カ・ナン王国宰相のとある一日
第32話
カ・ナン王国の宰相としての、タツノ・ソウタの一日は、枕元に置かれた目覚まし時計の針が示すように、朝の6時起床から始まる。
カ・ナンにおいても、この時期は冬にはまだ遠いため、朝の洗顔と歯磨きは水道からの汲みたてで行う。
王都ニライは丘の上に建設されていたので、水を得られるほどの井戸を掘るのが困難だった。そのためニライの建設の際にカ・ナン川から水を引き入れるために水道と全長500mに渡る二層のアーチ状の水道橋が設けられていたのだ。
全長10kmに及ぶ水道を伝ってきた水は、王都の中央で円筒分水され、東西南北それぞれの地下に設置された大規模な貯水室に送られ、そこから地区ごとの小規模な貯水室に送られる。
なお、この屋敷は宰相用のため専用の貯水室が設けられていた。
「閣下があの機械をお持ち頂いたお陰で、随分水汲みが楽になりました」
機械とは手押し式ポンプである。これまでは貯水室に一々竿つるべを投げ込んで汲み上げていたが、手押し式ポンプを導入したことで、重たい水桶を汲み上げしなくて良くなったので、導入は使用人たちから感謝されていた。
さらに手押し式ポンプは構造が簡単なので、量産しようと計画も動いている。
朝の身支度を終えると近辺の散歩に出かける。雨天でなければ毎日だ。立場が立場なので護衛に2名着きそうが、ニライはまだのんびりしているためか、出会う者たちにも気軽に声を掛けることができる。
道中で朝食用の薄手のパン、アサパを行きつけの店で購入する。この店の売り子の少女ともすっかり顔なじみになり、彼女を通じてこの町の庶民の様子を聞いていた。
帰宅すると朝食になる。屋敷には専属の料理人が居るので、主食以外を作ってもらっている。
この日の朝食は、アサパの他は、干した小魚を煮出して出汁を取って具に蕪を入れたとろみのあるスープと、飼育している鳥類の卵の目玉焼き。
当主が一ヶ月の半分どころか三割ほどしか滞在しない屋敷の専属にするには勿体無い腕前の料理人の料理だけあって、シンプルながら実に美味である。
「閣下のご用意して下さった新式の焜炉のお陰で、随分と薪を使わなくて済むようになりました」
ソウタが持ち込んだのは、少ない燃料で高い火力を得ることができるロケットストーブの仕組みを応用した焜炉だった。アウトドア用の現物を持ち込み、職人に構造を説明して製作させたものだ。
ロケットストーブは構造さえ理解すれば、このカ・ナンの技術力でも十分作成可能なものなので、用途を吟味した上で普及を進めることにしたのだ。
実際にこの屋敷を起点に評判が広がって、徐々にではあるが導入が始まっているという。
朝食を終えると身支度を整えて、朝の8時前に出仕。出迎えにリンが来るので、共に馬車に乗る。屋敷から王宮までは徒歩でも十分な距離だが、宰相なので馬車を使えと言われていた。
出仕して、この日の業務は書類に目を通しての裁可。とはいえ、ソウタはまだカ・ナンの文字の読み書きが満足にできないので、リンに読み上げてもらって対応している。
昼前から近郊の視察のため外出する。昼食は馬車の中で弁当。この日はピザの生地に近いチュパを主食に、菜もののお浸しに、魚と肉のジャーキーにありつく。
昼食を摂りながら向かう先は練兵場。ソウタがカ・ナンの宰相に就任して四ヶ月が経過していたが、あの時見た兵士たちが、今はどうなっているのかを確認しに行くのだ。
「あっ!ソウタくん!」
道中で騎兵団と出会った。無論、指揮しているのはヒトミ。新調した白い鎧を着て、旗を掲げて移動中だった。
「ヒトミ、新しい鎧の調子はどうだ?」
「うん!アルミ製になったから、随分軽くなったよ!」
正確にはアルミ合金製である。ソウタはアルミ合金の板材を持ち込んで、試作としてヒトミの鎧を作成させていたのだ。
ちなみにアルミ合金は強度を高めるとその分腐食に弱くなる。そのため、日本から下地と塗料を持ち込んで塗装していた。
さらに鎧の下に着込む鎖帷子はステンレス製を調達するなど、最前線に飛び込む可能性が高い彼女のために、可能な限り防具を揃えようとしていた。
「ああ。前の鎧も似合っていたけど、今の鎧はもっと凛々しくていいな」
「本当?!ありがとう!」
ソウタが褒めると、ヒトミはニコニコと笑顔を絶やさず上機嫌に。
「じゃあ、私たちは西のほうに行くね!」
騎兵団は総数100騎ほど。先の戦いでの勝利に多大に貢献したが、その引き換えに大勢を失い、現在再建中だった。
騎兵は機動性と打撃力に長ける切り札なのだが、乗馬の技術は一朝一夕で身につくものではなく長期間の修練が必要なので、簡単に回復・増強できるものではない。
国外から雇おうにも、特に高額の報酬を用意せねばならないので、そちらも現実的ではない。故に今の戦力の質を高めるしかないのだ。
「シシノ将軍、日頃は本当に穏やかですが、鎧をまとわれて騎乗されると、本当に凛々しいのですね……」
リンは憧憬の視線を去り行くヒトミに向ける。彼女だけでなくカ・ナン中の女性が、女性でありながら軍を華麗に指揮して活躍したヒトミに喝采を送っていた。
「あいつには指揮官としての才能があるって、俺は直接見たわけじゃない。俺がよく知っているのは武芸なんてからっきしダメだけど、乗馬が好きで楽しそうに駆け回っているあいつなんだ……」
正直、ソウタはヒトミが前線に立って指揮を執って、まして敵陣に先陣を切って突撃する姿を想像できなかったし、したくもなかった。
