入れ子の世界

     ★☆★☆★


 二十六階からみおろした街並みでは、屹立きつりつするビル群と地上をおおった無数の明かりの隙間すきまを、車列の織りなす光の帯がゆったりとながれていた。

 窓際の席にこしかけたニーナは真下をのぞきこむ。垂直方向を別にすれば数メートルしか離れていないはずの男の姿はみえなかった。みじかくため息をもらしてかおをあげ、窓ガラスに映りこんだ室内の様子を確認する。いくつかのローテーブルやソファのほか、コーヒーメーカーをそなえたリフレッシュルームは、気のきいたカフェに似たたたずまいで、休憩する捜査官たちの表情もやわらかい。

 ほどなく扉がひらき、車椅子くるまいすに乗った黒髪の女性とプラチナブロンドの女性が姿をみせた。振りむいたニーナは手をあげてふたりに居場所をつたえる。テーブルのあいだをぬけて窓際の席まできたクレアとシュリに、彼女はカフェのロゴがはいったカップを差しだした。

「はい、どうぞ」

 ありがとう、といったクレアの分まで受けとった日陰におかれた白磁をおもわせる女性は、ニーナに礼をつげてから、自分の分をテーブルにおき、クレアのカップを彼女の口元まで運ぶ。クレアはどうやら猫舌らしく、念入りに息を吹きかけてさましてから、息のあった連携で慎重にひとくち飲んだ。

「おいしい」

 オニキスをおもわせるひとみをゆるめ、ほっと息をもらした表情が年齢なりで、ニーナはくちびるをほころばせる。

「よかった。ごめんね、急に呼びだして」

「ちょうどよかったわ、そろそろ休憩しようとおもってたから。コーヒー、わざわざかってきてくれたの?」

「外にでたついでにね。つかれない? 潜りっぱなしみたいだけど」

「気になることがあって。何かつかめそうなの、あとほんのすこしで」

「そう。あたしはあまりながく潜っていられないから、うらやましいわ」

「むかしは私もそうだった。でも機械の体になってからは、いくらながくっても全然平気。わるいことばかりじゃないわね」

「あまり無理しないで、休憩も必要よ」

「そうね。ありがとう」

「どういたしまして」

 微笑ほほえみをかわしたあと、タイミングをみて切りだす。

「そういえばダニエルがしょんぼりしてたけど、あのおじさん、また何かしでかした?」

「しでかしたっていうわけでもないんだけど、口うるさいのよ。もっとこまめに休憩をしろだとか、食事はちゃんととったのかとか。自分のこともちゃんとできてないくせに」

「……構いすぎて娘にきらわれる父親の典型ね」

「なくなった父はあんなにだらしなくなかったわ」

「お父様って、ベイカー主任捜査官とくんでいたっていう?」

人質救助部隊HRTだったみたい。つい最近しったことなんだけど」

「HRT……。精鋭中の精鋭ね」

「休日関係なしにいきなり呼びだされて、そのまま何週間も留守にするっていう生活だったけど、家にいるときは目一杯の愛情をむけてくれたわ。やさしくて頼りになる、自慢の父親だったの」

「まったく歯がたたないわね、ダニエルじゃ」

「でも、お土産のセンスは絶望的になくってね。この国とロシアの歴代指導者のマトリョーシカをもらったときは、どうしたらいいか真剣になやんだわ」

「マトリョーシカって?」

「ロシアの民芸品よ。入れ子になってる人形なんだけど、それがまた妙にリアルで」

「……たしかにそれは、センスをうたがうわね」

「レーニンのなかにスターリンがはいってて、そのなかにたしか、マレンコフ。――ちょっとまって」

「どうしたの?」

「入れ子よ。そう、入れ子になっているんだわ」

 はれやかな笑顔になったクレアをまえに、ニーナとシュリは顔をみあわせた。


 十五分後、捜査局の接続室ダイヴセンターには、ドメスティック・テロリズム班DTSに所属する大半の捜査官たちが、クレアの接続したSCUBAをかこむようにあつまっていた。

