反撃

     ★☆★☆★


「姉御、姉御っ!? くそっ、どうなってんだ!」

 起きあがって苛立いらだちをあらわにするトラヴィスに視線をむけることもなく、オースティンは監視姿勢を維持したまま告げた。

「落ちつけ。お前があわてても状況はかわらん」

「でも――」

「――でももくそもない」

 しずかな声音がトラヴィスを圧倒する。

「思いだせ。おれが最初にお前におしえたことはなんだ」

「……火線を直接まじえないからこそ、狙撃手そげきしゅは部隊のなかで一番、クールで、クレバーで、そして忍耐づよくなければならない」

「上出来だ。では、俺たちの任務はなんだ?」

「ダラムシャーラーを監視して、味方に危険がせまるようなら、それを排除することです」

「いま、味方に危険はせまっているか?」

「はい」

「一体どんな危険だ」

「大勢の、銃をもった人間があらわれて……」

「大勢とは何人だ。どこにいる。そいつらの武器の種類は」

「それは……」

「観測しろ。仲間をすくうために、冷徹な狙撃手の眼差まなざしで」

 はじかれたようにトラヴィスはライフルをかまえた。

「レッド・チャーリー・ツー、友軍付近。敵性の人員六名、いずれも突撃銃で武装しています」

「レッド・ブラヴォー・ワンからナインに動きはない。上層階を確認する」

「レッド・チャーリー・スリー。敵性人員は五名でおなじくアサルトライフル。でも連中、プロじゃないですね。数はおおいですが、まったく統率がとれてない。やけくそに撃ちまくってる感じです」

「レッド・デルタ・ワンからナインにも動きはない」

「レッド・チャーリー・フォー、敵性人員二名。……ちょっと待ってください。連中、機関銃を持ちだしてきました」

「レッド・チャーリー・ファイヴからセヴン、動きなし。待ちぶせアンブッシュだな。現状で最大の脅威はなんだ?」

「機関銃です。レッド・チャーリー・フォーからツーに移動しています」

「よし、まずはそいつを排除しろ。TOCと連絡がつかない以上、最新の命令をもとにこちらで判断する」

 トラヴィスがかまえたライフルのスコープが、何事かをわめきちらしながら銃を乱射する信者たちを映しだす。緑がかった映像は現実味を多少うすれさせるが、彼らはまちがいなく生きた人間であることが見てとれた。

「俺、連中をうつんですね……」

「わすれるな。俺たちがうつのはころすためじゃない。生かすためだ、標的になる人間の命をつうじてな」

「……了解」

 骨に骨をのせる。ちぢんでねらいをくるわせる筋肉を計算から除外する。二脚銃架のうえで銃を安定させる。銃床のチークピースがほおにふれる感触が、狙撃手の平坦へいたんな虚無の境地への扉をひらいた。さらに集中する。呼吸をコントロールする。照準器を通じてターゲットをみる。もはや心がうごくことはなかった。


 電脳空間から浮出エキジットしたシュリはSCUBAの座席から立ちあがると、透明な視線をベイカー主任捜査官にむけた。

「報告します。クレアのSCUBAは乗っとられてはおらず、彼女のバイタルも正常値の範囲内です」

「それはよかった。ではつぎだ。ゴールドリーダーと連絡がとれなくなった理由は?」

「クレアが現在、外部を遮断したネットワークにいるからです」

「どうしてそんな場所に?」

「クレアに直接確認できない以上は推論にすぎませんが」

「かまわない。君の推論をきかせてくれ」

「オーウェン・ビショップと交戦しているものとおもわれます。その領域はダラムシャーラーのごく一部とだけつながっていますので」

「たったひとりであの凶悪なクラッカーとたたかっているのか? なぜそんなことを」

「被害を最小限にとどめるため、オーウェン・ビショップとの対決を単身でおこない、侵入をうけたシステムの復旧をゴールド小隊のメンバーに託したものと推測されます」

「なるほど、にかなっている。単独行動は感心しないが。ゴールドリーダーは大丈夫だろうか」

「確実に勝利するでしょう」

「どうしてそう言いきれる?」

「クレアは一度、オーウェン・ビショップの手口をみていますから」

「わかった。ではゴールドリーダーがもどってくるまでのあいだ、私がゴールド小隊を指揮しよう。ジュリエット分隊はシステムの優先順位にもとづいて攻撃者を排除、インディア分隊は各サブシステムをネットワークから切断、個別に復旧にあたってくれ。それからシュリ」

