第120話 女傑
帝国帝都。
その皇宮において、一人の老女がゆっくりと馬車に乗り込もうとしていた。
周囲には数千に達する将兵が警護に当たっている。最前線に向かうかの如き重武装。即時戦闘に移れる態勢だ。
皆、凄まじく緊張した面持ち。当然だった。
この老女こそ、つい先日の皇宮攻防戦により、内外に大きな被害を受けた帝国を支える柱石。再び、表舞台に舞い戻った『女傑』カサンドラ・ロートリンゲン。
この細く枯れた身体が折れてしまえば帝国は大混乱に陥る――それをこの場にいる者全員が理解していた。
付き添っているメイド――テアが心配そうに声をかけた。
「大祖母様……やはり、私も!」
「駄目よ、テア。大丈夫、心配はいらないわ。王国の聖王と同盟の傑物のいる王都に、少しばかり世間話をしに行くだけなのだから。ディートヘルム」
「はっ!」
「此方の事は任せます。陛下をよく輔弼するように」
「……はっ!」
帝国大宰相ディートヘルム・ロートリンゲンは深々と頭を垂れた。
――この場に現帝国皇帝リーンハルト・ロートリンゲンはいない。
例の事件以降、国政に対する意欲を喪い皇宮奥深く引き籠ってしまっているのだ。ディートヘルムは内心毒づく。冗談じゃないぜ。この御方が仮に王都の地で暗殺でもされたらこの国は……。
「では――行きましょうか」
「申し訳ない、少々お待ちを。……少し遅れているようです」
カサンドラの呼びかけに、一歩下がった所に立っていた体格のいいスーツ姿の男は困った表情を浮かべ、頭を掻いた。腰には似つかわしくない武骨な片手剣をさげている。
老女は、面白そうに笑う。
「ふふ、良いのですよ。大層なお願いをしてしまっているのはこちらですから」
「いや、真に申し訳ない。この件は、師にも報告し、きつく叱って」
「――そうやって~姉弟子を売るのは良くないと思うな~」
突然、上空から声が降って来た。兵士達がざわつき、一斉に魔法を紡ぎ始める。
ここは皇宮。幾重にも張り巡らされた結界は何も反応していない。
誰かの侵入を許すなど有り得ない筈。
けれど、それは現実だった。上空から、ふわり、と降り立ったのは茶色の髪を一束にしているドワーフの少女。普段は持っていない古い杖を持ち、七色に輝くローブを纏っている。
にっこりと微笑み、カサンドラへ挨拶する。
「ごめんなさい~遅れました。当代『天魔士』を拝命しています~ルナです」
「定刻通りです。お願いを聞いていただき、真にありがとうございました」
「お礼は~お師匠に」
「はい」
「……で? グレン、誰に言いつけるって?」
ルナの口調が変わり男性を睨みつける。
両手を挙げ降参。
「俺は何も見てない」
「そう……も~これだから『天騎士』さんは困るよね~」
ルナがけらけら、と笑う。
周囲の人間達はこのやり取りを、恐々と見ていた。息を飲む音すら立てられない。
――帝国が『勇者』『剣聖』を廃止し、その代わりに大陸最強を謳われる『黒天騎士団』を味方につけた。
この一件は、奇妙な均衡を見せていた、帝国・王国・同盟の関係を激変させていた。何しろ、国力という点において帝国は両国を圧倒しており、今までも単独ならば踏み滅ぼせたのだ。そして、そこに『黒天騎士団』という鬼札が加わった。
結果、帝国と長い国境を接する王国はこの事態に恐慌状態に陥り、準総動員を実施。全騎士団の半数を張りつかせる状態となっている。
同盟はそこまでの反応こそ示さなかったものの、国家緊急会議が開催され、善後策を協議中と伝え聞く。
にも関わらず――微笑む老女は、もう一枚の鬼札を場に出してきた。
『天騎士』と『天魔士』
この二人は、それぞれ龍どころか神すら殺しているのだ。
しかも、この二人以外にも、『黒天騎士団』の猛者達が護衛につく。
……敵側である王国と同盟への同情心すら芽生える光景と言えた。
ルナが小首を傾げる。
「でも~グレンがいれば、私はいらないんじゃない?」
「俺もそう思ったのだが……」
「ごめんなさい。私が判断致しました。無論、グレン殿だけでも、この老婆には過ぎたる護衛ということは認識しております。ですが……胸騒ぎがするのです」
カサンドラは、枯れた手を軽く握りしめた。その表情には深い憂い。
……何かが起ころうとしている。この国だけでなく、この大陸、いや世界に。
「そっか~なら、しょうがないね。うん~大丈夫! いざとなったら、私が何とかするし~。あ、グレンは見捨てるけど~☆」
「……あんまりなのではないか? だが」
弟弟子と姉弟子は目で会話。
その杖とローブを持ち出してくる、ということは……つまり、それだけ師は警戒を深められている、と?
ルナは軽く頷き肯定。
嫌な予感がするって。お師匠の勘は予知とほぼ同じ。油断はしない方がいい。
「では、今度こそ出発しましょう。グレン殿、ルナ殿。どうか、よろしくお願いいたします」
「心得た」「任せて~」
カサンドラが馬車に乗り込み、扉が閉まった。ゆっくりと動き始める。警護の将兵が周囲を囲む。
グレンとルナもまた頷き合い、追随すべく歩み始めた。
――この時の光景を、式典に参加していた多くの兵士達は、後年一様にこう回想している。
『……あの御方はきっと分かってらしたんだ。御自身の運命を。それでもなお、帝国を、この大陸を、この世界を救おうとされた。たとえ、その結果として、御自身の命が喪われようともだ! あの御方――カサンドラ・ロートリンゲン様こそ、真の意味での大英傑だった』
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