24. 年末話その①
「ええと…恋愛指南本って言った?」
「…言ったわ」
気を取り直して、さっきの知宵の言葉。
聞き返してみれば諦めの混じった声が耳に届く。
「恋愛指南本って…あんまり想像できないんだけど、恋愛の仕方でも書いてあるの?」
「…ええ。タイプに合わせてある程度の行動指針が書いてあるわ。あなたに話したこともすべてそれよ」
「ふーん…」
言われたことは役立ちそうだからいいとして…。
「結局、知宵は恋愛経験ないのよね?」
「な、何もないわけじゃ…」
「…幼稚園とかいうのなしよ」
「…幼稚園なわけないでしょう」
「小学生のときもなしだから」
「…う」
そっか…なにもないんだ。つい最近までのあたしと同じだったんだ。
「……はぁ、よかったわね、あなたは。好きになれる人と出会えて」
何も言わずそのまま待つこと数十秒。ようやく口を開いて、ぽつりと、小さく呟いた。さっきまでの焦りは消えて低く落ち着いた声色。
「知宵は…好きな人いないの?」
以前、髪の毛を褒められたい相手がどうとかの話をした記憶がある。そのときはいないって言ってたような気がする。
「いないわ。気になる人がいないのよ…」
「同業の人とかは?」
「…私に異性の友人がいると思っているの?」
「そうよね、ごめんね」
「…それに関してはあなたも同じでしょう?」
「まあ…うん」
学校だと女の子の友達しかいないし、お仕事でも異性の人は基本的にみんな同僚みたいなものだから…他のお仕事したことなくて正確には言えないけど、とにかくお仕事で恋愛とかそういうのは考えられない。
「はぁ…私と同じだと思っていたのに、そんなことは全然なかったのね。やっぱり年齢?若さなのかしら…」
憂鬱そうにぼやいている。
あたしとしては年齢のところに反論したい。でも、今は言えない。少し前まで知宵と同じ状況だっただけに反論のしようがない。郁弥さんと出会えたのは彼が話しにきたから。
ただ、外で偶然会わなければ今ほど意識することもなかったと思う。もともと気になってた、っていうのも少しはある。これだって特に理由はないし…しいて言うなら、歌劇で寝ないとか既視感とか、になるけれど…。
「日結花」
「ん、なに?」
考え事に没頭していたら真剣さの混じった声が耳に届く。さっきより声が近い。声が聞こえた方では知宵がお布団から顔を出してこちらを見ていた。頭と足の位置が逆になっている。
「いや、なんでこっちに?」
「この方が話しやすいと思ったのよ」
「…だから枕ごと移動したの?」
「ええ。だいたい家主のいる方に足を向けて寝るなんて失礼だと思わない?」
「…まあ、それはそうなんだけど」
失礼なのはそれとして、あたしは家主じゃないから。
「で?なにか言いたいことあるんでしょ?わざわざ顔向けてるくらいなら」
「あら、よくわかったわね」
名案だわ!みたいな顔されたらすぐわかるわよ。なにか思いついたんでしょ、きっと。話の流れ的に、好きな人探しとか気の合う人探しとかそんなんだと思う。
「…あなた、私に紹介してくれないかしら」
何も言わず続きを促したら、またよくわからないことを言い出した。手で目元を覆い隠しつつ問いかける。
…たぶん、あたしの予想通りだと思う。ううん。たぶんどころか絶対…。
「…一応聞いておくけど、誰を?」
「私に合いそうな男の人」
ほらやっぱり!そんなことだろうと思った!!
「知宵に合いそうな男の人なんて知らないわよ。あと郁弥さんはあげないから」
「…郁弥さんってすごく良い人なのよね。日結花がベタ惚れなくらい」
「…あげないから」
知宵なんかに
「わ、悪かったわ。冗談よ冗談。だからそんなに睨まないで」
「…はぁ。あたし、郁弥さん以外に気の良い男の人なんて知らないわよ?」
あせあせと言葉を訂正する知宵を見て話を戻した。
Cカップ程度に揺らぐあたしじゃない。わざわざそんなことしなくたって恋人くらいなってみせるわ!
