捜査のはじまり

     ★☆★☆★


 あさの日差しがそそぐ連邦捜査局のオフィスでは、今日も平穏という言葉とは一切無縁であるかのごとく、捜査官たちがいそがしく働いている。

 その活力とは正反対のさえないかおで出勤してきたくたびれきった老犬のような中年男は、クレアのデスクのちかくをとおった。

「やあ、お嬢ちゃん」

 シュリと話していた陽光をあびる金細工のごとき相貌そうぼうは、たちまちのうちに不機嫌一色に塗りかえられる。

「おはよう。ダニエル」

 ぷいとそっぽをむかれ、首をかしげながら自分の席につくと、真冬のハドソン川をおよいでいる人間を目のあたりにしたような表情のニーナの姿があった。

「ダニエル、あなたクレアをお嬢ちゃんってよんでるの?」

「そうだ。愛称で呼びあうのはバディの基本だろう? 形から入ってみるのもわるくないとおもってな。……まあ、お嬢ちゃんにはまだ照れがあるようだが」

「てれてるとおもってるの? あの顔を?」

「もちろんだが?」

 あわれみにみちた視線をクレア、ダニエルの順にむけたあと、真夏の夜にさく花をおもわせる面立ちから、一切の表情が抜けおちる。

「あたしいま、あなたとくんでなくてよかったって、心のそこからおもったわ」

 むう、と声をもらしながら拡張現実ARを操作したダニエルが首をかしげた。

「どうしたの?」

「いや。同期から飲みにいこうと誘いがきていたんだが、……肝心の本文がないんだ」


「――で、つぎが事件一意識別子IUID7b3f2321-82ac-416d-92df-9b7b9c323f3a、昨日の午後十時に発生したサイバーテロよ」

 ややかすれていて、しっとりと落ちつきのあるニーナの声が、事件の概要をつたえる。クロフォードのデスクのまえにあつまったDTS――ドメスティック・テロリズム班の捜査官たちは、真剣な表情で耳をかたむけていた。

「標的にされたのはCNSソリューションズ社が運営する大手電脳掲示板コロン。現状で把握されているだけでも十数名が死亡、約百人が重軽傷をおったわ。匿名で利用可能なサービスで、事件当時は数千人が接続していたことから、被害者は今後さらに増加する見込みよ」

「これ、ネットでえらい大騒ぎになっていますよね。オゥテックについでツインFXの連中まで報復を宣言したとか」

「まあ、血の気のおおいクラッカーたちが余計な騒ぎをおこすまえに収束させたいところね」

 トラヴィスの言葉に応じたニーナがジェスチャーでARを操作する。各国語の字幕つきで演説する覆面の男の映像が共有レイヤーに表示された。

「今日の午前八時、イスラム過激派フェダイーン・アル=シャリーアが犯行声明を発表したことをうけて管轄はうちに移行。初動捜査中のサイバー対策部と協調しながら捜査を引きつぐことになったわ。目下のところ被疑者等の情報はなし。それでボス、この件は彼女に?」

 集中する視線を感じながら、クレアは息をとめて椅子いすにかけた男の言葉をまつ。

「モーリス捜査官にまかせる。ダニエルは補佐しろ」

「了解だ、ボス」

 至近距離どころか直撃した砲弾のごとき声音の重圧を、クレアは懸命にこらえた。


「はじめまして、マーク・フレイジャーです」

 右手を差しだした直後、サイバー対策部所属の人のよさそうな捜査官は表情をかたくした。クレアは作りなれた笑顔とともにこたえる。

「お気遣いなく。クレア・モーリスです、はじめまして」

「失礼いたしました。こちらはCNSソリューションズのピータースさん。このノードの管理者です」

「はじめまして。なんでも協力させていただきます」

 ノード管理者の声には力がなかった。対応のために一睡もしていないのだろうが、メタバースのアバターに本人の健康状態までは反映されない。

 ふたりと現状の共有をおえたクレアは、あらためて犯行現場となったノードをながめた。メタバースプロトコルを通じて再生された拡張現実――円形劇場に似た構造物に、破壊の痕跡こんせきは一切のこされていない。対象の殺傷のみをおこなうというプログラムが実行され、処理を完遂した結果である。

「さてお嬢ちゃん。なにから始めようか」

 車椅子のとなりにダニエルの姿があった。不愉快な呼び名を連呼する自称バディをみすえたクレアはため息をつき、

「現場にいた利用者の把握をおねがい。匿名の利用者の大半は現状が不明のままなの。証人を確保する以外にも、負傷してうごけないままでいる被害者が発見できる可能性もあるわ」

 クレアが言いおえた途端に、大量のデータがダニエルに送信されてきた。

「うおっ」

「接続業社に送信した問い合わせの返信先をあなたにしておいたわ。可能なかぎり早くA.S.A.P.よ」

「……了解だ。お嬢ちゃん」

「私はまだあたらしいうちにテロリストの足取りをおうわ」

 そうつげてクレアが振りむいた。

「シュリ、コマンドのバインドを有効にしてくれるかしら」

「承知しました」

「ありがとう。いきましょう、シュリ」

 メタバースプロトコルの接続を解除したクレアは、シュリとともに実行犯の接続元へと跳んだ。


 着地したさきは、ある民間企業が社内ネットワーク管理のために設置した代理応答サーバであった。クレアは管理プログラムに捜査官権限で接続情報を開示させて足跡を辿たどっていく。設定があまい代理応答サーバや不正に侵入したコンピューターに、不正な通信を中継させることを踏み台ピヴォットポイントといい、踏み台を複数利用するのは、クラッカーが接続元を特定されにくくするための常套手段じょうとうしゅだんのひとつである。