ただ、ヒトミがそうせざるを得ない以上、なるだけ彼女に怪我を、まして落命しないように、自分にできることをするしかないと決意していた。
練兵場に到着すると、午後の訓練が始まっていた。
行進する兵たちは、全員統一された制服と帽子を着用しており、さらに行進の足並みが随分揃うようになっている。さらに彼らが手にしているのは物干し竿ではなく、先端に鋭い穂先が付いた立派な槍だった。
「閣下、ようこそおいでくださいました!」
騎乗した指揮官が出迎えてくれる。
「早速、使ってくれているようだね」
「ええ。閣下が手配して下さったお陰で、全ての兵たちに制服と長槍を支給する事ができました」
制服については生地はこちらで調達だが、足踏みミシンを導入し習熟させたので、驚くほど作成が早くなっていた。そのため、当面必要な数の制服の作成は完了し、配布を終えていた。
そして槍だが、ソウタがこの時までに日本から持ち込んだスチール缶が材料になっていた。
持ち込んだスチール缶はすでに300トン以上。このスチール缶を用いて真っ先に槍を作成したのだが、こちらの配備は一段落している。
現在はその鉄を使って、ナイフやトマホーク、そして携行シャベルの作成を進めていた。これらを配備したのは工具と接近戦への備えが兼用できるからであり、村でも使い慣れた道具の延長だからであった。
こうして統一された制服と武装が整ったことで、兵たちの士気は大いに向上したという。
「最近、エ・マーヌの指揮官を招いて、新兵器、銃の訓練も行っています。煙が多く出るのが難点ですが、弓ほど習熟に時間を掛けずに同じだけの距離の敵を打ち倒せるのは心強いです」
マスケット銃は性能だけで見れば、長弓で十分対抗できるのだ。だが、長弓は習熟するのに長い歳月を必要とし、技量を維持する為に訓練し続けなくてはならない。
そのため、カ・ナンでは弓の有効性は知られていたが、猟師たちを組み込んだ猟兵団以外ではほとんど弓は用いられていなかった。それだけに、僅かな訓練で弓と同等の性能の武器が扱えるとあって、大々的に導入が進められていた。
銃はソウタやエ・マーヌ軍が所有していたマスケット銃を量産している。そして作成された銃を用いた訓練も行われていた。
腕が良い兵と、器用で弾薬の装填が手早い兵は、優先的に引き抜いて、銃兵として組織する計画である。
「分かっているとは思うけど、火薬の使用には十分注意して事故が無いように。敵と戦う前に大怪我したり、命を落とすなんてことが無いように十分注意してくれ。カ・ナンは唯でさえ人が少ないんだから」
かつてのソウタたちの祖国に限らず、二度の世界大戦に参加した大国の殆どは、一度目か二度目の大戦で、若者たちの命を無為に磨り潰す愚行を行ってきた。
それは膨大な人口があればこそ、人の命の価値が安価なればこその所業だったが、今のカ・ナンは小国であり人口も乏しい。徴兵できるわずかな人数を無為に失うことは、敗北せずとも亡国に繋がってしまうのだ。
「戦争にならないのが一番いいに決まっている。でも避けられないなら、自分たちの犠牲が一人でも多く出ないように、打てる手を打たなきゃいけないんだ」
兵力差は予測だけでも十倍以上。いや、実際にはさらに差が開くのは目に見えている。
兵力差を跳ね返し、カ・ナンを、エリとヒトミを守るためには、少しでも兵たちの質を高めて対抗するしかないのだ。
「素人ながら、私の目にも兵たちが精強になっていくのがわかります」
「うん。そのために今まで走り回ってきたんだ。もっともっと強くなってもらわないと」
正直なところマスケット銃を全軍に配備できたとしても、それだけで十数倍の大軍相手に優位に立つ事はできないのは、日本で改めて銃器の性能や、戦史を勉強した際にソウタもヒトミも痛感していた。
カ・ナンで作られたマスケット銃の有効射程は、おおよそ100mというところ。この距離では遮蔽物の無い平地で、敵が勢いに任せて大軍で押し寄せて来たら、削りきれずに蹂躙されてしまうのだ。
「やっぱり戊辰戦争の際に使われた、後装式のライフル銃が無いと物量差を覆すのは厳しいんだよな……」
後装式のライフル銃の特徴だが、銃身内に刻まれた螺旋状の溝によって弾丸に旋回運動を与え、ジャイロ効果により弾軸の安定を図り直進性が高められるため、マスケット銃などの滑腔銃とは比較にならないほどの長い射程距離と高い命中精度を得る事ができる。
さらに後ろから弾丸と火薬が一体化した薬莢で行うので、前装式より何倍も早く装填が可能である。
そのため敵に同等の武器が無ければ、接近される前に全滅させることも可能になる。
さらに機関銃まで準備できれば、射程内に入った相手を文字通りになぎ払う事ができるので、物量差はあって無きものになるだろう。
だが、カ・ナンだけでなくこの世界の技術力は、マスケット銃の製造さえようやくという段階であるから、前装式であってもライフル銃の試作品の製造さえ困難であろう。
そして言うまでも無く日本から大量にライフル銃と弾薬を持ち込むことなどできはしない。
つまり、銃を所持しているというだけで、一方的な展開に持ち込むことはできないのだ。
しかし、だからといって抵抗を断念するわけには行かない。とにかく、時間が足りない中でも、用意できる最良のものを最大限準備するしかないのだ。
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