初演

     ★☆★☆★


 ダニエルのスーツは、型にいれたようにあさからくたびれていた。

 昨日とは別の柄なのでおなじものをきているわけではない。ジーンズのようなくたびれた加工があるのだろうかとクレアがなかば本気でかんがえていると、彼は割りあてられたばかりのデスクへと一直線にあるいてきた。

「おはよう。あー、えーっと……そうそうモリソン捜査官――」

「――モーリス、クレア・モーリス」

「モーリス捜査官、我々の担当する事件についておさらいしておこう」

 早口の切りかえしを歯牙しがにかける様子もない言動にうんざりしながら、クレアは口をひらく。

「ダニエル・バードさん。すくなくとも私はあなたの名前をおぼえていますが、おさらいが必要ですか?」

「夫兵形象水。水之形避高而趨下、兵之形避實而撃虚。

 水因地而制流、兵因敵而制勝。故兵無常勢、水無常形」

 昨日のうちに拡張現実にインストールしておいた翻訳アプリケーションが、ダニエルの言葉を逐一翻訳して映しだした。出典は昨日とおなじく孫子で、敵に応じて攻め手をかえる必要性を、地形によって流れをかえる水にたとえて説く言葉だ。

「また兵法ですか? それも捜査に関係が?」

「思い込みを排するために、我々はつねに柔軟にかまえておく必要がある。昨日と立場をかえよう。君から質問してくれ」

 ため息をひとつ。やはり会話が成立しない。

「なんについてたずねれば?」

「いつつのWだ。しっているかな」

「本件はいつおこりましたか?When did that happen?

「うん、さすがだな。昨日の午前二時だ」

どこでおこりましたか?Where did that happen?

「ブルックリン橋」

なにがおこりましたか?What happend?

「アスクレーピオス社の輸送車が襲撃され、二名のドライバーのうち、一名が死亡。輸送中の機械化義肢がぬすまれた」

誰がおこしましたか?Who did that?

「目撃証言からサウスカロライナのネオナチ組織41アライアンスのリーダー、ジョナサン・グリフィスとそのメンバーが目下のところの被疑者だ」

どんな風におこりましたか?How did that happen?

「実行部隊による襲撃と、それに前後した交通管制システムに侵入したクラッカーによる被害車両の誘導、および足跡の消去。実に念がいっている」

「では、なぜおこりましたか?Why did that happen?

「目的は不明だが、生存者の証言からやつらのいう聖戦に対する備えだとおもわれる。我々の現状把握に誤りはないだろうか。情報の信頼性から事実だと断定できることはどれだ?」

 やっぱり昨日とおなじじゃない、反感をおぼえたところに差しこまれた質問が、ちがう視点から思考を動かしはじめる。

「交通管制システムに侵入があった時刻と、複数の目撃証言から、時刻と場所はまちがいなく事実だとおもわれます。ただ……」

「ただ?」

「すべてをうたがうとするなら、被疑者、およびその目的についてはいずれもひとりの生存者からえたものですから、誤りがあった場合には、どちらもくつがえることになります」

「素晴らしい。誰がWhoなぜWhyは、うたがうだけの余地があるということになる。ではつぎだ。我々の目的は被疑者の逮捕だが、それをおこなううえでの問題はなんだろう」

「ジョナサン・グリフィスとその一味を被疑者と特定するには証拠が不足していることと、彼らの潜伏先がわからないことです」

「そのとおりだ。まったくもって君は完璧かんぺきだな。ではいこうかモーリス捜査官」

「ちょっとまってください。どこへいくんですか?」

 クレアは昨日とおなじ調子で背中をむけたダニエルを呼びとめる。話がつうじない人間を暴走させておくわけにはいかない、シンプルな結論を胸にひめて。

「物流大手のユナイテッド・トランスポートとNYCキャブだ、犯行時刻のころに現場ちかくを走行している車両があれば、ドライブレコーダーに奴らの車両がうつっている可能性がある」

