決戦

第98話

 夜の帳が下り、ソウタたちが配置につくために防衛線から出発した頃、ゴ・ズマ本陣の付近、正規軍の陣地はにわかに活気付いていた。


 武具を外した男たちが、騒ぎながら樽が並んだ場所に器を持って大勢並んでいる。その列を崩さないように武装した兵たちが何人か立って整列と誘導を行っていた。


「今夜は酒だ!」


「久しぶりに酒が飲めるぞ!」


「貴様ら!ほどほどにしておけよ!」


「わかっております!」


 彼らの顔は酒を飲む前から明るく赤らんでいた。 


 この日、彼らには一人当たりおよそ水筒一つ分の酒が振舞われた。しかし一人当たりの分量は限られていたはずなのだが、諸々の手段を用いてか大量に手に入れて、酩酊するほど飲む者が続出していた。


(まあこの程度、大目に見るしかあるまい……)


 敵前での酒盛りは攻城戦でも敵の士気を挫くために時折使われる手であるが、今回は純粋に自分たちの士気のため。諸々の懸念の声もあったが、圧倒的に数が劣る敵は打って出ないと踏んで許可されていた。


 酒盛りの様子を遠くから眺めながら大帝は呟く。


「結局カレーは振る舞えられなかったのか……」


「ははっ!申し訳ありません!!」


 ゲンブ大帝は酒よりもカレーを振る舞えと口にしていたが、補給体制の都合まだしばらく困難だと切々と部下たちに説明され、しぶしぶ酒宴を容認していた。


(さて、どうなるやら……)


 大帝はいつものように夕食を取る。米に似た味と触感だがBB弾のように丸いライメという穀物を炊いたものをどんぶりに山盛り。そこに肉や魚を煮込んだシチューが主な献立である。


(陛下は相変わらず粗食であらせられる……)


 前線の兵士たちの食事に比べれば豪勢だが、世界帝国の君主の食事としてはあまりに質素なもの。通常の遠征軍の将帥ならもっと手の込んだ料理を出させるところだ。


「なに。粗食の方が性に合っているのでな」


 食事を終えた大帝は、周囲の喧騒を他所にすぐに眠りについた。静まらせようという部下たちの進言に対しては、兵たちの憂さ晴らしを優先させよと答えて。


「やはり敵は酒盛りを始めたようです」


 その様子を当然カ・ナンは確認していた。観測所からの報告だけでなく、ゴ・ズマの多国籍軍からカ・ナンに通じた間者たちからも裏書する報告が集まっていた。いや、防衛線に留まっている者たちの耳にまで乱痴気騒ぎの声が聞こえているので疑う余地はなかった。


「やはりこちらを油断させたり、見せ付けて士気を落とそうとする策略ではなく、自分たちの士気の高揚、いえ、維持が目的でしょう」


 一方のカ・ナン側は決戦に向けて最後の準備を進めていた。


 すでに出発した強襲部隊だけでなく、後方で待機していた部隊も続々と参集。歩兵ばかりでなく砲兵も準備を整えていた。


「いよいよ決戦を挑むのか?!」


「他に何のためにこれだけ集まるっていうんだ?!」


「だよな!とうとう奴らを叩き出す時が来たんだよな!」


 決戦を挑む事を察してか、皆の士気は天を突くほど高い。


 そして時刻は午後九時。天候も穏やかで月の明かりで夜でも視界は良好。お陰で準備は順調に進んでいた。


『ヒトミ、そっちの準備が終わるのはあとどれぐらい?』


『あと一時間もあれば大丈夫だよ』


 前線司令部に広げられた地図に情報が書かれたメモが貼られた。


「敵の、多国籍部隊はどう?」


「酒の配給は正規軍の中段から奥の部隊に限られているようで、正規軍でも最前列と、多国籍部隊の川沿いには配給されていない模様です」


 観測と諜報で裏は取れていた。彼らは当然といえば当然だが、嗜好品の配給は正規軍を優先していたのだ。


「マガフ殿、その部隊が我々を攻撃してくる可能性は?」


 エリは客将だが最年長であるマガフに尋ねる。


「引き続き情報を集めておりますが、傍観する可能性が高いでしょうな。少なくとも大勢が決するまでは。我々が出撃すれば呼応すると言い出している部隊もありますが、当て込むのは危険すぎます」


 その言葉を聞いてエリは頷いた。


「わかりました。多国籍部隊は予定通り動かないものと見なして行動します。彼らが強襲部隊の突入前に我々に攻撃してきた場合は作戦を中止して全軍撤退。強襲部隊が突入してから動いたなら、成否が確認できるまで何としても踏み止まります」


 皆は無言で頷いた。強襲部隊が全滅する時はカ・ナンを支えているソウタとヒトミの二本の柱を失うことをも意味する。もし二人を失えばカ・ナンが長く持たないのは明白だった。


「作戦開始は予定通り午前零時とします。それまで各自配置について待機なさい」


 そして迎えた午前零時前。ふいに雲が天を覆い満月を覆い隠す。天候は予想通りに動いた。


 カ・ナンの兵たちは準備を整えて整列していた。


「さあ、いよいよだぞ」


 彼らの装備は見事に統一されていた。皆、同じデザインの軍服というだけでなく、同一の鉄製のヘルメットを被り、軍服の上から鋼鉄の一枚板の胸当てを装着。


 その手には前装式で銃剣が装着可能な前装式のライフル銃を握り、腰には銃剣と手斧。そして肩から予備弾薬の入った小袋が数珠繋ぎになっていたものを下げていた。


 指揮官たちもアルミ製のラメラー・アーマーを装備し、高品質の鋼で作成された槍や剣、そしてリボルバー式拳銃を携行。さらにトランシーバーを持っていた。


 各部隊の指揮官から、配置が完了したことが無線で報告される。


 長射程で大威力の大砲や銃の装備以上に、伝令に頼らずに連絡が行えるのは、この世界でカ・ナン軍ぐらいのもの。数は劣るが、カ・ナン軍の装備がこの世界で最も整っている事に疑いは無い。


「陛下、そろそろお時間です」


 メーナがエリを促す。彼女はエリを守る最後の盾として、アルミ製のプレートアーマーを装備していた。


「わかりました」


 エリは防刃服の上から日本から持ち込んだジュラルミン板に鮮やかな塗装が施された煌びやかな鎧兜を身に着けてその姿を現した。その美しさに皆が思わずどよめく。


「静かになさい。敵に気付かれたらどうするの?」


 微笑んで人差し指を立てて口元に添えて見せると、静かにその場に居た者たちは笑いを噛み堪えた。


 エリはトランシーバーの電源を入れた。指揮官たちの耳にエリの凛々しい声が届く。


『この戦いに身を投じる各員に、王国の代表として伝えます!』


 少し間を置き、深呼吸をして続ける。


『王国は各員がその義務を尽くすことを期待します!』


 その言葉を聞いた指揮官たちは、思わず背筋を正した。そしてその言葉を、部下たちに伝えると、誰もが歓声を挙げる気持ちを押し堪えて、手にした銃を天に突き上げた。


『作戦開始!』


 エリがLEDで七色に輝く軍配を振りかざすと、兵たちが防衛線から続々と出撃して行った。

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