朝の住宅街

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 あさまだきの町にみちた爽涼そうりょうな空気は、ふたりが散歩をおえるころには陽にあたためられ、生活の香りを漂わせはじめていた。

 マンハッタンから電車で四十分ほど距離にある瀟洒しょうしゃな住宅街だ。ゆったりとした敷地をもつ緑にかこまれた低層の住宅が、さくでしきられることもなく道にそってならんでいる。

 クレアはとなりをあるくシュリをみあげた。

「おもったんだけど、やっぱり家に手をいれるわ」

「ご両親がのこされたものですから、現状が維持できるならそうした方がよさそうにおもえますが」

「いまのままじゃシュリが大変よ。すくなくともバスルームはリフォームして、部屋の段差もなくしましょう」

「承知しました。二、三業者をピックアップしてみます」

「ええ、おねがい」

 まえから中年男性ふたりのジョガーがちかづいてきた。おだやかに笑みをかわしてれちがう。アジア系と白人だ。友人にしては親密な雰囲気だが、このあたりでは取りたててめずらしい光景ではない。治安のよさと教育レベルの高さ、そしておおらかな空気が、クレアの両親にこの町に居をかまえることをえらばせた。

 数分の距離にある公立の小学校のあたりまで足をのばした帰りみちだ。事件に巻きこまれることになった高校時代のあの日の朝と、今日の景色のあいだに違いがあるとすれば、五年の月日だけだとおもえた。

 自宅ちかくまでもどってくると、はすむかいの家の前庭で、わかい男性が花壇の手入れをしていた。

 物音にきづいたのか男性がかおをあげる。シュリとはことなる透明をたたえたひとみの青さが印象的だ。早い者勝ちですきなものをとっていいといわれ、みんなが選びおえるのを待とうときめたような笑みがうかんだ。

 挨拶あいさつをかわしたあと、クレアが言葉をつぐ。

「スミスさんのお孫さんかしら」

「僕はセシル、セシル・ハーマンだよ。スミスさんって?」

「その家におすまいじゃないかしら、スミスさんご夫婦」

「きっとまえにすんでいた人だね。僕は一年くらいまえに越してきたんだ、クイーンズから」

「そう……」

 五年まえとちがっていることをみつけた。あのおいしいブルーベリーパイをやく老婦人と、やさしいピアノをかなでる老人は、ここにはもういない。

「もしかして君、最近その家に引っこしてきた?」

「ええ。元々この家にすんでいたの」

「そうなんだ。……あの、は、花は、きらいじゃない?」

「お花がきらいっていう人の方がめずらしいんじゃないかしら」

「よかった……。もし嫌じゃなければ、花をおくりたいんだけど、どうかな。花屋なんだ、僕」

「ありがとう。いただけるならぜひ。すてきなお仕事ね」

「しあわせな職業だとおもう。植物は、ちゃんとこたえてくれるんだ、手をかけた分だけ。鉢植えと切り花ならどっちがいい?」

「できれば鉢植えを。きられるのはかわいそうだわ」

 あ、でも、とセシルが口ごもった。パズルのピースをさがすように、丁寧に言葉がつむがれる。

「世話が必要になるけど、……負担じゃない?」

 なるほど、と合点したクレアは罪悪感を刺激しないよう、会話をみちびく。

「シュリ、お花をいただいたらお世話をおねがいできる?」

「もちろんかまいません」

「ありがとう、シュリ」

「じゃあ、二、三日くらい時間をもらっていいかな。ちゃんとつくりたいんだ、その、……なるべくいい鉢植えを」

「楽しみがふえたわ、ありがとう」

「期待にこたえられるようにがんばる。あ、えーっと……」

「クレア・モーリス。クレアでいいわ」

「じゃ、じゃあクレア、また。鉢植えができたら、とどけるから」

「またね、セシル」

 セシルとわかれて、ふたりは家へむかう。

「なんだかいい人そうね」

「温厚そうな印象をうけました」

「温厚な花屋さん、理想の隣人ね」

 家に入るまえに振りむくと、ぼんやりとクレアの方をみていたセシルが雷にうたれたように飛びあがり、ほおをそめながらひかえめに手をふった。

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