「そうですね。犯行につかわれた車両が特定できれば重要な手がかりになるでしょう。ですがその前に三十分だけ時間をいただけませんか」

「無論かまわないが?」

「昨日捜査を拝見して感じたのですが、枝葉末節にこだわりすぎているとおもいます」

「というと?」

「現在あきらかなのは、企業のトラックが襲撃されて一名が重傷をおって一名が亡くなり、犯人はサウスカロライナのネオナチかもしれないということです。腕のたつクラッカーが犯行を幇助ほうじょしているでしょう。実行犯はうばおうとした貨物を紛失したのかもしれません。ですが、そういったことを捜査するのは時間の無駄です。ジョナサン・グリフィスをとらえて聴取すればあきらかになることですから」

「なるほど。では奴をとらえるためにはどうすればいい?」

「アルゴスをつかいます」

「あのシステムは一ヶ月ほどまえに奴らを見失ったようだが」

 アルゴスとは、先進各国がテロリズム対策として極秘裏に共同運営している世界的規模の監視ネットワークだ。ギリシャ神話にでてくる全身に百の目をもつ巨人の名を冠したこのシステムの中心には、街頭の防犯カメラから郵便、音声通話やソーシャル・ネットワーキング・サービスにいたるまで、監視対象に関連する情報を一元集約、蓄積しつづける途轍とてつもなく巨大なデータベースがある。

「彼らのものと特定された携帯電話やウェブサービスのアカウントしか監視対象になっていませんでしたから。それを使用しなければ監視をのがれられます」

「ごろつきと大差ない連中がなぜ監視にきづき、対策をこうじることができた? 奴らを手助けしているクラッカーが――」

「――バードさん。それはおいておきましょう。アルゴスに記録された彼らの過去の通信履歴を解析して特徴量を抽出します。それを監視トリガーに設定すれば、彼らの通信を拾いあげられるはずです」

「君の本領発揮というわけだ」

「ええ」

「了解だ。ではお手並み拝見といこう。三十分でいいのかな」

「十分です」

 クレアはシュリとともに接続室ダイヴセンターにむかう。自身のもとに引きよせた主導権イニシアティブ手応てごたえをたしかめながら。


 その施設は、捜査局占有フロアのほぼ中央にある。

 電子攻撃や盗聴にそなえて幾重にもかまえられたシェルの内側にみちるのは、三百六十五日二十四時間をつうじて完璧に調整された静謐せいひつな空気と仄暗ほのぐらやみだ。

 みあげるほどの高さのある円形の空間では、書架のごとく壁を埋めつくしたサーバ群のフロントパネルのライトが、蛍に似た不規則な明滅を繰りかえし、フロアには二メートルほどある楕円体だえんたいの構造物が数十、充分な余裕をもっていくつかの島にわけて配されているが、それらが圧迫感を感じさせないほどの広さがある。

 リクライニングチェアを背後から卵の殻でつつんだようなその構造物は、軍用規格の同期構成型SC共通ブレイン・コンピューター装置UBAだ。

 ヘッドフォンと大差のないサイズまで小型化をとげた家庭用とは正反対の形状は、圧倒的な処理能力と強固な防衛機構をそなえた結果であり、高性能なSCUBAによる電脳空間への接続と、数百のノードからなるクラスタ型サーバの比類なき演算能力を提供することが、この接続室がダイヴセンターとよばれる所以ゆえんである。

 これらの設備を使いこなすには熟練したスキルが必要となるため、普段はオペレータ以外に立ちいるものはなく、騒々しい外界から隔絶されているが、今日はめずらしい顔ぶれよって島のひとつが占領されていた。DTSである。

 彼らが共有した視界には低層プロトコルによる味気あじけない仮想現実空間がひろがる。蜂の巣ホーネッツネストという名のとおり、無数の六角柱が寄りあつまって巨大な球体を構成したクラスタ型サーバの威容のまえでは、その手前に表示されたクレアとシュリをしめすポインタは、いかにもちっぽけにみえた。

