第117話 レベッカ―5
シャロンが蒼褪め、湯船から立ち上がる。
「! そ、そんな……御父様、私を、私を利用して……!?」
「シャロン、落ち着きなさい。ほら、湯につかる――タチアナ?」
「うふふ♪ このタイミングでシャロンさんが訪問される。何もない、と思う方がおかしいですよ。レベッカさんだって、気がついておいでだったのでは?」
「……私にもワインちょうだい」
「はい♪」
タチアナが微笑を浮かべグラスを差し出してきた。
白ワインがなみなみと注がれる。
「……で、どうしたの?」
「着替えとワインを持って、外に出ましたら案の定、怪しい人影がいたので、えーい、って♪」
ワイン瓶を振る真似をする。
どうやら、この瓶で蹂躙してきたらしい。
私が言うのもなんだけど、出鱈目だわ。グラスを傾け、一口。
ジト目で尋ねる。まぁ、答えは分かってるんだけど。
「加減はしたのよね?」
「当たり前です。私、ハナやレベッカさんみたいに、何時でも、何処でも、建物や道路を壊したい衝動は持ってないんですよ?」
「タ~チ~ア~ナ~?」
「きゃー♪ ――とまぁ、冗談はさておきまして、シャロンさん、質問にお答え願えますか? 先程の御様子ですと、知らなかったようですが」
「っ! …………は、はい。姉様からの御手紙を受け取って、御屋敷を抜け出してきたので……わ、私、だ、誰にも言ってませんっ! ほ、本当ですっ!!」
「言ってないのは本当でも、貴女の御父上が貴女を利用される、とは考えなかったんですか?」
「そ、それは……」
シャロンが、俯く。
華奢な身体を震わし、今にも泣きそうだ。
息を吐く。
「タチアナ」
「駄目です。シャロンさん、レベッカさんの今の異名を知っていますか?」
「…………『雷姫』様です」
「そうです。黒龍を単独で討伐し、冒険者としての最高位、特階位にまで登り詰めた大陸でも有数の剣士――その盛名に縋って、御自身の置かれた窮状を打開しよう、と考えるのは分からないでもないですが……正直、浅はかです。貴女は、レベッカさんが実家を出られた理由を知っていますよね? なのに、今更、助けを乞うのは筋違いです」
「っ! そ、そ、それは……」
「私は、正直、アルバーン家? でしたっけ? 貴女の御実家に一切の興味がありません。魔力を上げたり、家格の向上を目指して、婚姻を推し進めるのもお好きにどうぞ、と思います。けれど――」
タチアナが微笑む。
視線を受けた、シャロンは龍に睨まれた人のように、動けない。
「親友であるレベッカさんに危害を加える方は、私の敵です。以後、努々、お忘れなきよう」
「…………」
「はぁ、まったく」
ぽろぽろ、と涙を零す妹の頭を撫でる。あいつが何時も、しているように、出来るだけ優しく。想いが伝わるように。
「ほら、お湯につかりなさい。風邪をひくでしょう?」
「あ、姉様……わた、わたし……」
「ああ、もう。大丈夫よ。大丈夫だから。貴女は小さかったんだし、仕方ないことよ。手紙、嬉しかったわ……タチアナ、虐め過ぎっ!」
「うふふ♪ つい、鬼教官モードになっちゃいました。シャロンさん、許してくださいね。で、どうしますか? ここにまで兵を送り込んできたということは、余程、レベッカさんに御執心のようですけど。おそらく」
唇が動く。
――シャロンさんの婚姻はフェイク。本命は、レベッカさんです。
頷く。
……分かってるわ。好きにはさせない。
涙を浮かべている妹へ話しかける。
「シャロン、後は私達に任せておきなさい。貴女が望まぬ婚姻なんかぶっ潰してあげる」
「で、でも……」
「心配しないで。私はこれでもそれなりに強くなったし、この子も強いわ。下手すると、私よりもね」
「レベッカさん、酷いですー。私、こんなにか弱くて、お淑やかで、儚い女なのに……」
「はいはい。普通の女の子は、ワイン瓶で兵士を制圧しない……ねぇ本当に、殺してないんでしょうね? まさか、酔った勢いで……!」
「…………」
「そこっ! 目を逸らさないのっ! ワインも飲まないっ!! つまみも食べるの止めるっ!!!」
「あは……アハハ」
シャロンは私達のやり取りを見て、きょとん、としていたものの、涙を浮かべがらも笑い始めた。思わず、笑顔になってしまう。
それを見たタチアナが、何を思ったかお湯をかき分け、急接近。私達を抱きかかえる。
「ち、ちょっとっ」「ひぅ!」
「うふふ~♪」
見ると片目を瞑ってきた。唇を動かす。
来て良かったですね、レベッカお姉ちゃん☆
……後でワインを飲みながら、お説教するからっ!
※※※
『一角亭』傍の路地。
周囲は闇に包まれ、本来、見える筈の月も星も、何一つとして見えない。まるで、この空間だけ断絶しているかのようだ。
その中を、一人の兵士が必死に走っていた。
『シャロンをつけ、レベッカの居場所を特定。可能ならば、拘束せよ』
主であるアルバーン伯爵の命令。
居場所は確かに突き止めた。
が――突如、現れた軽装でワイン瓶を持った美女によって、兵士達は一瞬で倒され、意識を刈り取られた。
そこまではいい。記憶もある。
起きた時には、仲間達も苦笑いを浮かべていたのだ。
……だが、だがっ!
あれは、あの女は、何なんだっ!?
どうして、俺達を狙う? どうしてっ!?
足がもつれ、地面に倒れる。頭上から笑い声。
「うふ、うふふ。偶には遊んでみようかしら? と思ったのだけれど、やっぱり、貴方達じゃ、玩具にもならないみたい。残念だけど不合格。これからこの都はとっても、楽しい楽しい戦場に――愛しい、愛しい、あの人の戦場になるの。だけど、今のあの人じゃ……だから、ね?」
心底、楽しそうに、女はこう告げた。
――貴方達、虫けらの命を私にちょうだい。
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