「ええ…その彼に教えてもらえばいいと思ったのだけれど…」
「郁弥さんに?」
それは考えてなかった。あの人なら確かに知っててもおかしくない。男の人だし、同性の友人の一人や二人はいるはず。
「そう。類は友を呼ぶと言うでしょう?あなたのいう人当たりの良い素敵な人も見つかると思うのよ」
「…どうかしらね」
郁弥さんみたいな人当たり良くて素敵な人?…あんな稀有な人いるわけないわね。笑顔も雰囲気も優しさも甘さも、全部全部あるから好きになれたのに…ああでも、あたしじゃないんだ。あたしには郁弥さんしかいないけど、知宵にとってはあの人だけじゃない…まだ会って話して惹かれてないからこそいえるのよ。
「いいわ。聞いてみる」
「お願いね」
ほっとした様子で枕に頭を落とした。さっき枕ごと移動してきたから、あたしの位置からでも知宵の姿がよく見える。
話がひと段落したところで携帯を確認。
【こんばんは。あと数時間で今年も終わりだね】
返事が来てた…ふふ、なんか変な感じ。去年はあたしに好きな人ができて、こんな風に話すことになるなんて夢にも思ってなかった。
【そうね。今なにしてるの?】
「ねー知宵ー」
「なに?」
軽い文章を送り返して声をかける。ふと気になったことがあった。
「今年も終わりだけど、どうだった?」
「…その話、"あおさき"でしなかった?」
「うん、まあね。でもほら、話してないこともあるでしょ?時間足りなかったし」
「ええ…じゃあまずは仕事から」
お互い携帯を見ながらゆるっと会話をする。
あたしの方は郁弥さんの返事待ち。寝てるのは…さすがにまだないと思う。返信来てからそう時間も経ってなかったし、すぐ返ってくると思う。
「ん、話していいわよ」
「私から?」
「うん」
「…今年は良い1年だったわ」
良い1年って…漠然としてるわね。そんなのあたしだってそうよ。プライベートは言うまでもなく、お仕事だって順調だもの。
「仕事のことはほとんど"あおさき"で話したわね。ナレーションの仕事も増えて、このままいけばKHAの番組、『地球と自然』のナレーターも夢じゃないわ」
「聞いた聞いた。その番組あたしも見たわ」
「どうだった?面白かったでしょう?」
「なんかお金かかってそうな番組だった」
北極とかで時間かけて動物のすごい映像とか自然のすごい映像とか、見応えある映像がいっぱい。さすがKHAだと思ったわ。
「…お金はともかく、内容の感想はどうなのよ」
「面白かったわよ?でもなんであんた、あの番組のナレーションやりたいの?ああいうの好きだっけ?」
「いえ。ただKHAの壮大な番組を担当しているナレーターの声がみんな好きなのよ。真剣で耳に染み入るような話し方が好きなだけ」
「なるほど…」
たしかに、音楽もあんまりなかった印象。基本的に話し手の声と現地の映像、音声だけ。そのぶん話し手の声がはっきりと聞こえて、喋り方から内容までわかりやすかった記憶がある。
「あなたの方は?」
「あたし?あたしは…」
今度はこちらの話を、と思ったところで返事が来た。さっそく返信をする。
【ちょっと今年の振り返りをね。日結花ちゃんは?】
【あたしは友達と色々お話してたわ。誰だと思う?】
「日結花、どうかしたの?」
「え、ううん、なんでもない。あたしの話だったわね…」
お仕事か…以前は"人を笑顔に"なんて大雑把な目標があっただけ。ママと話して方針を固めたにしても、進展はそんなにない。
受けるオーディションの方向性を少し変えた程度?