 クレアは自分が呼びだしたダニエルや話をきいていたニーナ、彼女と組んでいるトラヴィスまではともかく、他の捜査官にくわえて、DTSの長であるアーネスト・クロフォード管理捜査官の姿まであることにおどろきながら、自身が解析したデータを拡張現実の共有レイヤーに表示する。

『先日発生した事件一意識別子IUID65d99261-f7bd-4037-b1c4-0e9a89a79904、通称ピース・フォー・ファミリーズ代表殺害事件の捜査で、ダニエル・バード上級捜査官とともに宗教集団ディヤーナ・マンディールのノード、カイラーサナータに潜入捜査をおこないました』

 状況を説明しながら、五感を仮想現実に接続したクレアは、SCUBAに組みこまれた電子の目であつまった捜査官たちの様子を確認する。肉眼ではないにもかかわらず、クロフォード管理捜査官から銃口を突きつけられたような気配けはいがつたわってきて、胃がすくんだ。

『この際、教団から配布されたヤントラとよばれる信者たちのお守りが、特徴のあるデータをやりとりしていることにきづきました。収集したデータの解析に若干てこずりましたが、ニーナ・ロウ上級捜査官の発言がヒントになって、正体をつきとめることができています。

 結論としては、彼らのお守りは通信機器の役割をはたしており、教団幹部たちはそれらをつかって、仮想現実空間メタバースのなかに、もうひとつの仮想現実を作りあげているのです』

 ダニエルが手をあげた。

「あー、すまないお嬢ちゃん。意味がよくわからない」

『論より証拠ね。収集したデータから入れ子の仮想現実を再現できたの。今からそれをみせるわ』

 拡張現実にクレアの歌声がひびいた。呼応してダイヴセンターの壁面にあるサーバ群のフロントパネルのライトが、めまぐるしく明滅をはじめる。共有レイヤーに一枚のパネルが表示された。

 映しだされたのは、漆黒のやみに向かいあってうかぶ三枚の紗幕しゃまくだ。ゆらめく光源にうらから照らされたなめらかなスクリーンには、それぞれに異形の影がうかんでいた。一枚のおくから威圧的なひくい声がきこえたとき、捜査官たちの空気が一変する。

『教祖の様子は』

 たくましい四肢をもつ影の問いかけに、でっぷりとした醜悪な影がこたえた。

『末期だ、計画どおり。そろそろ信者たちのまえには出さねえ方がいい。ソーマがキマってるときならかく

『教団の方はどうする』

『なんとでもなるさ。あの坊やのアバターはおれの好きにできる』

 他の二体より華奢きゃしゃで、幽鬼のような影が肩をすくめる。肥えた影の声に苛立いらだちがまざった。

『あ? 心配ねえって。俺をだれだとおもってんだよ』

 肩をすくめた影がさらなる身振りで応じる。

『てめえ……、ふるい話を穿ほじくりかえしてんじゃねえよ』

 やめろ、とたくましい影が一喝する。

『今度はラーマはあらわれん。勝利するのは我々だ』

 映像は唐突にとぎれた。顔をみあわせて意見を交換する捜査官たちは、クレアの声によって再度沈黙をする。

『収集したデータから再生できたのはここまででした。つぎに、データの解析によって判明した事項をまじえて、補足的な説明にうつらせていただきます。

 まずデータが記録された日時は潜入捜査当日、つまり潜入捜査の最中にこのやり取りがなされていたことになります。そしてこの入れ子の仮想現実空間は、製作者によってランカー――古代インドの叙事詩じょじし、ラーマーヤナに登場する羅刹らせつ、ラークシャサたちのすむ土地――と名づけられていることがわかりました』

 ふたたびパネルに映像が最初から表示され、屈強な体躯たいくの影が最初に口をきいたところで停止した。

『このアバターの名前はラーヴァナ、となっていました。さきほどのラーマーヤナに登場するラークシャサの王の名で、言動からみてもリーダー格であるとおもわれます。彼らはラーマーヤナから名前を拝借しているようです』