『さすがにみんな興味津々ですね』

『当然でしょう。期待の新人が本領発揮するっていうんだから』

 DTSの共有レイヤーでニーナと音声で会話しながら、トラヴィスはクレアのプロフィールを展開する。

『クレア・モーリス二十歳、とにかく経歴が特殊ユニークです。十五歳のときに重傷をおって入院しているんですが、十七歳で在院のままマサチューセッツ工科大学MITの通信課程にソフトウェア工学専攻で入学、飛び級して十九歳で卒業すると同時に連邦捜査局に応募してきています。電脳捜査や電脳情報戦のなみはずれた技術や実績を評価され、二十六歳以上という年齢規定と三年以上の勤務経験、さらには身体能力試験を特例として免除するかわりに提示された、通常をはるかにうわまわる難易度の採用試験を見事に突破』

『政府の情報システムにサイバーテロをしかけたクラッカー集団ステルス・スカル・ソーシャル・クラブの殲滅せんめつ、大手電子商取引サイトから数百万件のカード情報をぬすんだクラッカーの逮捕、国内でも大規模な感染を引きおこしたコンピューター・ウィルス、ハイドラの作者特定。研修期間中のおもだったものだけでも相当の業績ね』

 トラヴィスはニーナとの会話を直通P2Pに切りかえる。

『……姉御、きいてもいいですか?』

『わかることなら』

『彼女、どうやってコマンド入力するんです? 手足が、その……』

『しらないの?』

『有名なんですか?』

『かなりね。自慢できるわよ? 彼女の初演をきいたって』


 シュリに指示してコマンドのバインドと感覚のフィードバックを有効にしたクレアは、まぶたをとじて頭のなかでおこなっていた譜面の確認、命令群スクリプトの構成をおえた。

 研修期間中にあつかったので、ヴァージニアの捜査部門本部とおなじモデルの蜂の巣ホーネッツネストの使い方は熟知している。あのけたはずれな演算性能にふたたびふれられるのだとおもうと、気持ちがたかぶった。

 電脳空間にいながら、先輩捜査官たちの視線を感じた。かつて何度もむけられた観客や審査員たちの目と、ステージの緊張を思いだす。おなじだ。失敗はゆるされない。覚悟をきめてひとみをひらいた。

 クラスタ型サーバをしめす巨大な構造体をみあげる。昔とちがうことがひとつだけあった。シュリがすぐそばにいることだ。ふ、と緊張がゆるんだ。息をすう、花の香りをかぐ程度に。

 呼気とそれにともなう声帯の振動、および胸郭や鼻腔びこうといった体内での共振。絶え間ない訓練により最適化され、完璧に制御されたそれらの調和が、自身の体躯たいくという唯一無二の器によって個性づけられ、しかるべき結果をもたらした。かがやくばかりのソプラノである。

 電脳空間に演算された、さそいかけるようなメゾピアノの歌声で、バインドされたコマンドが発行され、サーバシステムが応答した。たしかめるように数度のやりとりが繰りかえされる。

 上々の反応だった。コマンドによる命令を受けとって伝達する指揮者フロントエンドも、それにこたえて処理を実行する団員ノードたちも、適切に設定されている。よい交響楽団システムだ、クレアはうなずいた。

 ソリストとして演奏をみちびく。導入部イントロダクションをおえて、アリアの主題を提示する。複雑さをました旋律が多層構造のニューラル・ネットワーク構築の指示し、各ノードの稼働率が跳ねあがった。

 テロに巻きこまれて重傷をおい、数ヶ月間さまよった生死の境から奇跡的に生還したクレアを待ちうけていたのは、愛する人たちの死や体のほとんどをうばわれ、脳の一部までも損傷したという過酷な現実であった。

 遺伝学やナノテクノロジーの発展によって人体の解析はすすみ、入出力仕様が完全に解明された脊髄せきずいが代替すら可能になったこの時代においても、脳はブラックボックスであり続けた。うしなわれた体の機能を回復できないとしったクレアは、数年にわたる血のにじむようなリハビリをへて、絶望のふちから羽ばたいた。たったひとつ残された歌声にコマンドを関連づけ、電脳空間を自在にける翼として駆使することによって。