「"あおさき"でも言ったけど、RIMINEYの作品に色々出ることが目標になったくらいよ」
「あなた、今メイン張ってるの2つほどなかった?」
「うん。あるわ」
「…いくつ出る気なのよ」
呆れ気味な声が聞こえる。
いくつと言われても…主人公を勝ち取るまで受け続けるつもり。アニメ作品以外の吹き替えも出たいし…洋画のコメディとか絶対楽しい。あたしも楽しくて見てる人も楽しいなんて最高じゃない。
「メインっていっても片方はグループの一員だから、主人公をやりたいわ」
「…もう片方は主人公だったような気がするのだけれど」
「それはそれ。これはこれってやつね」
できれば色々出たいでしょ?それもあたしが主役なやつに。
「あと、『まほうひめリルシャのぼうけん』。来年劇場版やることになったわ」
「そう…ん!?劇場版!?」
勢いよく起き上がってこっちに顔を向けた。と同時に返信が来る。
【学校の友達?】
【はいぶー。他は?】
「そ。劇場版」
ささっと文章を打って話を続ける。
リルシャはあたしが思っていたよりも人気作だったらしい。さすがRIMINEY。さらっ映画化決まったわ。
「劇場版って…そのアニメそんなに面白いの?」
「面白いわよ。リルシャちゃん可愛いし、あたしも上手く演じてるもの」
「…あなたの自画自賛はどうでもいいけれど、映画化するくらいなら人気はあるのよね…」
さっきの驚きはどこへやら、やる気なく喋り、起こしていた身体を沈めた。
あたしの自画自賛はどうでもいいって、ひどい…っと、郁弥さん返信早いわね。あたしと同じで待機してるのかな。それだったら…ふふ、少し嬉しいかも。
【仕事の人かな。青美さんとか】
【正解、その青美知宵本人よ】
【へー、"あおさき"聞いてて思ったけど、青美さんと仲良いよね】
やっぱ返事早いわ。この人作業しながらも携帯確認してるみたい。1年の振り返りっていうのは、パソコンか手書きの作業…ね。たぶん。携帯じゃそんなのしないでしょ?
【あら、じゃあお泊まりの話も聞いた?】
【うん。来年にするって話してたね】
【ええ。その予定が変わって今日になったの】
こっちの返事はこんな感じでいいとして…映画化の話だったわね。
「人気はあると思うわ…ていうかあんた、見たことないの?」
「ないわよ?それが?」
「…"あおさき"で宣伝したんだけど」
「…そのうち見るわ」
これ、絶対見ないやつ。
…知宵が見るか見ないかは置いておいて、リルシャの話はこれで終わり……あ、シーズン3のこと伝えてなかった。一応伝えておかなくちゃ。放送されていれば見てくれるかもだし。
「そのリルシャね。言い忘れてたけどシーズン3始まるから」
「…そこまで?…少し気になってきたわ。シーズン2までで何話あるの?」
「たしか52話、だったはず」
シーズン1が25話で、シーズン2が27話あったから合計で52話。うん、合ってる。シーズン3も1と2の話数分はあるとして…80くらいまでは行くんじゃない?