「はい」

「君はゴールドリーダーとのコンタクトを試みつづけ、必要ならサポートにあたってほしい」

 承知しました、と応じたシュリは、再度SCUBAにこしかけながらつぶやく。

「あなたはいま、そうおもっているのでしょう? クレア」


 クレアはかがやく翼をはばたかせ、林立するビル群の隙間すきまをぬうように高速で飛行していた。彼女の視線のさきでは、体躯たいくに不相応な敏捷しゅんびんせいと速度をもって、クンバカルナが空をける。

 不意に彼女の真正面から、複数の飛翔ひしょうたいが襲いかかった。高密度に圧縮されたコマンドの集合体であるそれらを、よけ、そらし、はじいてさらにスピードをあげる。飛翔体は命中したビルの壁面をごっそりと消失させた。

 さきをいくクンバカルナをふたたび視界にとらえたとき、ビルの壁面を突きやぶって別の肥満体があらわれる。それが腕をふるうと無数のコマンド集合体が出現し、うなりをあげてクレアにせまった。驚異的な飛行能力でそれらをかわす。ところが退避したさきにもつぎつぎと肥えた巨漢が出現して、十体ほどに増殖した彼らが一斉に攻撃してきた。

 四方八方から飛翔体が殺到する。波濤はとうのごときそれらに飲みこまれる。はげしい閃光せんこうと轟音が大気をゆるがす。爆風が通りすぎると、周囲のビルもろとも広範囲に空間が消滅していた。クンバカルナたちが会心の笑みをうかべる。

 構造を維持する強度をうしなった高層建築たちが、瓦解がかいしていく。その中心でクレアは、かろやかな歌声をひびかせていた、一切ダメージをおうことなく。旋律が紡ぎだされる。胸のまえでそろえられた羽の先端にあおい光がやどる。翼がかるく跳ねあげた光球は、空中で複数に分裂すると突然勢いをまし、まばゆい驟雨しゅううとなって降りそそいだ。

 複数のクンバカルナたちは、なす術もなく撃ちおとされていく。あるものはビルの壁面に激突し、あるものは光片につらぬかれ、巨漢たちが消滅していく。はげしく地表にたたきつけられた一体をおって、クレアは地上に降りたった

「……畜生。なんでだ、なんであたんねえんだよ」

「自分の戦闘技術を学習させたAIを複製して攻撃力をたかめる。わるくない発想だけど、どれだけ数をふやしても、こうワンパターンだと簡単によめるわ」

「へえ、さすがは迦陵頻伽カラヴィンカってわけだ。けどな、そうやって余裕ぶってていいのか?」

「どういうことかしら」

「あんたの部隊はいまごろ大混乱じゃねえのか? ほかの連中じゃオレのAIには到底かないっこねえ」

 じっとクンバカルナをみつめた彼女は、みじかく吐息をもらした。稚拙な演奏をみせつけられた審査員のように。

「ひとつ、あなたの欠点がわかったわ」

「なんだと?」

「不知彼不知己、毎戦必殆。

 敵と自分の実情をしらずにたたかえば、その度にかならず危機におちいる。

 おかしな講釈をたれるおじさんがいっていたのだけれど、本当にその通りね。あなたは評価をあやまってる。自分は過大に、相手は過小に。そとではいまごろ、ご自慢のAIたちが駆逐されているころだとおもうわよ? たかだかあなたの、それも劣化した複製でしょう?」