 コロラトゥーラ、はなやかで装飾的なフレーズを歌いあげる。アルゴスから取得する監視データの条件を指定し、データの転送が完了したらニューラル・ネットワークで特徴量の抽出を開始するよう指示をだす。

 速度と複雑さをまして、超絶技巧とよぶにふさわしい旋律が紡がれていく。指揮者フロントエンドが懸命にその意図をみとり、団員ノードたちは歯を食いしばってこたえる。人とコンピューターの奏でる協奏曲が、41アライアンスのメンバー十数名がおこなった数年間分の通信記録すべてという膨大な量の情報を咀嚼そしゃくし、飲みこみ、それらに共通する特徴を抽出していく。


『すげえ……』

 感嘆がDTSの共有レイヤーにこぼれる。きこえてくる歌声と眼前で繰りひろげられる光景に、トラヴィスはただ圧倒されていた。

迦陵頻伽カラヴィンカって、きいたことない?』

噂話ネットロアですか? だれもみたことがないとか、たえなる歌がきこえるとかっていう。――もしかして?』

『彼女が電脳空間で活動をはじめた時期と、その話がひろまった時期って、完全に一致してるのよね。本人はみとめないみたいだけど』

『なるほど。なんにせよDTSは、引く手あまたの超級ハッカーをむかえる幸運をえたわけですか』

『ええ。そういうことになるわね』

 それで、とひと呼吸おいたトラヴィスは、

『彼女、どうして捜査官なんです?』

『気になる?』

『気にいらないっていうんじゃないです。ただ、彼女のようなケースは通常、情報官オペレーターでの採用ですよね? 年齢にしても就業経験にしても、それから体のことにしても、特例の固まりじゃないですか』

『彼女ね、もともとMIT在学中に情報官としてスカウトされていたのよ。ところがそれを辞退して、捜査官の一般採用枠に応募してきた。身体的ハンディキャップのある捜査官が、万年まんねん人手不足の捜査局の激務をこなしていけるのか。侃々諤々かんかんがくがくの議論があったそうよ、当然のごとく』

『そりゃまあ、そうなりますよね』

『結論としては、身体的フィジカルな部分を免除するかわりに、別の規定レギュレーションの難易度をあげる、ということで採用試験と教育過程をうけたんだけど、彼女は、アカデミー卒業まで首位を維持しつづけたそうよ。同期からのやっかみやら嫌がらせやらをあびながら』

『まあ、言いがかりのつけようもなさそうですけどね、これをみせられたら』

『そういうこと。証明すればいいのよ、自身の有用性と可用性を。……とはいえね』

 ふ、と彼女の声音に素顔がのぞく。

『極楽鳥ってしってる?』

『いえ。うつくしい鳥ですか? やっぱり』

『そうね。うつくしいわ、とても。ニューギニアの鳥なんだけど、足をきった状態で剥製はくせいにされていたから、ヨーロッパではながらく、地面におりることのない鳥だとしんじられていたの』

『それで天国の鳥、ですか。なるほど』

『やすむことをゆるされない鳥は、ひたすら飛びつづけ、風のなかでねむる。ただ一度だけ地面におりるのは、命がおわるとき。そういうのは好きじゃないのよ、あたし』

『……姉御』

 ああ、ごめんなさい、とニーナはあかるい調子で、

『しめっぽい話がしたいわけじゃないのよ。結果にこだわるあまり、発想に柔軟性がなくなるのは考えものだわ。ねえ、ダニエル』?

『……ん? すまない、きいてなかった』

『めずらしく寡黙ね。歌に感動した?』

『ああ、そうだな。まさに天使の歌声だ』

 ダニエルの視界にメッセージの受信がつげられる。

『Are you listenin'?(聞いてる?)』

 ファンと差出人にしるされたテキストをよんだリチャードは、もちろんだ、とつぶやく、誰にもきこえないほどのかすかな声で。

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