第91話

 白エルフの里までは自転車で二時間ほどの距離になるが、原付などを使えば30分程度。儀式が夜からになるのであれば、しばらく休憩しても間に合う。


「わかった。一度自宅に戻らせてくれ」


 アタラはマーニの背中を貸した。マーニはソウタが乗っても日頃は微動だにしないのだが、この時は異質な匂いを嗅ぎ取ったのか、少し体をゆする。


「今戻った!すぐで悪いが風呂で流したい!」


 屋敷に帰ったソウタは沸かしてあった鍋一杯の湯を水でぬるめて風呂場で身を清める。清め終わると母屋の自室に入った。ヒトミは昨夜から司令部に泊まりで軍務を行っているので、帰宅していない。


 ソウタの母屋に、ファルルが入ってきた。


「旦那様、それではマッサージ致しますね!」


「ああ。ファルルは上手だから助かるよ」


 ファルルは幼いときから祖父へのマッサージを教えられてきた事もあって、マッサージが得意だった。ソウタも時々肩を中心に頼んでいたので、今日は昼過ぎだが、しっかり施術してもらうのだ。


 ソウタは日差しの入る暖かい部屋で、上を脱いで、下は半ズボンの格好になって床に寝そべる。


「では失礼致します……」


 ファルルの指は細くて柔らかいが、日頃の仕事で鍛錬されているので力強くもある。その指が、首筋から肩、背筋から腰と徐々に下がっていく。


「ああ、気持ちいい……」


 施術が腰に及ぶと、先ほど酷使してしまったこともあって感嘆の声が漏れてしまう。


 一方のファルルは、思わず我を忘れそうになっていた。


 ソウタの身体はこの国では長身に入るのだが、それでいて筋肉で硬く締まりすぎず、指で押せば楽に埋もれる柔らかさ。そしてそこから力強く脈打つ血潮が、若い男の匂いが鼻腔を刺激してしまうのだ。


(奥様も、きっとこれに耐えられなかったんだ……)


 以前ファルルがヒトミに施術した時、ヒトミは自分がソウタを襲ってしまった時の事を彼女に漏らしていた。


「あんな事しちゃうのは私だけかもしれないけど、ルルちゃんは大丈夫だったの?」


「は、はい……」


 この時は大丈夫だと言ったのだが、実のところ毎回怪しい綱渡りだった。ファルルはソウタの寝室を覗ける場所を把握していて、結婚前はソウタの自慰行為を、結婚後は夫婦の営みを覗き見して、自らも自慰に耽っていたのだ。

 それだけに、ソウタにマッサージを施す度に自身の理性を保持するのが怪しくなっていた。


 背面が終わったので、今度は仰向けの施術に移る。頭から首、肩から胸と、施すうちに、ファルルの鼓動も大きくなっていく。


 ともかく小一時間ほど掛けて、ソウタへの施術は終わった。


 ソウタは施術が終わると血行が良くなったからか緊張が解けてしまったからか、そのまま仰向けになって眠りについてしまう。


「……」


 ファルルは毛布をソウタに掛けた直後に彼が目覚めないのを確認すると、無意識に顔を近づけて唇を重ねようとした。


 ピピピピピピ!!


 直後に電子音が鳴り響く。ソウタは寝すぎないように事前にタイマーをセットしていたのだ。


「!!」


「ごめん。気持ちよすぎて寝てしまった……。でもお陰で回復してきたよ」


「お、お褒めに預り光栄です!」


 笑顔を見せるファルルだったが、その身体の芯は熱く滾っていた。


「じゃあ、行って来る」

 時間になったのでソウタはアタラと共に、白エルフの里に向かう。二人乗りの四輪バギーに乗って、護衛はアタラの連れた二頭の狼だけだ。


「里に向かうに当たって、配慮いただき感謝する」


 ソウタが湯浴みして、メリーベルとの情事の匂いを落としてくれた事をアタラは感謝した。


「見下げ果てたろくでなしだって思うだろ?」


 運転しながら自嘲するソウタだったが、背中に乗っていたアタラは事も無げに言う。


「何を言われる。死を前にしてその恐怖から逃れようとするのも、子を残そうとするのも生命の本能だ。恥じる事などない」


 アタラは狩猟のみならず命を賭した戦いを潜ってきただけに様々なものを見てきたためか、淡々としていた。


「アタラは強いな」


「……。それは買いかぶりすぎだ閣下。私はそれほど強くなどない」


 いつになく気弱そうにアタラは呟いた。


 王都から発って30分ほど。白エルフの里に到着すると、最長老が出迎えた。案内しながら儀式について説明を受ける。


「陛下からの依頼がありましたので……」


 決戦の前に、祈念しておきたいとエリから依頼があったという。


 しばし冷たい滝に打たれて沐浴し、用意された衣装に着替える。着替えはこの森で採取された木の皮から取り出した繊維で織られた一枚の白い布地。それを身体に巻く。まるで古代ギリシャの衣装のようだ。


 着替え終わって案内されたのは里の最深部の大きな礼拝堂。その中心の円陣に椅子二つ、並んで置かれていた。


「ではお座り下さい」


 座って開始を待っていると、隣に座る者が来た。同じく白い一枚布を身に纏ったアタラだった。


「アタラ?!」


「この者はすでに戦で、我が一族で最も多くの武功をあげております。それ故にです」


「……」


 この儀式はその中心として御子と巫女が必要になるといい、元来は御子には戦などで最も命を奪った者(男)が、巫女には清らかとされる娘が選ばれるという。


 だが今回は最長老の意向で、一族だけでなくカ・ナンの国中を対象に行う特例中の特例であった。選ばれたのも一族のみならず国中で、一人で直接最も多くの命を奪った者であるソウタと、一族で最も敵を討ったアタラを共に参加させることとしたのだ。


 アタラは儀式の巫女として先に禊を受けていたようで、さらに平時は何も飾らず化粧もしない彼女には極めて珍しく、口に紅を、髪に金細工の髪飾りと、クスノキから抽出した樟脳のような香水をまとっていた。


 かがり火に映し出されるその幽玄な美しさに思わず見惚れてしまうソウタ。


「閣下、間もなくだ」

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