第19話 蛇の道は蛇
向かったのは新都心、その繁華街だ。バーや娯楽施設が立ち並ぶ大通りの一歩裏手に入る。
表通りに比べて、そこは灯りも少なく人通りもまばらだ。街灯の下には娼婦と思しき若い女性が立っており、通りすがるリシュアに怪しげな笑みを投げかける。
古びたレンタルビデオショップの看板が、黄色く点滅している。リシュアはその入り口をくぐった。
「いらっしゃい」
無愛想な声の店主が開いたドアの方を見、リシュアの姿を認めると、あからさまに顔をしかめた。
「……またあんたですか。何もやっちゃいませんよ」
おどおどとした態度から察するに、その言葉はおそらく嘘だろう。しかしリシュアは、構わずカウンターに片肘を付いて店主に笑いかけた。
「心配するな。今日は客として来た」
「……おとり捜査は御免だぞ」
じろりと見上げるように店主はリシュアを睨みつける。
「そんなんじゃない。ちょっとやばいことがあってな。困ってるんだ。助けてくれないか」
リシュアの人懐こい笑みを探るようにじっと見つめた後、店主はぼそりと呟いた。
「……「会員証」が欲しいのか?」
リシュアは黙って頷き財布から札の束をちらりと引き出して見せた。素早くその札の厚みを見定めて、店主はしばらく考えた後カウンターを出た。
「付いてきな」
そうして二人は地下への階段を下りていく。
古ぼけた地下室にはまるでそぐわない、最新の印刷機などの機械が並んでいた。ここは様々な書類を扱う偽造屋だ。
「市民証を作って欲しい。住所や職業は任せるよ。名前はライザ・クラウス。20代前半……そうだな、24歳の男だ」
そう言って身分証用の小さな写真を差し出す。黒髪の平凡そうな顔をした青年が無表情で写っている。
「30分待ちな」
そうして店主は作業に取り掛かった。
***
きっかり30分後には、リシュアは偽造された市民証を手にしていた。ご丁寧に使い古したような質感までつけてある。
「いい仕事するな。これは余程のことがないと見破れないだろうな」
裸電球に透かして見ながらリシュアは唸るように呟いた。
「この仕事は信用第一だからな。……さ、用が済んだら帰ってくれ。俺はどうにも軍人と警察が嫌いなんでね」
その言葉に笑顔を返して、リシュアは店を後にした。
車に戻ると、助手席には一人の青年が座っていた。先程市民証を作るときに使った写真の男だった。
「じゃあ、これを持って後で寺院に来てくれ。時間はまた連絡するから、それまで自宅で待機していて欲しい。段取りはさっき話した通りだ。報酬の残りは後払いでな」
男は市民証と封筒に入った現金を受け取ると、にやりと笑って車を降りた。
全てを済ませて寺院に戻ったころには、空もすっかり明るくなっていた。リシュアは夜露に濡れた塔の周りの庭に向かった。
少し離れた所に林が見える。あの男は、おそらく夜まで林の中に潜んでいたのだろう。一体なにが目的だったのか。
その時、林の手前に何か落ちているのに気付いた。近づいて拾い上げると、それは銃だった。リシュアは目を細めてそれを凝視する。
それは小ぶりの銃で、かなり古風なデザインだった。全体に金や彫刻で装飾が施してあり、武器としてよりも美術品として愛でられるような物に見えた。
「何でこんなもの……。あの男の物か?」
不法侵入をした上に、武器まで所持していたとなるとただ事ではない。リシュアは眉間に皺を寄せ暫く考えた後、その銃をポケットに仕舞った。
警備室に戻ると、部下達が起きてコーヒーを淹れていた。
「あ、中尉いいところに来ましたね。淹れたてですよ」
手渡された濃いめのコーヒーは、徹夜明けの胃に染み入るようだった。それを一気に飲み干して、リシュアは部下達をぐるりと見渡した。
「さあ、それじゃあ捜索再開だ。お前達は全員で林を捜索しろ。俺は司祭様の様子を見ながら寺院内を探す」
休憩を入れたおかげで元気を取り戻した彼らは、賑やかに林へと向かう。それを見送って、リシュアは司祭の部屋を訪ねた。
「失礼します」
廊下で声を掛けると、中から鍵を開ける音がした。顔を覗かせたのはイアラだ。そのドアの隙間から部屋の中を覗くと、もうすでに司祭は起きていて、またあの男の傍で看病をしているようだった。
「お休みになるように言ったんだけど、だめなのよ」
イアラは小声で言うと肩を竦めた。
