた空気に、鳳の声が差しこまれる。まったく同一の響きをもつにもかかわらず、自身の体を経由せずに発せられた響きは、他人の声のように感じられた。

「運用対象者の名前はシュリ。あなたの義理の妹で、そしてもっとも大切だった人」

「……なにをいっているの? シュリは普通の人間だわ。たしかに特殊な環境で生まれそだったかもしれないけれど」

「はたしてそうかしら。うすうす感づいていたんじゃない? あの子がときおりつげる言葉の意味を」

 さらなる場面転換がなされる。仮想現実は、また別の空間として再構築される。

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