第27話 遅く起きた朝に
翌朝、アンビカは遅い時間になってもベッドに横になっていた。どこか具合が悪いわけではない。何となく気持ちが沈んで、起きたくなかったのだ。
普段ならこんな時、マニが起こしに来てくれる。心の中でアンビカはそれを待っていたのかもしれない。
しかし、今日に限ってマニは一向に姿を見せてはくれなかった。アンビカは諦めてベッドから出て着替えを済ませると、一階のホールに下りていった。
「おはようございますお嬢様。ご朝食の準備はできております。召し上がりますか?」
執事のルーティスがにこやかに出迎える。マニの姿はそこにはない。
「頂くわ。有り難う。……マニは?」
尋ねれば、ルーティスの顔が僅かに曇る。
「マニは、郵便局に出かけております」
郵便局に行くのはマニの仕事ではない。では、私用で出かけたという事だろうか。
「ふうん」
気のない返事を返して、アンビカはテーブルに着く。熱い紅茶が運ばれてきた。アンビカの紅茶はマニが淹れてくれるのだが、今日は違った。猫舌のアンビカには少し熱すぎる。
「先程ルドラウト氏からお電話がございました。もしお時間があれば折り返しご連絡を頂きたいとの事でした」
ルーティスの言葉にアンビカの胸が高鳴る。先程までどんよりと落ち込んでいた気持ちが少し晴れた気がした。
急いで食事を済ませると、アンビカはキルフのオフィスに電話をかけた。キルフの声は相変わらず優しい。北方の訛りがあるのもアンビカにとっては耳に心地良かった。
「折り返しのお電話ありがとうございます。もしお時間があれば美術館でもどうかと思いまして」
聞けばアンビカが好きな彫刻家の個展のチケットがあるそうだ。丁度行きたいと思っていたところだったので、一も二もなく承諾した。
「それじゃあ今から準備するから、11時に迎えに来てくれる?」
マニがいないので髪をまとめるのも服を着替えるのも一人で済ませた。他の侍女が手伝おうとしたが、慣れない者に触れられるより自分でやったほうが気が楽だ。
迎えが来るまでにマニが帰ってこないかと期待して待ったが、結局家を出るまでに彼女は戻らなかった。
***
アンビカとキルフは、時間をかけてじっくりと作品を堪能した。人気のある作家のため、館内はかなり混雑していたが、急ぐ必要がない二人は人の波を避けて自分たちのペースで鑑賞していった。
その後、美術館の中に併設されたカフェで軽い昼食をとる。新都心の美術館らしい、ガラス張りのスタイリッシュなカフェだ。昼時という事もあり、こちらもかなり賑わっていた。
「誘ってくれてありがとう。丁度気分転換したいところだったの」
「それなら良かった。誘った甲斐もあるというものです」
キルフは笑顔でそう答えたが、どことなくいつもと雰囲気が違う。何かこう、遠慮するような空気があった。
「どうかしたの? 何だかいつもと違うけど」
何気なく聞くと、キルフは気まずそうに視線を逸らした。彼には珍しいことである。
「お父上からは何もお聞きではないですか?」
「父から?」
嫌な予感がした。昨日侯爵と話した件だろうかと胸がざわめく。
「侯爵からご融資の話を頂きました。ですが、お力になる事ができなくて……」
融資を断られたのだと知って、アンビカは少なからずショックを受けた。父が昨夜言っていたことが、ますます現実味を帯びてきた。
「あなたが大変な時にお力になれないのが申し訳なくて……すみません」
キルフは頭を下げた。アンビカは訳も分からず怒りが込み上げてきた。
「謝らないでよ。銀行に借り入れを快諾されたくてあなたとこうして付き合っているわけじゃないわ!」
口に出して初めて自分の怒りの理由が分かった。はじめからキルフの財力が目当ての縁談ではあった。だが、今はそんなことは抜きにして良好な関係を保っていると思っていたのだ。
「僕だってそうです。ただ……」
キルフはうろたえていた。今までにこんな風に頼りなく感じたのは初めてだ。
「──すみません。失礼な事を言いました」
結局は素直に謝られて、会話は途切れた。アンビカは食べかけのパンケーキをそのままに席を立つ。
「帰るわ。さよなら」
そうして客待ちをしていたタクシーに飛び乗り、一路自宅へと戻った。
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