第7話 大事な話

 その日も警備室はいつも通りの穏やかさで、ユニーが独り備品の整理と手入れをしていた。夜の警備に欠かせない懐中電灯の電池を入れ替えながら上司に笑顔を向ける。


「お疲れ様です。パレードの打ち合わせですか?」


 その声にはわずかな羨望が含まれている。リシュアはどきりとした。


「まあ、そんなとこだ」


 曖昧に答えて部下の問いを軽くいなす。ユニーはパレードの話を期待したようだが、上司にその気がないと知りやや落胆した様子で再び作業に戻った。


 リシュアも無言のまま自分の銃の手入れを始める。そこに見回りを終えたアルジュが帰ってきた。


「冷え込みが厳しくなりましたね」


 アルジュはコートを脱ぎクローゼットに仕舞うと、ストーブの前で冷えた両手を温めはじめた。色白の彼の鼻先や頬が寒さで赤くなっている。


「そういえば明後日はもうラムザ祭かあ。でも今年は寺院で公式なお祝いも礼拝もないんですよね」


 と残念そうなユニー。

 内戦以来、寺院でのそういった集会は自粛されている。また寺院へ個人的にお参りに来る民間人へのチェックも、かなり厳しくなっている。警備する側としては楽ではあるが、ひと気のない寺院はいつもにも増して寒々しく寂しげだ。

 リシュアは銃の手入れを終えると、小さく息を吐いて立ち上がった。




 礼拝堂にその人は佇んでいた。


「司祭様」


 リシュアは僅かに違和感を感じながら声をかける。が、振り向いた司祭はいつも通り穏やかな微笑みを浮かべて小さく首を垂れた。


「こんにちは」


 金糸の刺繍をあしらった白いローブを身にまといこちらへと歩み寄る姿の美しさもいつもと変わりがない。

 しかし。何かが違うとリシュアは感じていた。

 クラウスの事がまだ気になっているのだろうか。そう思うだけでリシュアの心はチクリと痛む。


「大事な話があって参りました。お時間を頂けますでしょうか」

「勿論です」


 微笑みを絶やさず、ゆっくりと司祭は頷いた。



 司祭の私室、リビングルームのソファに腰掛けて、部屋の主がお茶を淹れるのをぼんやりと見つめていた。逆光になると紫色に透けて見える髪が彼の心を捕らえて離さない。


「どうぞ。熱いですからお気をつけて」


 先程のアンビカの事もあり、思わずそんな言葉が口をついて出る。


「頂きます」


 そう答えながらも紅茶には手を付けず、膝の上で手を組んだままじっとして動かない。視線は紅茶のカップに向けられ表情は硬いまま。「大事な話」を今言うべきだろうかと、ここに来て怯んでいる自分がいる。

 対する司祭も自分の紅茶を手にしつつもソファに座ることなくリシュアを見つめていた。


「司祭様にはお話すべきだと思い、こうして参りました」


 長い沈黙を破ったのはリシュアだった。僅かに声がうわずって、一つ咳払いをする。

 司祭は優雅な所作でソファに座り、膝の上で両の手をぎゅっと握ると、真っ直ぐに向き合った。リシュアは言葉を継ぐ。


「毎年新都心で行われているパレードの話です」


 途端に司祭の顔に、僅かに暗い影が射すのを見逃さなかった。

 しかし話し始めた以上途中でやめるわけにはいかない。


「恒例の行事ではありますが、今回は20周年の記念と言う大義名分のもとに、軍は何かを企んでいます」


「何か、とは?」


 菫色の瞳が不安げに揺れる。


「隊列がこの寺院にやってくる可能性があります」


 自分がその責任者だとは言い出せなかった。


「最悪の場合を考えて司祭様には安全のためにここを出て頂きたいのです」


 リシュアの脳裏には、あの地下通路があった。最悪の場合、一度塞いだあの通路を使って司祭を逃がすしかない。ほとぼりが冷めるまで、どこか田舎の農村にでも隠れていれば何とかなるだろうか。それとも人の多い新都心に紛れた方が、目立たずに済むだろうか。未熟な計画ではあるが、先ずはここを出ることが肝心だ。


 しかし司祭はゆっくりと首を横に振った。


「何が起きたとしても、私はここを出るつもりはありません。信者の皆さんにとって、ここはなくてはならない場所。こんな時だからこそ、人々には心のり所となる場所が必要なのです」


 意外な言葉。リシュアは司祭の真意をはかるべく、うつむき加減の顔を覗き込んだ。


「ですがあなたはここを出たいのでは? 軍に軟禁され貴族院に無理強いされて説教をされているのだと聞きました」

「それについては完全に否定は致しません。ですが祈りは……祈る行為そのものは真に尊いものです。貴族院から渡される教義は曲解された恐ろしいものですが、ルナス正教の本質はあのようなものではありません」


 正面から見据えられ、リシュアは怯んだ。


「寺院にいる子供たちの安全は確約して貰うつもりです。どうぞ私ではなく、あの子達を避難させて下さい」


 真っすぐに見つめてくる目には、決意の色がはっきりと見える。そして思い出したように紅茶のカップを手に取り口を付けた。


 正直なところ、司祭の心は平穏ではなかった。同じタイミングで貴族と軍が動きを見せている。そしてアンビカとリシュアどちらもが、寺院を出る話を持ちかけて来た。これはただならぬ事が起きようとしているのかもしれない。自分はともかく、子供達を危険にさらすような事だけは避けたかった。じっと手にした紅茶の湯気を見つめる。


 その手をカップごとリシュアの両手が包み、菫色の瞳をグレーの瞳が覗き込む。


「軍も既に動き始めています。記念祭だとはいえ、数十人──いえ、それ以上の兵士や騎馬隊がここに押し掛けるのですよ。どこか安心して過ごせる場所を探してみます。ですから……」


 再び沈黙が部屋に広がる。カップを皿の上に置いてしばらく考えた後、司祭は小さく首を横に振った。


「ならば尚更私はここに残ります。この寺院を守らねばなりません。人々が祈りを捧げるこの場所を。そしてこのような状況だからこそ、私も平和のために祈り続けなければ……」


 リシュアは思わず頭を抱えた。司祭が相当の頑固者だという事を今更ながらに思い知らされる。


「……分かりました。ではコースを変えられるか上司に相談してみます。ですが、避難するという選択肢も考えてみてください」


 司祭は紅茶を一口飲んで小さくうなずいた。その仕草はその場しのぎのように感じられたが、今はそれ以上追い詰めるのはやめることにした。

 後は雑談をしながらお茶を飲み、早々に暇乞いとまごいをした。

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