 追跡ののちに特定されたのは、ブルックリンの一角にある集合住宅の一室だった。

 住人の名はファイサル・イムラーン・ラシード。SCUBAは襲撃時から接続されたままになっているが、一切の活動がみられなかった。慎重に侵入したクレアは、SCUBAがモニターしているバイタルを確認してため息をもらす。心拍数ゼロ、体温は室温とおなじ二十三度であった。


 クレアがメタバースプロトコルを接続して事件現場にもどると、データ処理に追われているはずのダニエルは、一件のデータをまえに腕組みしていた。

「ダニエル、実行犯とおもわれる人物が死亡しているのを発見したわ」

「そうか。こちらもみつけたくないものを発見してしまったようだ」

「どうしたの?」

「この死亡者リストにあるキース・ワッツ、本部にいる私の同期が捜査の際につかっている偽名とおなじだ」

「本部の方なのでしょう? ……たまたまおなじ名前なのでは?」

「そうだといいんだが、つい最近この街で出くわしてな。飲みにいこうと話したところだったんだ。そして昨晩メッセージがきた。本文がないままの」

 ダニエルはこまったような、くたびれたような笑みをうかべた。


 現実世界、植物のつるのように配置されたベンチが有名な連邦ビルまえの広場に、クレアの姿はあった。

 車椅子をとめた彼女は、最近では利用者のほとんどいなくなった喫煙エリアに、凶悪犯の逮捕にむかうような顔をむける。視線のさきでは曇り空のしたでダニエルが紫煙をくゆらせていた。

 クレアは振りむいていう。

「シュリ、ほおに手をあててもらっていいかしら」

 ええ、という返事とともにおとずれたぬくもりを、ひとみをとじてたしかめる。目をひらいた彼女はダニエルのもとへむかった。

「ファイサル・イムラーン・ラシードは、やはり彼のアパートメントで死亡していることが確認されたわ」

 自分にきづいて煙草たばこをけそうとした彼に、そのままでいいわよ、とつげる。片方のまゆをあげたダニエルがとおくに煙を吐きだした。

「死因は?」

「サイバーテロの直後、プログラムを誤作動させて、自身にも過剰な痛覚のフィードバックをおこしたみたい」

「随分と間がぬけているが、こういう場合も聖戦で戦死したことになるんだろうか。まあ、いずれにしてもやりきれない」

 ななめ上方にほそく吐息したあと、ダニエルがつづけた。

「わざわざそれをつたえにきてくれたのかな?」

「……ちょっと、そとの空気がすいたくなっただけよ」

 不機嫌そうに顔をそむけたクレアは、何度か深呼吸したあと、六角形の舗装タイルをみたまま口をひらいた。

「スタンレーさんのことは、……お気の毒だったわ」

 彼は目尻めじりしわをよせて微笑ほほえむ。くたびれたように、こまったように。

「気をつかわせてしまってすまない。やつとは数年まえ、私が捜査中にヘマをやらかして死にかけるまえに会ったきりだったんだが、ついこのあいだ偶然再会して、飲みにでもいこうと話していたところだったんだ」

 そう、と目をふせたクレアが彼をみる。

「そういえば、あなたのドリーはどこなの? みたことがないんだけど、まさか同行させてないとか……」

「いやいや。さすがにそれはない。私のドリーはあそこだ」

 ダニエルが頭上を指ししめす。広場にうえられた木の枝に緋色ひいろの鳥がとまっているのがみえた。

ファンという名前なんだが、気まぐれな奴でな。滅多めったにおりてこない」

 クレアは、凰の瞳が自分にむけられていることにきづいた。オニキスに似た輝きに見覚えがある気がして首をかしげる。

 翼をひろげると、凰は優雅に羽ばたいた。ながくうつくしい尾羽をなびかせ、またたく間に高みへとのぼる。

「またいっちまった」

 つぶやいたダニエルがクレアをみた。

「そうだお嬢ちゃん、見てもらいたいものがあるんだがいいかな」

「いいけど、なに?」

「テロに巻きこまれる直前にデニスがメッセージをおくってきていたんだが、データが添付されていたんだ。本文なしで」

 おくって、と応じて受信したデータをプライベートレイヤーに表示する。

「片方は秘密鍵ひみつかぎね」

「秘密鍵?」

「暗号化に用いられるものよ。公開鍵とペアでつかうものなのだけれど、公開鍵で暗号化したものは秘密鍵でしか復号化できないの」

「もう一方は?」

「ランダムな文字列にみえるけれど、公開鍵で暗号化されたものじゃないかしら」

「ええと、こっちの鍵でもどせるということかな?」

 ためしてみればわかるわ、とクレアはみじかいメロディーを口ずさむ。

「やっぱりね、中身は文字情報」

「なにがかかれている?」

「メタバース上にあるノードの座標をしめすロケーションデーターと日時。それからスカイブルーという単語」

 腕組みしてきいていたダニエルは、しぶい顔になった。

「デニスの奴、なにやら私に押しつけやがったな」

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