第101話 黒天騎士団

「――戦闘経過は以上です。我が方の損害は無し。帝国東部国境を侵犯した王国軍の半数は、わざと逃しました」

「ご苦労様。団長は戻ったかしら?」

「は、はっ……」

「もういいわ。下がってちょうだい」

「し、失礼いたしますっ!」


 敬礼をし、黒鎧を纏った壮年の騎士が団長室から退室していく。

 その表情には紛れもない緊張。額の汗は、決して暑いわけではないだろう。触らぬ神に……いや『蛇』に祟りなしなのだ。

 扉が閉まると――今までにこやかだった、様々な文様が刺繡されている紫を基調として薄手のドレスを着ている妖艶な美女は、机に思いっ切り拳を叩きつけた。

 振動で、ダークブロンドの長く美しい髪が舞い、浅黒い肌は心なしか紅くなっているように見える。細い身体にも関わらず、部隊内の女性隊員達から羨望の目で見られている豊かな身体は細かく震え、虹彩を宿した瞳は、怒りに満ちていた。


「あの……馬鹿ぁぁ!」


 机の上の書類を、右手で苛立だし気に払う。

 数十枚が飛ぶ。書類に押されているのは何れも『黒天騎士団』の印。


「取り込み中だったか」


 静かで低い声が響く。

 音もなく部屋へ入って来たのは長身で眼鏡をかけ、無精ひげの男性だった。灰色の髪をした頭は短く刈り込まれている。

 戦場だというのに、帝都で流行っているという黒のスーツ姿。胸元には、ほんの小さく白い鷹が描かれている。片手には黒い革製書類鞄を持っていた。


「……ハク。何時も言っているでしょう? ノックはして」

「すまない。あいつはまだか?」

「……ええ。何処ほっつき歩いてるのかしらねっ! 突然、帝国と直接契約するなんて大事な事をしでかしておいて、当の本人が長期不在なんて……考えられる!? 今日、帰ると伝えてきて、今、何時よっ!! 夕方じゃないっ!!  帰って来るっていうから、好物の料理の準備してたのに……。どーせ、また大好きな『師匠』のところでしょっ! もう離婚するわ。今度こそ離婚してやる。子供達と実家に帰ってやるんだからっ」

「そう言うな、アイハン。あいつに悪気はない。契約についても納得した筈だ」


 ハクは、近くにあった椅子へ腰かけ、懐から煙草を取り出しゆっくりと吸い始めた。

 書類鞄を開け、中身をアイハンへ投げ渡す。


「これは?」

「最新の王国軍の戦力分析だ。やはり、俺達が帝国に雇われた事は最大級に警戒されている。主だった異名持ちや部隊でいないのは、『光弓』と王都守護騎士団と聖堂騎士団だけ。二十四騎士団の内、過半が俺達へ対抗の為だけに集結している」

「舐められたものね。過半で私達を止めれると? 他方面に展開していた部隊の呼び戻しは既に完了した。私と貴方、九人の部隊長も揃っている。いないのはあの馬鹿だけ。いなくても、蹂躙出来る自信はある。……やらないけどね」

「だが、グレンの言うように過去使われたという『狂神薬』が量産されているのなら……少々脅威だ。負けはしないが」


 ――おそらく、この会話を王国軍司令官が聞いたならば戦慄をしただろう。

 軍事大国を持って任ずる王国が誇る、各騎士団の定数は約15000。

 対して『大陸最強』を謳われるとはいえ『黒天騎士団』は、十部隊。精々1000名に過ぎない。

 にも関わらず、不機嫌そうな妖艶の美女――『黒天騎士団』副団長兼軍師『千蛇』のアイハンと、うまそうに紫煙をくゆらしているスーツ姿の男――『黒天騎士団』副団長兼軍師『白鷹』のハクは、負ける事など考えてもいなかった。


「まぁ……帝国の政情が不穏だと、あっちこっちで小さな戦闘が多発するから面倒なのよね。『女傑』が出張るとも聞いたし」

「近く三国会談も開催されるそうだ。護衛は俺達と、帝国内の強者になるだろう」

「……万が一『師匠』さんが出てくるなら、私は行かないから」

「そうもいくまい」

「……嫌よ。だって、そうしたらあいつ、私なんか絶対ほったらかしにするじゃない! あの馬鹿夫っ!」 


「――馬鹿ではあるが、帰ってきた途端、言われるのは堪えるな」

「!?」

「戻ったか」


 大陸にその名を知られる二人の猛者をして、男はまったく気配なく室内へ侵入を果たしていた。

 ハクが、ニヤリ、と笑い煙草を消し、立ち上がる。

 右手を掲げ、自分と御揃いのスーツを着た細見の男性と拳を突き合わせた。


「遅いぞ、相棒」

「すまん。帝都での後処理に時間を取られた。アイハン」

「……ふんっ! し、知らないんだからっ。遅くなるなら連絡くらいしなさいよ」

「悪い。土産だ。帝都の菓子。子供達に渡してくれ。これは、お前に」


 笑みを浮かべつつ男――『黒天騎士団』団長にして『天騎士』グレンは、アイハンの首に美しい金細工のネックレスを付けた。


「…………バカ。ありがとう。おかえりなさい」

「ただいま――ハク、三国会談の話は届いているな?」

「無論。それと先程、少し気になる話を耳にした」

「何だ?」

「変な事を聞くようだが……グレン、お前の『師』は今、何処にいらっしゃる?」

「師匠なら、今頃はある物を作られに各地を回られているが。どうかしたのか?」

「主に帝国内か?」

「ああ」


 真面目な表情になったハクは、少し考え込みながら口を開く。



「パーメリア大陸の港湾都市アレキサンドリアは知っているな? そこの宮殿が一昨日、突如崩壊したそうだ。何でもそれを行ったのは、真紅の髪の美女と、白髪で長銃を持つ美少女。東方の民族衣装を着た少女。そして――格闘服を着た猫だったそうだ。てっきり、お前の『師』が関わっていると思ったんだが……」

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