第108話

 風呂から上がると夕食に。会場は王宮の応接間。


『さ、宰相閣下が、ご、ご自身で!』


 カ・ナンの宰相であるソウタが自ら台車を押して入室してきたことに、カ・ナンの一同は驚きの声を挙げていた。


 台車の上に鎮座していたのは、巨大な鍋と洗面器の倍ほどの高さの木の樽。


「ゲンイチ伯父さん、今日の夕食はこれだよ……」


 ソウタは、樽の中から湯気をと共に銀色に輝く小さな粒と、鍋に入っていた刺激的な香りを放つ黄金色のとろみのある汁を、ラグビーボールの断面ほどあろうかという大皿に盛りつけた。


「おお、カレーか!」


 ゲンイチがカレー好きだという事は有名になっていた。何せ、異世界のゴ・ズマにおいてさえ食材を工夫して食していたというのだから当然である。


「米とルーは日本から持ってきたんだ。他の食材はこっちで調達したよ」


「そいつは素晴らしい!期待させてもらうぞ!」


 毒見もさせずに早速スプーンで口に運ぶと、ゲンイチは驚嘆して大声を挙げた。


「おお、ソウタ!この味は我が家のカレーじゃないか!」


「爺ちゃんから父さん、そして俺が引き継いだ、一族の味だよ」


 タツノ家でのカレーは伝統的に男の料理だった。だからソウタは自ら必要な食材を揃えて、タツノ家のカレーをゲンイチに振舞ったのだ。


「日本の米と我が家の味。これだこれだ!これが食いたかったのだ!」


 あっという間にラグビーボールほどある大皿を平らげたゲンイチ。二杯目も飲み物のように平らげてしまう。


 少し遅れて参列しているカ・ナンの幹部たちもソウタのカレーを口に運ぶ。


「久しぶりだよソウタくん!」


「懐かしいわね!本当に何年ぶりかしら!」


 ヒトミとエリは味の良し悪しよりも、その料理と味付けに声を挙げた。


「これが閣下と大帝の一族の料理……」


「不思議な味だ……」


 居合わせたカ・ナンの者たちは、様々な香辛料が織りなす初めての味に驚きを隠せない。


「あとこれ。サーバーごと取り寄せたから」


 日本からサーバーごと持ってきた生ビールをジョッキでお酌するソウタ。


「おお!爺さんや親父がカレーにはキンキンに冷えたビールだと散々言っていたが、これは納得だ!」


 ビールがカレーに合うからと、ゲンイチはジョッキを何杯も飲み干す。ソウタは居並ぶ面々にも勧めるが、こちらも皆に好評だった。


「食った食った!久しぶりに満足したぞ!」


 豪快に食って飲んだ大帝は、とても上機嫌だった。


(やっぱり捕虜の態度じゃないよな……)


 ソウタは声に出さない。他の皆も声に出さない。


 しかし、本気でゲンイチが戦の指揮を執っていれば、途中で強襲は阻止されて、ソウタたちは運が良ければ捕虜。戦場の混乱の渦中なら、勢いのまま討ち取られてしまった可能性は極めて高い。さらに防衛線から出てきた本隊も叩かれて、長くないうちにカ・ナンは陥落の憂き目に会っていた事だろう。


 それはカ・ナン側の指揮官たちの殆ど全員が痛感していた事なので、ゲンイチの扱いが国賓待遇である事に文句を言うものは居なかったのだ。


「よし、寝るぞ!身内の家に泊まるのが当然だな!」


 以降は本人の希望もあって、ソウタの屋敷で預る事になった。ゲンイチに一室、護衛に一室分を用意。場所を取られたソウタは王宮に戻る事に。


「ここはお前の屋敷だろ?お前はここで寝ないのか?」


「ゲンイチ伯父さんに場所貸したら、俺の寝る場所無くなったからね。しばらくはエリのところで寝泊りするよ」


「それはそうだな!妻のところで寝るのが自然だ!しっかり励めよ!」


 こうして王宮に戻ってきたソウタ。


「本当にお疲れ様ね……」


「まったくだよ……」


 ゆっくりと優しく長い口付けを交わす二人。


「今更だけど怪我はないのね?」


「ああ。俺は大丈夫だ」


 そこへ仕事に一区切りつけてきたヒトミが戻ってくる。


「ただいまソウタくん、エリちゃん……」


 倒れこむように二人の下に飛び込むヒトミ。二人で支えてベッドに寝かせると、ソウタが先に、エリが次に唇を重ねた。


「ヒトミ、今更だけど怪我は?」


 ソウタの問いに笑顔で答える。


「ソウタくんが準備してくれたから私は擦り傷と打ち身ぐらいだよ」


「場所は?」


「ここと、ここ」


 右の二の腕と左の肩を指差すと、ソウタはヒトミの薄い寝間着を剥いて、その個所に優しく唇をつける。


「ごめん。また、キズ増やしてしまった……」


 歯軋りしてしまうソウタを優しく宥めるヒトミ。


「気にしないで。今こうやって私たち一緒にいられるんだから」


 その二人を抱き締めるエリ。震えて涙を流していた。


「二人とも、私のせいで死ぬ目に合わせて……。本当にごめんなさい……」


「とりあえず何とかなったんだ。今はそれでいい……」


 逆に二人でエリを宥め抱き締める。ヒトミもつられて泣いていた。


 ソウタはそんな二人の涙を手で拭って顔を寄せ合う。


「もう、寝よう。色々ありすぎて疲れた」


『賛成……』


 ソウタの提案に二人は同意した。


 こうして夫婦三人、仲良く川の字に並んで、泥のように眠りについた。もはや情事に及ぶ体力も気力も無く、三人とも完全に翌日まで眠り続けたのだった。

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