第44話 ソニヤ―2

 『薔薇の庭園』のクランホームには、広大な訓練場がある。

 けれど、以前は弓使いがいなかったせいか、弓専用のそれはなかったらしい。  今ある施設は私が入団した際、団長と副長が用意してくれたものだ。


『貴女……えーっと……』

『ソニアよ。……ハナ、名前くらい覚えておきなさい』

『大丈夫よ、私が忘れている事は優秀な副長様が覚えてるもの。ソニアは弓使いなのよね? なら、練習場が必要ね。早速、用意するわ』


 一人の、しかもまだ何の実績もない新人弓使いの為に、あっさりと設備を増設する事に私が絶句していると、団長はこう言った。


『死ぬ一歩手前まで訓練をしておけば、実戦で死なずにすむわ。簡単な理屈よ。だから、うちの訓練は厳しいし、訓練場も広く取ってあるの。大丈夫、即死じゃない限りは私が治してあげるわ。安心して死ぬ気で努力なさい』

 

 正論だ。うちの団員のみならず、冒険者なら誰も反論出来ないだろう。

 ……まぁ、実際に何度か、訓練で生死の境を彷徨った時は、ちょっと入団したことを後悔したけど。

 目を覚ました時に見えたのは、泣き出しそうなヴィヴィとマーサの姿。

 その時のことを思い出し、くすり、と笑う。緊張がほぐれた。

 よし――やろうかな。

 

 ゆっくりと愛弓を携え、正面にある的と相対する

 

 今までなら、この後すぐさま速射を開始しただろう。そして、腕が上がらなくなるまで延々と撃ち続け、魔力が枯渇した筈。

 けれど、ここ3日間は違う。


『いいかい、ソニア。数をこなすのは確かに大事だ。でも、丁寧に射る癖をつけるのはもっと大事。特に、君が『千射』を会得したいと考えているなら尚更、ね。まずは『一射』を自分のモノにするといい。君にはその順番が向いていると思うな』


 ……別に、あの男の言葉を受け入れたわけじゃない。

 けれど、その実力を認めなれない程、愚か者でもないのだ。

 私よりも遥かに強く、かつ『千射』を軽々と展開してみせた以上、多少は聞いてみる事も吝かではないだけ。そう――それだけだ。決して、自分でも、そうなんじゃないか、と思ってたわけじゃない。

 ゆっくりと、そして丁寧に、魔力を練り上げ『風の矢』を構築、愛弓を構え


 ――射る。


 矢はど真ん中に突き刺さり、頑丈な的を貫通。

 明らかに威力と精度が向上。強い手応えを感じる……釈然とはしないけど。面白くないっ。

 拍手の音が響いた。


「お見事。うん、やっぱり君には『一射』が向いているね」

「……何の用ですか? 未熟な射手を笑いにきたんですか?」

「ふふ、そう邪見にしないでおくれ。君達3人には十二分な才がある。近い将来、大陸にその名を轟かせるだろう」

「……信じられません。何の根拠があってそんな戯言を」

「これでも、僕は育成者だからね。人を見る目にはちょっと自信があるんだ」


 穏やかに笑う黒髪の魔法士――ハルだ。皮肉も軽く受け流されてしまう。

 ……この顔を見ていると少し苛々する。

 3日前の『模擬戦』で、この男は、私達を字義通り圧倒してみせた。その気になれば、一瞬で勝負はついていただろう。今の私では、実力差を測ることすら不可能。

 この男にとってあの模擬戦は、あくまでも私達へのに過ぎなかったのだろう。そうでなければ、あそこまで丁寧に戦う筈がない。それこそ『千射』で全滅だ。『千槍』? 『灰塵』? まったく必要無し。

 

 だからこそ――気に入らない。心底、気に入らないっ。


 ここまでの実力を持っていながら、どうして世界へそれを示さないの?

 私が、欲してやまない力を持っていながら、どうして……っ!


「団長と副長はどうされたんですか?」

「ハナは、『魔神』関連の書物を確認する為に冒険者ギルドの資料室へ行ったよ。この3日間の議論で大分、詰めたからね。その最終確認さ。タチアナも別件でギルドへ。何でも有名クランが崩壊したそうだ。ヴィヴィとマーサは買い物へ行ってる」

「そうですか。なら、貴方も一緒に出かければ良いのに。ヴィヴィとマーサなら喜んで案内したでしょうに」


 二人は、模擬戦後、あっという間にこの男と打ち解けた。

 マーサは分かる。団長の直弟子だから孫弟子に当たるわけだし。

 ……ヴィヴィ、貴女の素直な性格が少しだけ羨ましい。


「うん、そうだね――でも、今は君を見ていたいかな」

「っ。……勝手にしてください。邪魔はしないでくださいね」

「勿論。ああ、今日あたり帝都からようやく護衛役が到着すると思う。そうしたら、ヴィヴィとマーサも連れて『大迷宮』へ行こうか。実戦で試してみたいだろう? ハナの答えが出たら、僕は帰らないといけないからね、その前にどうだい」

「…………考えておきます」


 可愛くない答え方。だけど、この男は穏やかに微笑んでいる。

 ――そんな顔をずっとされたら強がるのにも限度がある。頬が緩んでしまうのを抑えられない。

 今まで、私が一度も感じることのなかったものが、こういう些細な会話を繰り返す度、確実に育っていく。

 それは甘く、けれど少し怖く。私にこんな感情があったなんて信じられない。

 正直、戸惑っている。でも……このままなのは逃げたみたいで嫌だ。

 意を決して口を開こうとした時


 

 ――大きな鐘の音が迷宮都市全体に鳴り響いた――


 

 明らかに、緊急を報せている。

 いったいこれは?


「ほぉ……再び実際に聞く機会があるとはね」

「何です、これは……?」

「おや? 知らないのかい? ソニヤ、君はこの迷宮都市が歴史上、幾度か滅んでいる事を知っているかな?」

「はぁ? 何故、そんなことを今――まさか!?」

「そう、そのまさかだ」


 鐘は依然として鳴り響いている。

 設置されていたのは確か『大迷宮』を囲む城壁、その最上部だった筈。

 普段は決して鳴らされる事はない。だけどそれこそが、平穏の証。

 何故なら、この鐘が鳴らされるのは……



「どうやら、数十年ぶりに『大迷宮』から、魔物の群れが溢れ出しつつあるみたいだね。が起きれば、この都市は今日、滅びを迎えるかもしれない――うん、良いじゃないか。さ、みんなと合流しよう。実戦経験を積む絶好の機会が、向こうから転がってきたよ」 

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