第25話 いかに甘かったか

 カトラシャ寺院の警備兵たちは、TVの中継を見てパニックに陥っている。

 しかし、当の司祭たちは極めて落ち着いていた。寺院の大きな門にはかんぬきをかけ、礼拝堂の中には鉄条網を張り巡らせてある。そうして祭壇の前にベンチを積み上げバリケード代わりにして立て籠もっていた。

 いざという時のためにイアラはフライパンを、ロタは竹箒を、司祭は短い竹槍を手にしている。


「外が賑やかになってきましたね」


 ロタがやや緊張した声で、司祭に話しかけた。寺院の門の前には、百数十という兵士が集まってきているのだ。その軍靴の音とざわめきは、当然礼拝堂の中まで響いてくる。司祭は安心させようとするかのように、ロタとイアラの髪をそっと撫でた。

 次いでのこぎりの音が聞こえはじめた。かんぬきを切断している音だろうか。十数分後、門が開かれる音がして、何十人もの兵が寺院の庭に押し寄せる気配がした。司祭達は薄暗い礼拝堂の中で、息を殺して外の様子をうかがう。


 ガチャリ、と音がして礼拝堂の扉が開けられようとした。開けられはしない。扉は太い鎖で封じてある。そう司祭は自信を持って鎖を見つめた。しかしその自信も、すぐさま裏切られることになる。


 扉の僅かな隙間からボルトカッターの刃が覗き、まるで柔らかいバターを切るかのように、鎖を切断してしまったのだ。石の床に鎖が滑り落ちる冷たい音が、礼拝堂に無情に響き渡る。


 ここで司祭はようやく焦りを感じ始めた。兵の数以前の問題だった。こんなにも短時間のうちに、易々と侵入を許してしまうとは思ってもいなかった。いかに自分が世間知らずで甘かったかを思い知ることとなったのだが、それももう今更の話である。


 ゆっくりと扉が開かれ、外からの光が差し込んできた。その光を背に立っている人物がいる。兵を中庭に控えさせ、一人礼拝堂へと乗り込んできたのは、カスロサ・リシュア中尉だ。

 逆光になっているその表情を伺い知ることはできない。

 中尉はボルトカッターで、太い鉄条網をも切り裂いた。そして用なしになった工具を床に投げ捨て、そのまま祭壇の方へと真っ直ぐに進んでくる。


「司祭様!」


 中尉の低い声が礼拝堂に響き渡った。その時司祭は初めて中尉を恐ろしいと思った。普段は温厚で優しかったが、過去には傭兵として鬼神の如き戦いをしたとも聞いている。


 ガタガタと音を立てて、バリケードにしていたベンチが片づけられていく。あっという間に最後の砦も崩されて、残るは祭壇のみとなった。じりじりと追い詰められていく、焼けるような感覚を司祭は感じていた。


 その時。


「やいやいやい! お前なんかおいら一人で充分だ! かかってこい!!」


 満を持して、といった様子で祭壇の中からロタが飛び出した。竹箒を構えて振り回す。慌ててイアラと司祭がその後を追う。

 司祭は二人の子供を自分の後ろに押しやって、真っ直ぐ中尉へと歩み寄った。その手には竹製の短い槍が握られている。


「私に御用ですね。子供達には構わないでください」


 ぎこちない姿勢で槍を構えた。声が震えないように。手が震えないように。

 その姿を見て中尉は苦笑を漏らす。そうしておもむろに取り出したのは。


「……インファルナス」


 司祭は蒼ざめた。焼失したと思っていた宝剣が軍の手に渡っていた事。それが今己の前に立ちはだかる兵士が持っている事。

 万が一大勢の兵を相手に抵抗するようなことがあったとしても、自分の回復力ならなんとかなると司祭は思っていた。しかし天女を殺せるという武器が目の前の敵の手に握られている。


 そもそも本当のことを言えば、これだけの兵と相対する事になるという実感が、司祭にはなかったのかもしれない。覚悟だけではどうにもならないことがある。

 あとはもう絶望しかなかった。


「私は本日、軍を代表して参りました」


 中尉の口調は静かだ。司祭は槍を構えたままその顔を睨みつける。自分の身がどうなろうとも子供達だけは守る。そう固く心に誓って。

 続いて中尉が取り出したのは紙の筒だ。何かの書状が入っているのだろう。インファルナスで脅されても、軍が何を要求してきても、応じるつもりは一切ない。


 そんなことを考えながら、改めて目の前の軍人に目をやった。

 いつもはふわふわと綿あめのように肩まで伸ばしていた髪が、今は後ろできつく結ばれている。前髪も上げてきっちりと撫でつけられていると、顔の印象まで変わるようだ。

 そしてその身を包む制服は、普段のようにラフに着崩されてはいない。金の肩章の房が揺れる、紅の豪奢なパレード用に仕立てられた制服は、彼のためにデザインされたかのように良く似合っている。

 凛々しい目をしたこの軍人は、今なら迷いなく自分を手にかけようとするのだろう。恐ろしいはずなのに、一方で何故か胸が熱くなった。自分の気持ちが分らなくなる。


 中尉が動いた。手にした筒の蓋を開け、中から何かを取り出したのだ。

 彼が取り出して差し出したもの、それは──。


「亡きご両親に深い追悼の意を」


 リシュアの手の中には2本の紅い薔薇があった。

 司祭の目が大きく見開かれる。じっと薔薇を見つめ、再びリシュアに視線を戻すと、そこには慈愛に満ちた笑顔があった。

 状況が飲み込めずに暫くぽかんと彼の笑みを見詰めた。それはいつものリシュアのものだった。訳が分からないままに、司祭の中で緊張がほぐれていくのを感じた。


「……追悼にはルニスの花を添えるのですよ」


 司祭もつられて微笑んだ。その顔は泣き笑いにも見える。


「ルニスの花は苦手です」


 それだけ言うとリシュアは司祭の手に薔薇を手渡し、踵を返して礼拝堂を後にした。あまりの予想外で急な展開に、声をかけることも追うことも忘れ、残された3人は拍子抜けしたようにただ立ち尽くすだけだった。


***


 再びパレードを率いて来た道を戻り、ロータリーで一旦行進を止めた。寺院に入る事が出来なかったTVのレポーター達が、こぞって質問を投げかけてくる。


『何故予定と違うコースをお取りになったんですか?!』

『寺院で一体何があったのですか?』

『司祭様にはお会いになられたのでしょうか?』


 それらの質問にリシュアは眩しい笑顔で一つ一つ答えていった。


『コースを変えたのは私の独断です。司祭様にお会いして献花をして来ました』

『コースを変えてまで献花をする必要が?』


 その質問に中尉はカメラに向かって穏やかな笑みを見せた。


『今年は皇帝陛下、皇后陛下の崩御から20年目です。軍を代表して献花をするのがそんなにおかしいことですか?』


 その一言にTVを観ていた中将は頭を抱えた。


「あいつめ……」


 自分が言った言葉を逆手に取られて、ぐうの音も出ないといったところだ。

 パレードはそのまま予定通りのコースに戻って、1時間遅れで終了した。

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