20. クリスマスイブの昼①




「…ねえ郁弥さん」

「…なにかな?」

「…高めのお店っていっても限度があると思うの」

「…うん」

「値段はいいのよ。思ったほどじゃなかったから…でも、場所がおかしいでしょ」


あたしの予想は百貨店の最上階にあるレストランとかそういうのだったのに…いきなり高級ホテルのレストランまで来ることになってちょっと意味が分からない。ビュッフェとかバイキングなのかなぁと思ったらコース料理だし…洋食っていうかフレンチじゃないの…。


「ほら、一応ドレスコード意識してって言ったでしょ?」

「ええ。言われたわ。だからきちんとしてきたのよ…ちゃんとしてきてよかったわ」


今日の服は白と薄い黄色のコラボワンピース。丈は膝下まで。ヒールのある靴も履いてきた。ワンピースに合わせて水色。その上から濃い紺系のカーディガンを着て、さらにクリーム色のロングコート。

ワンピースの袖は二の腕下辺りまでの長さで、派手さはあんまりない。というか…そもそもカーディガンがあるから露出はほとんどないわ。

コートはお店の入り口で店員に渡して、今は席に案内されたところ。


「うん。今日の日結花ちゃんも可愛い服着てるよね。どちらかというと綺麗、かな?」

「え、そ、そう?ありがと…郁弥さんも似合ってるわ」


ふわりと柔らかく微笑んで褒めてくれたその人の服装も、今日はひと味違う。水色のシャツにグレーのジャケットとパンツ。ネクタイはなしで靴は黒の革靴。あたしと同じでコートはもう預けてある。

…大人っぽい。すっごく大人。


「あはは、ありがとう」

「えへへ…ってそうじゃなくて、どうしてここまでしっかりしたお店になったのかって話よ」


可愛いとか綺麗とか言われて嬉しい…ううん、今は違うわ。褒めるのは後にして。また後で褒めてくれればいいの。こんな本格的なお店を選んだ理由についてよ…正直、こんな大人な郁弥さん見られたから全然気にならないことではあるんだけど…教えてもらっておけば今後の参考にできるじゃない?


「それはほら。クリスマスイブだからさ。こういうのもいいかなって思ったんだけど…嫌だった?」

「嫌じゃないわ」


不安に揺れる瞳が彼の心情をそのまま表している。この表情をもっと見ていたかったのに、つい即答してしまった。

だって可哀想なんだもの…なんというか…そう、保護欲がかきたてられたのよ。


「ちょっと驚いただけなの。全然嫌なんかじゃないわ。むしろ、あんまりこういうところ来る機会ないから新鮮で楽しいくらいよ」

「そっか…ならよかった」

「ふふ、じゃあお料理決めましょ?コース料理なんだから、選ばないとね?」

「うん。そうだね。選ぼうか」


メニューを開くと、さすがにしっかりしている。コースのことだけじゃなくてお酒についても色々書いてあった。

もちろん飲まないわ。ていうか飲んだら郁弥さんが罪に問われちゃうじゃない。あたし未成年だもの…お店の人にどう見られてるのかな。服装的に20超えてるように見えてもおかしくないとは思うけど…。


「日結花ちゃん?」

「ん、どうかした?」

「いや、何か考えてるみたいだったから。料理悩んでるのかと思って」

「え、んー…う、うん。そうなのよ」


ごめんなさい。全然メニュー見てなかった。でもほら、あたしの考えてたこと話すのもちょっと恥ずかしいし…つい勢いで、ね?


