第18話 犠牲者
何事もなければいいが。そう心で祈りながら、リシュアは司祭の部屋へと走った。
「司祭様?!」
部屋の前で大きな声で呼ぶ。しかし、いくら待っても応答はなかった。
「まさか……」
ドアノブを回すとドアは静かに開き、見回しても部屋はもぬけの殻だった。
「しまった……!」
リシュアは再び走り出した。向かうは塔。よりによってこんな危険な状況の時に司祭を外に出してしまうとは。リシュアの心に焦りと後悔が押し寄せてきた。
塔に辿り着くと、途中の庭にあの霧がかかっていた。そして遠くから司祭の歌声が微かに聞こえてくる。
(こっちか?)
リシュアは
「司祭様!」
思わず叫んで駆け寄る。するとリシュアの目に2人の人影が飛び込んできた。
一人は司祭、そして一人は黒髪の男だった。
司祭は黒髪の男の肩を掴み、顔を近づけている。男と司祭の口の間には金色の光の糸が絡み合って煌めいていた。
まさにそれは司祭が人の生気を吸い取っている瞬間だった。
「司祭様! おやめ下さい!」
リシュアは夢中で二人を引き剥がした。男を突き飛ばすようにして司祭から解放する。すると男は頭から地面に倒れこんだ。
金の瞳を虚ろに彷徨わせている司祭の肩を掴み、リシュアは強く揺さぶった。
「司祭様! 司祭様! 起きて下さい!」
ぐらぐらと揺られて、司祭も目を閉じるとそのままリシュアの腕の中に崩れ落ちた。リシュアは静かに司祭を抱きとめる。
「あ……」
暫くして、司祭はそっと目を開いた。菫色の瞳が心配そうなリシュアの顔を映している。
「すみません司祭様。約束の時間を過ぎてしまいました」
申し訳なさそうに言うリシュアの言葉で、司祭は状況を把握したようだ。
「……ああ、またやってしまったのですね」
そうして不安げに辺りを見回した。その目に倒れこんだままの男の姿が飛び込んでくる。
「……!」
司祭は絶句した。自分が獣や鳥ではなく、人を襲ったという事を知ったのはこれが初めてなのだ。唇を噛み、泣き出しそうな表情で恐る恐る司祭は男に近づいていった。リシュアも手を貸したままそれに続く。
男は倒れこんだままぴくりとも動かない。見ればミイラ状にこそなっていなかったが、乾ききった土気色の肌は死人のそれだった。
司祭の目からぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちた。
「私は……なんということを……」
そうして崩れ落ちるように男の傍らに座り込み、そっとその冷えた頬に触れた。
「済みません。本当に……ごめんなさい……」
司祭は縋るように男を抱き締め、そのままその体を抱き起こした。
「司祭様。悪いのは私です。必ず止めると約束しましたのに……」
一向に泣き止まない司祭を心配そうに見つめ、その抱いている骸ごと抱き寄せようと手を回す。
その手が途中でぴたりと止まった。
「ん?」
リシュアの手は、土色になった男の体に僅かに鼓動を感じていた。
「司祭様! まだ息があります!」
驚いたことに、どう見ても死後数日経ったようにしか見えないその体は微かに脈打ち、僅かだが胸は呼吸で上下していた。
「ああ、ああ。良かった……。すぐにお医者様に……」
駆け出そうとした司祭の腕を掴んで止めたのはリシュアだ。
「いけません! このことは誰にも知られてはいけません。勿論私の部下達にもです」
「でも……手当てをして差し上げなければ……」
司祭は再び泣き出しそうだ。リシュアは安心させるために、優しく微笑んでその体を抱き寄せた。
「手当てなら私がします。病気や怪我でないのなら医者にでも治せるかどうか。それよりも安静にさせて回復を見てはいかがでしょう」
確信はなかった。しかしこの男がこの状態で誰かに見られれば、司祭の罪が明らかになってしまう。それだけはどうしても避けたかった。
「分かりました。では私の部屋にお運びしましょう」
渋々と、しかしようやく納得した様子の司祭は男を抱き上げようとする。それを制してリシュアが代わり、林がある方とは逆の道を通って司祭の部屋へと向かった。
***
暖炉の火が勢い良くパチパチと燃え上がる。
まずは男の冷え切った体を温めなければならない。男を暖炉の前に置いたソファに横たえ、毛布を掛ける。司祭は心配そうに男の顔を覗き込みながら、冷たくなった手をさすって温めている。
「後は私が代わります。司祭様はお休みになって下さい」
そう語りかけても、司祭は俯いたまま首を振るだけだった。頑なな性格は変わってはいない。リシュアは諦めて好きにさせることにした。
きっと司祭は自分の犯した罪に苛まれて、居ても立ってもいられないのだ。こうすることが少しでもその気持ちを楽にするならば、少しくらいは無理をさせても仕方がないだろうとリシュアは思った。
二人が出来ることは少なかった。しかし夜が明ける頃には僅かだが男の顔色は良くなり、鼓動もしっかりとしてきた。
「イアラにだけはこのことを知らせてもいいですか?」
司祭の秘密を共有しているイアラなら、このことも安心して話せるはずだ。彼女の助けがあれば、今後色々と楽になるだろう。
司祭は少し迷った後にしっかりと頷いた。イアラが自分を守っていてくれることは司祭も良く承知していた。
「では、後の世話は少しの間イアラに任せましょう。司祭様はどうぞ少しでもお休みになって下さい。ここでお倒れになっては元も子もありませんでしょう?」
優しく言い聞かせると、今度は司祭も素直に頷いた。リシュアは安心してイアラを呼びに彼女の部屋に出掛けた。
イアラも、さすがに男の様子を見て息を呑んだ。今まで死んだ動物の処理はしてきたが、彼女も被害にあった人間を見るのは初めてなのだ。しっかりしてはいるといってもまだ子供である。この反応は当然の事だった。
しかし彼女は気丈に振る舞い、司祭を元気づけると、骸のような男の手足をマッサージし始めた。それを見た司祭はようやく安心したようにベッドに入ると、眠りに落ちていった。
「悪いな。司祭様とこいつを頼む。俺も仕事が片付き次第すぐに戻るからな」
「任せておいて。それよりもこの騒ぎを何とかしてね」
イアラの言う通りだった。この男が発見されない限り捜索は続くのだ。その間ここで起きていることを、部下達に悟られないようにしなければ。
リシュアは司祭の部屋の洗面台を借り、徹夜明けの顔を整えた。そうして何食わぬ顔で警備室へ向かった。
「よう。お疲れ。何か見つかったか?」
途中で捜索を打ち切り、とりあえず警備室で休憩を取っていた部下達に、努めて明るく声を掛けた。
「……まるでダメですね。明るくなってからじゃないと無理だと思って一旦切り上げましたよ」
ムファがぐったりとした様子で机に突っ伏している。
「すっかり体も冷えたろう。少し温かいものでも飲んで、腹ごしらえしてから再開しよう。寺院は広いからな。長期戦になるかもしれん」
見つからないものを部下に探させるのは心苦しかったが、司祭のためならばそれでもリシュアは厭わない覚悟だった。
部下達に交代で食事と仮眠を取るように言いつけて、リシュアは寺院を後にした。
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