第11話 侯爵の来訪
「侯爵、いらっしゃいませ」
司祭は優雅にお辞儀をする。ドリアスタ侯爵は小さく
「突然の訪問失礼しました。少しお時間を頂けますかな」
物言いは丁寧だが、その口調はやや高圧的だ。少し離れてその様子を見ていたイアラは、僅かに眉根を寄せた。いつものことではあるが、皇子たる司祭に対しての態度ではない。
「勿論です。どうぞ、控室へ」
数日経ってもまだリシュアの訃報から立ち直れずにいる司祭は、か細くかすれた声で入室を促した。そうして紅茶を煎れようとする。
しかし、手慣れているはずの工程がまるで思い出せない。思い出さなくとも体が覚えているはずなのだが、今は全く動けずに立ち尽くすしかない。
「司祭様、私が」
異変を察知して、イアラが動いた。ソファに座ったドリアスタ侯爵は、その様子を半眼で眺めている。
「件のパレードでの暴挙に関しましては、元老院の方にも軍の方から正式に謝罪がありました。しかしそれだけで済むとは私は思ってはおりません」
パレード、という言葉にびくり、と司祭の肩が揺れた。それだけで済まない、とはどういう事だろう。責任を取らされたリシュアは遠い地で戦死したというのに。司祭の目が再び潤んでくる。
「侯爵様、紅茶をどうぞ」
割って入るように、イアラは紅茶とそして甘さを抑えたココアクッキーを差し出した。貴族の割にいかついその手から気取ったステッキを取り上げて、後頭部を殴打してやりたい想いを必死で抑えながら。
「司祭様も、どうぞ」
わざと明るい声で司祭の前には紅茶とオレンジピールの入ったパウンドケーキを置く。司祭の好物の一つだ。
「ありがとうイアラ」
イアラの心遣いに、司祭はぐっと涙を堪えて微笑んだ。そうして侯爵に向き直る。
「私はこれ以上軍と事を荒立てたくはありません」
司祭はきっぱりと言い放った。細められていた侯爵の目が見開かれる。そうして鋭い眼差しで司祭をねめつけた後、強い口調で告げた。
「軍はこの神聖な寺院に武器を携帯して乗り込んできたのです。何十という戦車もその砲塔を向けました。謝って済む話ではありますまい」
「目的は私の両親へ花を手向ける事でした。それに事実何も被害はありませんでした」
「本当に何もなかったのですか。あれだけの大騒ぎを仕掛けて、献花だけとは解せません。他に何かされたのではないのですか」
このやりとりは過去にも何度も繰り返されていた。司祭は首を横に振る。
「とにかく何もなかったのです。ただし、これだけは言えます。もしも軍が本気で
本心だった。あの時軍の圧倒的な武力、そしてインファルナスという究極の武器を持つ軍を、司祭は心底恐ろしいと思った。自分が攻撃されることがではない。イアラやロタ達を守りきることができないという事が、恐ろしくまた口惜しかった。
あれを率いていたのがリシュアでなかったとしたら、今頃彼らはどうなっていただろう。思わず身震いをする。
それを見たドリアスタ侯爵は、黙り込んで紅茶を口に運んだ。確かに今軍を敵に回すのは得策ではない。内乱を収めつつある今、政府の支持率は上がっている。そして前線に割いていた兵を帰還させることで、軍備にも余裕が出てきただろう。万が一争いになった場合、戦いに慣れていない貴族の私兵達が敵うとは思えない。
「分かりました。では今回は貸しという事にしておきます。穏便な方法で済ませましょう」
ほっとした司祭が頷くと同時に、侯爵が再び口を開いた。
「不問とする代わりに、ミサの再開を認めさせます」
思わず顔を上げた司祭の目を、侯爵の鷹のような目が見つめ返していた。
「ですがそれは……」
「戦況も落ち着いてきました。今、人の心は信仰から離れつつあり乱れております。偉大なるルナスの神に祈る事を皆忘れているのです。これは由々しき事ですぞ」
司祭の目から見る見る光が消え失せていった。また、あのような日がやってくるのか。軍に脅かされ、貴族に強要され、この寺院の中で利用されるだけの日々が。
「……分かりました」
どうしようもない。いや、どうでもいい。そう思うくらいに司祭の心は弱っていたのだった。
侯爵は頷き僅かに口角を上げると、クッキーを齧り紅茶を口にした。
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