第23話 この感情に名を付けるなら

 運命の日はいよいよ明日。司祭が保護していた子供たちは避難させた。しかし──


「司祭様、お食事ができました」

「裏庭の木戸の補強は終わりましたよ。残りは食事の後に仕上げてしまいます。軍の奴らが入ってこられないようにがっちり打ち付けなきゃいけないですからね」


 イアラとロタは頑として避難を受け入れなかった。


「イアラ、ロタ。あなた方まで巻き込んでしまうわけにはいかないのです。今からでも施設に避難してください」


 司祭が懇願するが、二人は揃って首を横に振る。


「私たちはいつだって司祭様と一緒です。私たちが避難するというなら司祭様だって」


 何度も繰り返された会話。さすがに司祭も根負けしてしまった。いくら軍が狡猾でも子供に手を出すようなことはないだろう。いざとなれば彼らの身の安全を条件にすることはできる。その結果交渉が不利なものになってしまったとしても。


「分かりました。では食事に致しましょう」


 ダイニングで3人だけの食事が始まった。たくさん居た子供たちがいなくなった寺院はひっそりとしている。手間暇かけた夕食も心無し味気なく感じた。3人とも同じような思いだったが、互いに知られないようわざと明るく振る舞うのだった。


 その時、ためらいがちにノックの音が響いた。このドアを今ノックしてくるのは一人しかいないはずだ。


「どうぞ、お入り下さい」


 司祭は押し殺した声で返した。静かにドアが開く。

 そこには固い表情のリシュアが立っていた。


「……何かご用ですか」


 今更話す事などない。司祭の表情はそう語っていた。


「最後に私からもお伝えしなければと思いまして」


 司祭は無意識に首を傾げた。逃げろという話ではないようだ。

 リシュアは一度うつむき、数秒間地面を見詰めた後に顔を上げた。その表情に最早迷いはない。


「明日私は一軍人としてここを訪ねます。あなたへの気持ちや、ここで過ごした日々はなかった事にして、です」


 司祭の目が僅かに見開かれる。


「そう、ですか。分かりました」


 淡々と答えた。弱味を見せぬよう、凛とした声で。


「残念です。本当に残念です。ですがあなたは皇子、私は軍人。避けられない事だったのです」


 リシュアらしからぬ言葉。そこまで彼は追い詰められたということなのだろうか。


「やむを得ぬ事です」


 司祭も態度を変えない。リシュアがうなずき言葉を継いだ。


「そうですね。」


 目を合わせぬまま、二人は向かい合い黙りこんだ。


「では私はこれで。明日は容赦はするなと上官の命令です。理解して欲しいとは言いません。ただそれを伝えに来ました」


 これは宣戦布告なのか。手加減は期待するなと言いたいのだろうか。

 ほぼ無表情のその顔から本心は読み取れない。

 どんなに我儘を言っても聞いてくれる。心のどこかでそんな甘えがあったことは否めない。しかし話し合いは今こうして決定的に決裂したのだ。


「私も、この寺院を守るためなら手段は選びません」


 固い表情で司祭が返す。


「……どうするおつもりですか」


 リシュアの声に抑揚はない。


「私は無力ではありません。子供達と、この寺院、信仰を守るためなら血を流すことも厭いません」


 リシュアの眉が動く。


「それは誰の血ですか」


 司祭は口を結ぶと、長身の軍人の顔を見上げた。


「……お帰り下さい。私は聖人などではないのです。この寺院を守るためなら手段は選びません」


 その後二人は無言で睨み合い、どちらからともなく視線を逸らした。

 リシュアは踵を返すと扉の方へと歩き出した。


 立ち去るリシュアの背を見詰め、司祭は自分の心に溢れる不思議な感情に戸惑っていた。喪失感。この感情に一番近いのはそんな名前だろうか。

 しかし後悔はしない。自分で決めた事だ。閉まるドアから目をそらし、イアラとロタに微笑みかけた。


「大丈夫。大丈夫です。軍などに屈する訳には参りません」


 見ればロタは怒りで顔を真っ赤に染め上げている。


「あの裏切者になんか負けませんよ。司祭様! おいらの自慢の竹箒であんなやつメッタ打ちです!」


 イアラも静かな怒りの炎を燃やしているようだ。


「見損なったわ。一番力を借りたい時に敵に回るなんて……」

「バリケードをもっと増やしておかないと。礼拝堂の椅子は新品で頑丈だからうってつけです」


 興奮気味の二人をなだめるかのように、司祭はその背中を優しく撫でる。


「それよりも、さあ。食事を続けましょう。スープが冷めてしまいます」


 その言葉に、イアラもロタも冷静さを取り戻し食事を再開した。

 白身魚のソテーを口に運びながら、ふとアンビカの事を思い出していた。皇位継承の話を持ちかけてきた貴族達ならこの危機的状況を何とかしてくれるだろうか。そう考えてからすぐに司祭は小さく頭を振った。


 否。それでは却って事を大きくするだけだ。万が一貴族が私兵を投じてくればそこから激しい戦闘になるかもしれない。寺院の近くに民家はほとんどない。しかし軍が旧市街に兵を送ってくる可能性はある。

 争いは飽くまでもこの寺院の中にとどめなくてはならないのだ。

 明日は子供達とこの寺院を何としても守らなくてはならない。笑顔が戻ったイアラとロタを、決意も新たに見詰めた。

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