第28話 マニへの手紙
家に帰ると、玄関でマニが待っていた。
「お帰りなさいましお嬢様。お早いお帰りですね」
あまりにもいつも通りの対応に、アンビカは拍子抜けしてしまった。
「ただいま」
それだけ言って、マニの前に立つ。真っ直ぐに目線を合わせ、まずはアンビカが単刀直入に切り出した。
「辞めるなんて、許さないんだから」
するとマニの眉尻が下がり、もの言いたげに口をもぐもぐさせた。アンビカがマニを困らせると、彼女は良くこんな表情を見せる。構わずアンビカは言葉を継ぐ。
「マニ、あなたがいないと困るわ。辞めてもらうなら別の者にする。あなたは残って、お願いよ」
最後は懇願になっていた。マニは更に困った様子でうつむくと、もじもじしながらぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「お嬢様、マニはお嬢様と一緒にいられて楽しゅうございました。今でもお嬢様の事が心配でなりません。できれば一緒に居たいと思っております。でも──」
マニは一通の手紙を差し出した。アンビカはそれを受け取るとざっと目を通した。
それはマニの娘からの手紙だった。彼女の夫が亡くなり、子供を育てながらの仕事にとても苦労していること。祖母、つまりマニの母が病で看病が必要なこと。一日も早く帰ってきて力になって欲しいという切実な内容だった。
「失礼ながらこのマニにとっても、お嬢様は我が子のように大事です。ですが、今は本当の家族がこのように困っております。どうかこのマニに暇を与えて下さいまし」
大きな体を小さく丸めてマニは頭を下げた。アンビカは何も言えなかった。家族同然と思っていたが、彼女には本物の家族がいて、彼らから今まさに必要とされているのだ。
寂しかった。ただ無性に寂しかった。マニは家族などではない。その事実を突きつけられた気がした。
「──分かったわ。好きになさい」
それだけ言うと、踵を返しアンビカは部屋へと戻る。縮こまったマニはその背中を黙って見送るだけだった。
アンビカは乗馬服に着替え、遠乗りへ出かけた。草原沿いの道を走り、林の中へ入る。木漏れ日がアンビカとクインに降り注ぎ、きらきらと輝いていた。クインの歩みを緩めると、小鳥のさえずりがあちこちから聞こえてくる。
「クイン、少し休みましょう」
愛馬から降り、川辺の木陰に座った。クインに水を飲ませ、自分も水筒に入れた紅茶を飲む。
のどかな昼下がりだ。初夏の緑が目に鮮やかに映え、川面がきらきらと光輝く。アンビカは靴を脱ぎ、冷たい水に足を浸した。
『ほらほら、お嬢様。お体が冷えますよ』
子供の頃、庭の小川で水遊びをしていると、必ずマニが飛んできてふかふかのタオルで手足を拭いてくれるのだった。いつでもマニは彼女の傍に居てくれる。そんな存在だった。
しかし彼女には血のつながった本当の家族がいる。アンビカにとってどんなに近しい存在であっても、所詮は雇用関係でしかないのだと、改めて気が付かされた。
キルフに関してもそうだ。どんなに親しく信頼し合っていても、そこには彼の財力や地位が前提にある。アンビカにとって打算なしの関係など、なかったのだ。
マニに対してもキルフに対しても、みるみる気持ちが冷めていくのをアンビカは感じていた。
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