 ラーヴァナに応じた肥満の影がうつったところで、映像がとまる。

『つづいてはクンバカルナ。ラーマーヤナではラーヴァナの弟とされています』

「ちょっとまって。41アライアンスの潜伏先を強制捜査したときに、ARに侵入してきたクラッカーが、あたしにそう名乗ったわ。クンバカルナって」

『あのときARに割りこんできたアバターによくにているわね、この影』

「そうね、偶然の一致とはおもえないくらいに」

 ニーナの声がしずかな闘志をおびる。再度うごきだした映像は最後の一体、華奢な影を映して静止した。

『最後がインドラジット、ラーヴァナの息子です。この人物だけ意思の伝達に文字をつかっているので、それを字幕として重ねました』

 クンバカルナとインドラジットと剣呑けんのんなやりとりが、字幕をまじえて再生された。

『なんとでもなるさ。あの坊やのアバターは俺の好きにできる』

『慢心がすぎないか?』

『あ? 心配ねえって。俺を誰だとおもってんだ』

『まえの教団ではシータをにがしたろう』

『てめえ、ふるい話を穿ほじくりかえしてんじゃねえよ』

『やめろ。今度はラーマはあらわれん。勝利するのは我々だ』

 ラーヴァナの言葉を最後に映像は途切れる。

『ラーマは叙事詩の主人公である神の化身、シータはその妻のことですが、現時点では誰を称しているのかわかりません。まえの教団、とはディヤーナ・マンディールの前身であるマハー・アヴァター・サマージとみてまちがいなさそうです。

 また、教祖は計画通りに末期であり、ソーマがキマっているときでなければ信者のまえにだせない、とクンバカルナがはなしていますが、言葉通りにとらえればディヤーナ・マンディールの教祖ダレル・ウォルシュは、電脳麻薬ソーマの末期的な依存症であるとおもわれます』

 それからもうひとつ、とクレアは数枚の画像を共有する。仮面を撮影したものだが、爛々らんらんと目をかがやかせる異様な相貌そうぼうに、誰もが息をのんだ。

『これらは東南アジアの一部地域で仮面舞踏に使用されるインドラジットの面ですが、ピース・フォー・ファミリーズ代表殺害事件の実行犯が身につけていたものと特徴が完全に一致します』

 クレアの頭部をおおっていたSCUBAのパーツが上方にスライドし、まぶたをひらいたクレアの瞳が光をうけてきらめいた。戦意にみちた声でニーナがいう。

「ここまでの話をまとめるわよ。この三人組はマハー・アヴァター・サマージ時代から教団と関係があり、いまはダレル・ウォルシュを傀儡くぐつにして、何かをたくらんでいるどころか、そのうちの一名にはディラン・ベンソン氏の殺害容疑、さらにはクレアを襲撃した可能性まであるってわけね」

「ええ。それから入信者をいつわった潜入捜査の際に授与されたペンダントを調査してみたら、ランカーでのやりとりを、分散して記憶していることがわかったわ」

「信者たちのペンダントからデータを回収できれば、連中の過去の言動がわかるってこと?」

「マハー・アヴァター・サマージの信者も、にたようなものを身につけていたから、もしかしたらもっとふるい時点までさかのぼることができるのかもしれない。

 システムは爆弾とおなじ。製作者の人間性が反映されるの。この仕組みを考えだした人間は、柔軟な発想をもっているうえにずる賢い。彼らのノード、カイラーサナータの防御機構をかんがみても、相当な腕の持ち主よ。おそらくこの記録したデータは、自身が危険にさらされたとき、味方にも敵にもつかえる切り札として保管しているんじゃないかしら。私たちはそれを逆手にとらせてもらうわ」

「おもしろいじゃない」

 ニーナが笑みをうかべる、彼女に呼応するように闘志にみちていく捜査官たちは、ただひとりダニエルがけわしい表情をしていることにきづかなかった。

『It’s too early.(早すぎる)』

 彼の拡張現実には、みじかいメッセージが表示されている。

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