「オレが、……大したことねえって、そういってんのか!」

「まあ、そういうことね。クンバカルナ、名前負けもいいところだわ」

「ふざけんじゃねえ! ころしてやる、絶対にぶっころしてやる!!」

 複雑なジェスチャーとともに、クンバカルナのアバターがどす黒くそまり、膨れあがっていく。クレアは目をほそめ、その様子をながめている。


 息をこらしたニーナの視線のさきでは、内側から施錠された両開きの扉が、繰りかえしくわえられる打撃を懸命にこらえている。わずかな静寂ののち、発砲音とともに一部が粉砕され、武装したしろい服の男たちが雪崩こんできた。

 あらあらしい音がうすぐらい空間に木霊する。優に数百名は収容可能な大理石の瞑想めいそうしつだ。みあげるほどたかい天井にむかって重厚な柱が数列にわたって屹立きつりつする空間の突きあたりは、壁一面が巨大な窓になっており、夜明けへとむかいつつある外界と内側をへだてていた。

 殺気だった男たちの目がさまよい、一点にさだめられる。やみのなかにあってもつやめく床に、何かを引きずったようなかすかな汚れがのびていた。武装した集団がうなずきあう。

 かすれた血痕けっこんの行きつくさきでは、数名の隊員にまもられて、ラッセルが柱にもたれていた。いのるような口調でささやく。

「ニーナ、たのむから無理はしないでくれ……」

 足音をころして男たちが歩きだした瞬間、背後から声があがった。

「こっちよ!」

 ニーナが柱の影から走りでる。気をひくためにおこなった発砲で、カービンから閃光がひらめいた。わずかにおくれて男たちの血走った目と銃口が、一斉に彼女へとむけられる。別の柱に駆けこんだ直後、怒濤どとうの銃撃が到来した。

 切れ目のない弾幕が押しよせるなか、銃口だけだして応射する。ここに自分がいることを、敵たちにしらせるために。仲間たちをにがすために。ときの声をあげた。うちまくった。十倍以上の弾丸が降りそそいだ。わずかに敵の攻撃がとぎれた。影から飛びだした。すこしでも敵を遠ざけるために。そして、凍りついた。

 男のひとりと目があう。腰だめにかまえられた軽機関銃が、まっすぐに自分の方をむいていることにきづく。間にあわないと知りつつも銃をかまえる。どんどん間延びしていく時間のなかで、なぜかくたびれた中年男の顔を思いだす。笑みが、浮かんだ。