【年の最終日に呼ぶって…日結花ちゃん実家だよね?】
【ええ。ちゃんと両親には了解取ったから大丈夫よ?】
ふふ、あなたが気にすることじゃないでしょ。なんか楽しいなぁやっぱり…うー郁弥さんなにしてるのかなぁ。1年の振り返りってなに?お仕事は…さすがにないでしょ。なら…日記とか?……よし、聞いてみよ。
【あたしのことはいいわ。それより1年の振り返りってなに?】
【今年思い出に残ったことをメモ帳に打ち込んでるんだ。結構量多くてね】
【へー、ねえねえ、一番楽しかったことは?】
【え、うーん…】
思い出に残ったことかー…あたしも色々あったわね。お仕事はもちろん、プライベートだってこんなに良い巡り合わせがあったんだもの…今年は思い出に残ることが多すぎて困るわ。
「――結花、日結花」
「え、な、なに?」
ネミリでぽちぽちしてたら考え事に没頭してしまっていた。声に気づいて顔を傾けると、うつ伏せの体勢であたしにじと目を向ける美人が…。
「…人の話を聞かないのはどうかと思うわ」
「ご、ごめんね?別のことに気を取られてたわ」
…二つ同時は無理。片方に集中するともう片方が頭から離れちゃうのよ。
「別のことというと、郁弥さん?」
「うん。軽く話してて…」
「まあいいわ。あなたがどれほど好きなのかは散々聞いたもの。続けて?」
軽く流して枕に頭を落とした。特に気にした様子もなく、続きを促してくる。
「リルシャの話はさっきので終わり。あとは作中の挿入歌でCD出すくらいよ」
「あぁ、RIMINEYの作品はそういうのが多かったわね」
「それそれ…現状はこんな感じ。他の出たい作品だと、洋画のコメディとかあるけど…わかる?」
「…観客の笑い声が入るやつかしら」
「そそ。あの辺の番組に出たいのよ」
「それ、RIMINEYに関係あるの?」
ないこともない。というより、放送チャンネルがRIMINEYの系列。
番組を作っているのがRIMINEYかどうかはともかく、ある程度のかかわりはあるわね。
「チャンネルがRIMINEYのやつだし、たぶんあると思う」
「そうなの…コメディ、ね。私も少しは吹き替えに手を出しているけれど、コメディはわからないわ」
「へー、知宵でもやったことないお仕事あるんだ」
「それはそうよ。いくら私でもできることには限りがあるわ」
「…あんたも大概自信過剰じゃない」
さっきあたしの自画自賛がどうとか言ってのに。
今のところは、"私をなんだと思ってるのよ、過大評価だわ"とか来ると思ったのに…さらっと流されて、むしろ強気に返ってきた。
「そんなことより、そろそろ返事は来た?」
「返事?」
返事って…郁弥さんから?いや来てるけど、あんたと話してたからこっち返してなかったのよ。とりあえず返しておこうかな…。
【旅行かな。京都に行ったのをよく覚えてるよ】
京都行ったんだ…ていうかあたしと話したとかそんなんじゃないのね。
むぅ、ちょっと複雑。ここであたしの名前出されたら、それはそれで恥ずかしいし照れるけど…何もないとないで物足りない。
【ふーん。誰と行ったの?】
…いや、こんな小姑みたいな言い方おかしい?かも…別に恋人でも婚約者でも妻でもなんでもないのに……変な子もいたものね。
【え、同僚の人だよ?】
時間を置いたのにさくっと返信が来た。
よかった。なんにも気にしてないみたい。セーフセーフ。
【そう…それはそれとして、あたしのことじゃないのね。一番楽しかったこと】
【あはは、日結花ちゃんのことは楽しいより嬉しいだからね。比べ物にならないよ】
う…また胸がきゅうってすること言ってくれる。嬉しいって、あたしの方が嬉しいわよもう。
「…今見ていたようだけれど、郁弥さんからの返事のことよ。もう来たの?どこに住んでいるかと…あ、あと男の人の紹介の話」
「ああ、うん…」
ごめん知宵。そんな照れながら話してくれたのに、そもそも質問すらしてなかったわ。ごめんね。
「まだ聞いてなかったわ」
「…ねえ、さっきまで何を話していたの?」
「なにって…雑談?」
だってそんなこと聞くタイミングなかったんだもの。仕方ないじゃない。
「それより知宵、振り返りの続きは?」
「もう終わりよ。仕事の話は終わり。プライベートはあなたが自分から色々話してくれたでしょう?だから終わり」
「ちょ、ちょっと。あんたのプライベートは?」
「私は特にないわ。あなたと違って学校も通っていないし、異性との交流もないのよ。はい終わり」
口を挟む間もなく話が断ち切られた。これはもうどうしようもない。知宵が完全に話す気なくなっている。
「さ、電話をしましょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます