夢の国にて

     ★☆★☆★


 午後七時、無数の人々でにぎわうそのノードは、はじまったばかりのパレードで、まばゆいばかりの光と音楽、そして笑顔と歓声につつまれていた。

 エントランスに到着ランディングして目を白黒させるダニエルとクレアのとなりでは、シュリが、彼方かなたにライトアップされたこの場所のシンボルでもある白亜の城に、透明な眼差まなざしをむける。

 トゥーンワールド、世界的なアニメーション制作会社であるスタジオトゥーンが、作中でえがいた種々の世界を再現したアミューズメント・ノードだ。子供はもちろん、大人も童心にかえってたのしめ、だれもが一度はおとずれるという文字通りの夢の国である。

 ただしそれも状況によるということを、見事に体現する一団があった。くたびれたスーツの中年男に、車椅子くるまいすのわかい女性と介助用のガイノイドという共通点のない三人組が、さして興味もないであろうトゥーンワールドにいるという状況が、たのしげな人々のなかから、彼らを完全にういた存在にしている。ダニエルが咳払せきばらいをした。

「これは、……想像以上にきびしいな」

「どうやらそのようね」

「クレア、検索をかけました」

「なにをしらべてくれたの? シュリ」

「あの建造物はプリンセスキャッスルというそうです」

 しめされたさきと彼女とを交互にみてクレアがいった。

「あなた、こういうところ、すき?」

「いえ。そのようなことはありません。決して」

「そう? じゃあデニスさんからおくられてきた座標になにがあるか、あそこのスタッフに聞いてもらっていいかしら。このおじさんにいかせるのは流石さすがに心がいたむわ」

「承知しました。ですがそこのトゥーンバニーにききましょう。彼の方がちかくにいます」

「え、ええ。じゃあおねがいね」

 シュリはかるい足取りで離れていくと、胸のたかさほどの身長があるうさぎのキャラクターのまえにしゃがんでいくつかの言葉をかわし、すぐにもどってきた。

「ここから直進してプリンセスキャッスルをぬけたさきの、ファンタジーランドにあるマジカルウィールという観覧車の座標だそうです。ちなみに途中で右手にみえるトゥーンタウンには、トゥーンバニーの家があるのでぜひ寄ってほしいといわれました」

「ありがとう、シュリ。じゃあその観覧車にいってみましょう」

「マジカルウィールです、クレア」

「……そうね、マジカルウィールにむかいましょう」

 一行は人ごみにまざり、歩きだした。クレアがとなりをみると、シュリはあちこちに走らせていた視線をぴたりと止めた。

「なんでしょうか?」

「ねえ、シュリ。今度のオフはここにきてみましょうか」

「承知しました。お付き合いします」

 なれた人間にしか分かりえない弾んだ調子が、かすかにシュリの声にまざった。


 道すがらにシュリが調査をおこなったため、到着するまでの数分間に、一行は目的地について過剰なほどの知識を入手していた。

 現実世界には存在しえない大きさをほこるマジカルウィールは、それぞれ色のことなる五十台の四人乗りのキャビンを有し、一時間かけて一周する。

 デニスがのこした情報の「スカイブルー」を色の指定だと判断したダニエルをのせた同色のキャビンが地上をはなれてから、三十分がすぎようとしていた。

『冗談のようにたかい。仮想現実とわかっていても、いきた心地がしないな。せめてひとりでなければこんな気分にはならないだろうが』

『仕方ないわ。複数の人間ではあやしまれるかもしれないもの』

『わかってる。わかってはいるんだが……』

 せめて煙草たばこでもあればな、と独りごちたとき、不意に声がきこえた。

「ここは禁煙だよ、おじさん」

 子供、あるいは少女のそれが言葉をつづける。

「はーい、どうもどうも。あなたの街の運び屋さん、コンピューター・アンド・プラウドだよ。おじさんが受取人?」

「あ、ああ。そういうことらしいな、どうやら」

「んー。じゃ、ちょっと確認させて。ボクがおくる暗号化されたテキストをもとにもどせる?」

「了解だ、やってみよう」

 データの送信要請がとどいた。送り主が空白になっている。

『お嬢ちゃん。女の子だか子供だかに話しかけられたんだが、姿がみえない』

『把握してるわ。でもこれ、相当高度な偽装よ。――ちょっとなにあれ?』

 クレアの声でダニエルは窓のそとに目をやった。

「ええと、ちょっとたずねたいんだがコンピューター・アンド・プラウドくん」

「なーに?」

「あれは君の仲間か?」

 キャビンのそとには、宙をとびながら接近してくる人影があった。


 マントをはためかせて飛翔ひしょうする漆黒の甲冑かっちゅうは、スタジオ・トゥーンの代表作ともいえるファンタジー・スペクタクルに登場する悪役だ。圧倒的な強さと徹底した悪役ぶりで主人公と人気を二分するその名を、あちこちからよぶ声が聞こえはじめたとおもうと、またたく間におおきな歓声になった。パレードの出演者たちは困惑の表情をうかべる。

 彼らをみおろすかごのなかで、ダニエルにだけきこえる声がひびいた。

「しらなーい」

「奇遇だな、私にも空とぶ甲冑の知人はいない」

 黒いマントは空中で静止すると抜刀してかまえた。ダニエルのいるキャビンにむけられた背丈ほどもある剣が、あかい光をおびていく。客たちがざわつきはじめた。

『お嬢ちゃん、どうみる?』

『どうもこうもないんじゃないかしら』

 となりのシュリにつげる。

「コマンドのバインドを有効にして」

 甲冑が剣をふるった。あかい輝きが光の刃と化し、すさまじい勢いで観覧車のひとつの籠にせまる。観客のなかから悲鳴に似た声があがった。

 キャビンが破壊されようとした瞬間、地上から飛翔してきたしろい輝きが光をはじく。どよめきが巻きおこったが、つづく光景が上空をみあげる人々から言葉をうばった。

 しろい輝きはつばさがほころぶようにひらいて純白の翼になり、日差しをうけた麦畑の色の肌をもつ女性の姿があらわれる。呆然ぼうぜんとその様子をみつめる客たちは歌声をきいた。天使もかくやというほどのたえなる響きだ。我にかえった群衆のひとりが手をたたくと、またたく間に伝播でんぱしてわれんばかりの喝采かっさいとなった。

 甲冑の人物が攻撃を再開した。高速で飛行しながら、つぎつぎとかがやく刃をふるう。その動きに追随して女性が翼で弾きとばすたび、声援がおおきくなる。

 業をにやしたのか、剣さばきは強引さが目立ちはじめた。一瞬のすきをついて別の旋律が差しこまれる。胸のまえで翼端があわさると光球がうまれ、漆黒のよろいめがけて撃ちだされた。不意をつかれながらもかろうじてさばく。客たちが熱狂する。


「実はお嬢ちゃんもすきなんじゃないか? こういうところ」

 繰りひろげられる空中戦をながめながら、ダニエルは苦笑した。

「ねえねえ、おじさん」

「なにかな?」

「あの空とぶお姉さんは、おじさんの仲間?」

「うん、そうだな。私のバディだ」

「ふうん。守ってもらったみたいだからお礼を言っておくね、ありがと」

「直接いった方がいいな、そういうことは」

「あんまり人にしられたくないの」

「いろいろあるんだな、君も」

「そういうこと。ま、受け渡しは仕切りなおしね」

「どうやって連絡をとればいいのかな?」

「それ、もってて」

「それとは?」

「おじさんがいま手にもってるもの」

 ダニエルはいつの間にか自分が通信端末のおもちゃをにぎっていることにきづいた。

「魔法使いだな、君は」

「いいかも、魔法使い。それ、拡張現実ARっておいて、こっちから連絡がするから。じゃねー」

 能天気な声を最後に、二度と言葉はなかった。


 いまや形勢はクレアへとかたむいていた。防戦一方の甲冑がきわどく攻撃をかわすたび、残念そうな声がもれる。

 不意に漆黒の鎧がしたをみた。地上はもともとのパレードの見物人に騒ぎを聞きつけた野次馬やじうまがくわわり、無数の群衆でごったがえしている。ふたたび視線はクレアへ。いやな予感がはしった。

 甲冑が大剣をかかげた。やどる光は異様な気配けはいとともに膨れあがっていき、まばゆい柱と化した。渾身こんしんの力をこめて振りぬく。巨大な刃が地上へときばをむく。悲鳴があがる。蜘蛛くもの子をちらすように人々が逃げまどう。

 地表ちかくにさきまわりしていたクレアが攻撃を受けとめた。歌声をひびかせ、虚空の彼方へと弾きとばす。みあげた空に敵の姿はなかった。わずかにおくれて、これまでで最大の歓声がノードを包みこんだ。

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