 つぎの瞬間、数百メートルの彼方かなたから超音速で飛来した弾丸が、敵の銃の機関部を撃ちくだいた。


 はげしく地面に叩きつけられたクンバカルナの体は、数度横転したのちに建物の壁面に衝突した。周囲の景色が映りこんだ熱線反射ガラスに、蜘蛛くもの巣状の亀裂がはしる。

 整然と樹木がうえられたその場所は、くしくも数十年前に最悪のテロ事件の標的となり、三千人近くの死亡者がでた施設の跡地であった。

「なんなんだ……。なんなんだよ、お前……」

 怒りの視線のさきには、地面すれすれにうかんだクレアの姿がある。

「そうして無様にいつくばっているのが、あなたの正当な評価よ」

「そんなはずねえ、オレは……オレは……、オレはっ、一番っ、つええんだよっ!」

 野獣のような咆哮ほうこうをあげてクンバカルナがコマンドを放った。唸りをあげてクレアにせまった巨大なくろい光は、みじかい歌声でたやすく弾きかえされた。

 すさまじい爆風がうまれ、肥満体はぼろきれのようにタイルのうえを転がった。ふらつきながら立ちあがりかけ、倒れこむ。

「畜生……、畜生……」

 こぶしを握りしめて悔し涙をこぼすクンバカルナに、つめたい声がそそがれた。

「それよりずっとつらかったでしょうね、あなたに殺された人たちは」

 びくりとふるえたえふとった巨漢の表情におびえがうかぶ。

「あなたをころせば、みんなの気持ちも晴れるかしらね」

「……よせ、やめろ」

「私の気持ちも晴れるのかしら」

「た、たのむ。ゆるしてくれ……」

「メグミはどうかしら。私の母は? シュリは?」

「なあ、たのむよ、オレが……わるかった」

 冷徹な表情のまま、クレアはうずくまる男をみすえたまま言った。

「……くだらない。あなたをころしても、誰もかえってこないわ。メグミも母も。……シュリも」

 オーウェン・ビショップの拡張現実に、SCUBA凍結の表示がなされる。呆然ぼうぜんとへたり込む男に背をむけ、クレアはかがやく翼をひろげて飛びさった。


 かすかな歌声がきこえた。けたたましく鳴りつづける無数のアラームのなかに。次第に警告音はデクレッシェンドして、流麗な旋律があきらかになる。

 はじめは侵入によって断片化されたTOCのなかだけにひびいたその調べは、聖堂にみちる賛歌のごとく、悪意にみちた攻撃を繰りかえすものたちをしりぞけ、システムを構成するコンポーネントからけがれをはらい、きよめる。コンポーネント群はつぎつぎと正常な動作を取りもどし、手を取りあい、ネットワークを拡大していく。

 呆気あっけにとられていたゴールド小隊の情報官たちが我にかえって作業にくわわり、ネットワークが枝葉をのばす速度は、さらに勢いをました。室内のモニタの表示が本来のものにもどり、指揮官たちの拡張現実には各システムとのリンクが通知される。

『ゴールドリーダーからTOC。現状を報告します。各システムの復旧を確認。および被疑者オーウェン・ビショップを電脳的拘束下におきました』

 クレアの声がTOCの拡張現実にひびいた。指揮官たちの行動は早かった。自身が指揮する部隊と連絡をとり、状況を把握し、指示をあたえる。無数の電子機器があわい光をはなつ空間に、あかるい空気がみちかけたそのときだった。

 ガラスのくだける音がひびく。窓を突きやぶって侵入してきた影は、烈風のごとく室内をかけた。鍛えぬかれた反応でHRTのバレット隊長が拳銃けんじゅうをぬき、ベイカー主任捜査官とクロフォード管理捜査官がわずかにおくれてつづく。

「とまれ!」

 バレット隊長が声をあらげた。照星と照門のさきでその人物は、一瞬だけ動きをとめたが、異形の仮面のおくから指揮官たちを瞥見べっけんすると、ふたたび走りだす。

 情報官たちのSCUBAを背にしているため、発砲できずにいる指揮官たちを尻目しりめに、インドラジットは手にした蛮刀を水平にかまえた。そのさきにはクレアのSCUBAがある。首元めがけて横薙よこなぎに凶刃を払いかけ、そして、動きをとめた。

 月明かりがさす。硬質な光をあびる白銀の髪が、完璧かんぺきな射撃姿勢でアサルトライフルをかまえていた。暗闇のなかで幽鬼のごとき男は、瞠目どうもくしたあおじろい仮面を彼女にむけたまま、身動きひとつしない。

『凡戦者、以正合、以奇勝。

 故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河。

 残念だったわね。想像してみたのよ、奇策が得意なあなたが、一体どんな手をうつのか』

 スピーカーからクレアの声がひびいた。

『うごかない方がいいわ。シュリの銃は脅しじゃない。いま彼女の右手の人差し指は、わたしの制御下にある。三原則は適応されない。トリガーをしぼるのは、あくまで私よ』

 空気は、かたく張りつめていく。沈黙のまま、時だけがすぎていく。よっつの銃口をせおったインドラジットが、不意に緊張を断ちきった。きびすをかえすと窓にちかづき、足音もたてず飛びさる。

 三度ほど呼吸する時間がすぎたのち、われんばかりの歓声が巻きおこった。希望と活気を取りもどしたTOCでは、各隊から収集した情報をもとに、指揮官たちが確保した被疑者の護送と負傷者の搬送を手配し、隊員たちに帰還指示がなされる。ながい夜は、夜明けへとむかっていた。

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