リシュアは静かに入室し、司祭のいる暖炉の傍に歩み寄った。男は更に回復してきているように見えた。これなら助かるかもしれない。司祭の心情を思うと、リシュアは胸を撫で下ろさずにはいられなかった。
司祭はリシュアに向かって軽く礼をすると、再び男に向き直ってその肩から腕にかけて優しく撫で始めた。その表情は必死で、痛々しいくらいのものだった。
「司祭様。騒ぎを収める算段がつきました。ただ、司祭様のご協力も必要です。今から言うとおりになさっていただけますか?」
そうしてリシュアは説明を始める。司祭は真剣な表情で頷きながらそれを聞いた。
「では私は一旦部下のところに行きます。その時になったらお呼びしますので、宜しくお願いします」
そう言ってリシュアは踵を返す。その背中に向かって司祭が呼びかける。
「中尉さん」
振り返ったリシュアの目に深い感謝の色を浮かべた司祭の表情が映る。
「本当に、有難うございます」
明るい笑顔でそれに答え、リシュアは部屋を後にした。
***
「お前達、捜索は中止だ。例の不明者が見つかった」
警備室から無線機で部下達に呼びかける。
「いたんですか?! 中尉が捕まえたんですか?」
ムファの驚いたような声が返ってくる。
「説明するから戻って来い」
短く答えて無線を切り、戻ってくる彼らのために新しくコーヒーを淹れはじめた。
「……どこですか? ライザ・クラウスは」
戻ってきて警備室をきょろきょろと見回し、ムファが不思議そうに尋ねた。
「まあ座ってコーヒーでも飲め。お疲れさん」
全員でソファに座って一息ついたところで説明を始める。
「もしやと思って役所の方に問い合わせてみたんだ。ライザ・クラウスって名前の男は新都心と旧市街合わせて12人いたが、黒髪で20代なのは1人だけだ。……もうすぐここに来るよ」
4人は顔を見合わせる。
「来る、とは?」
ビュッカが短く尋ねる。
「居場所を調べたらちゃんと自宅に帰ってたんだ。つまり検問所でチェックを忘れただけってことだろうな。まあ、念のために司祭様に顔を確認してもらうけどな」
それから程なく、検問所からライザ・クラウスが到着したという連絡が入った。検問所の係員は腑に落ちないような声で、リシュアは少しひやりとした。
あのソファで倒れている男に良く似た便利屋を使ったつもりだが、その顔の違いに検問所の係員は気がつくだろうか。とにかくあとは司祭に任せるしかない。
警備員室に男が入ってくる。おどおどとした素振りや、リシュアの事はまるで知らないような顔をしている辺りは実に役者で、こういった仕事に慣れているようだ。
「ライザ・クラウスです」
そう言って、男は今朝方渡した市民証を提示する。それをビュッカが確認した後リシュアにも見せる。リシュアは何食わぬ顔でそれを改め、軽く頷いてビュッカに戻した。
「昨日、寺院を訪ねたか?」
「はい。ルナス正教に興味があったので」
質問を始めた時、司祭が警備室にやってきた。
「お手数をお掛け致します。司祭様に確認して頂きたいのですが、昨日この男に会われましたか?」
司祭はじっと男の顔を見てから、リシュアに向かってしっかりと頷いた。
「はい。お会いしました。今の信仰に自信をなくされて、ルナス正教に興味を持たれたと。教義について色々とお話させて頂きました」
二人の話を聞いていた部下達から、緊張が消えていくのが良く分かった。
「ああ、じゃあやっぱり間違いないんだなぁ」
ユニーがほっとしたように呟いた。寒くて広い林を歩き回るのにはもううんざりしていたのだ。
「しかし、ユニーが林で見た男というのは……」
ムファは腑に落ちない様子だ。リシュアはひやりとしたが、平静を装い答える。
「暗い夜だ。何かの見間違いだろう。実際クラウスは自宅にいたと言っているんだ。ユニー、お前はどう思う? まだ誰か敷地内にいると思うか?」
問われて、ユニーはぶるぶると頭を振った。
「見間違いだと思います。風に揺れた木か何かだったのかも……」
実際は風のない夜だったが、ユニーは無理やり自分を納得させていた。もうこれ以上寒い林の中を捜索したくはなかった。
「よし。これで話は通ったな。ビュッカ、報告書にまとめておけ。俺は一応本部にも連絡しておく」
こうして、侵入者騒ぎはなんとか収めることが出来た。ユニーとアルジュは少々疲れた様子は見せたものの、安心したように帰路に着いた。
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