「やっぱり?じゃあさ。このクリスマス限定コースにしない?」

「んー?…これ?」


言われてメニューに目を通すと、確かに書いてあった。前菜とスープ、デザートは決まっていて、魚料理と肉料理、食後のドリンクを選ぶコースみたい。


「ふふ、これでいいわよ。後はメインのお料理だけど…郁弥さん決めてる?」

「うーん…魚料理はちょっと迷ってる。肉料理は鶏肉にするよ」

「あ、そっか。以前鶏肉好きって言ってたものね」

「うん。美味しそうだよね。フレンチだからこその鶏肉、っていうのがいいと思うんだ」


気持ちはわからないでもない。

あーどうしよっかなぁ…どれもこれも美味しそうだから困る。なんで三種類もあるのよ。こんなの迷うに決まってるでしょ。

……せっかく二人で来てるんだから、お互い違うの注文した方がいいわよね。ちょっと食べさせてもらえばいいし…ち、違うわよ。食べさせてもらうっていうのはそういう意味じゃなくて、お料理少し交換すればいいってだけのことだから。全然まったく焦る必要なんてないわ。


「日結花ちゃん?」

「ううん!なんでもない!それで、なんの話だったかしら?」


不思議そうにあたしを見つめる瞳から目をそらす。どことなく居心地が悪い。


「料理を何にしようかって話だった、かな?」

「そう…うん、じゃああたしたち違うお料理選びましょ。それでちょっとずつ交換するの。いいと思わない?」


マナー的にはあんまりよろしくないけれど、ランチだからまだセーフね。それに、フランス料理専門のお店ってわけでもないから、そこまでマナーに厳しくないわよ。


「日結花ちゃんがいいならいいけど…何か食べたいものあった?僕あとでいいよ」

「…うん」


なんでだろう…今すっごく嬉しかった。

自然と先に選ばせてくれたことが嬉しくてたまらない。あたしへの気遣い。それだけで胸がいっぱいになった。


「ええと」


そうだ。お料理選ばないと。こんな些細な一言に喜んでる場合じゃない。魚料理は…サワラでいいかな。ヒラメは別のところで前に食べたし、今回はこっちにしよう。あとは肉料理…うん、牛肉でいいや。


「魚料理はサワラにするわ」

「そっか。じゃあ僕はエビにするよ」

「ふーん、ヒラメじゃないんだ」

「え、変かな?」

「ううん。でも、魚より貝とか海老の方が好きなの?」


旬かそうじゃないかは正直そこまで気にしない。ただ気になっただけ。好みとか、こういうところで色々知っていかないと…まだまだ知らないことだらけだわ。


「そんなことないよ?今日はエビが食べたかっただけだから」

「あ、そうなんだ」


偶然にもあたしと似たようなことを考えていたらしい。

あたしもエビとサワラで迷ってたのよ。結局サワラにしたから…両方食べられるならラッキーね。


「あとは肉料理だけど、あたしは牛肉にするわ」

「おっけー。僕は鶏肉にするから…残りは食後のお茶だね」

「ん…これはどっちでもいいのよね?」

「あはは、そうだね。コーヒーと紅茶しかないし、日結花ちゃんの好きな方でいいよ」


飲み物の交換は…別にいいけど。恥ずかしくなんてないもの。間接キスくらいほら、そんな気にすることないでしょ?


「参考までに、郁弥さんはどっちにするの?」

「僕?僕は紅茶かな。コーヒーはそんなに好きじゃないんだ」

「ふーん…じゃあ、あたしも紅茶にするわ」


他意はない。同じもの頼んで一緒に飲んだ方がいいとか、そんなちゃちなこと考えてない。


「決まったね。これで大丈夫かな」

「ええ、お店の人を…」

「あ、ちょうどよく来てくれたみたいだよ?」


あたしと話しながら、タイミングよくこちら側に歩いてきたお店の人に片手を上げて知らせる。

声をかけないところが高いお店っぽい。今のすっごく大人な感じした…なんか、郁弥さんがいつも以上にかっこよく見えてくる。不思議。


「何かございましたか?」

「はい。注文をお願いしたくて」

「かしこまりました。どのコースにいたしますか?」

「ええと、このクリスマス限定コースを二人ぶんお願いします」

「はい。では―――」



「ごゆっくりお過ごしください」


あたしが何か言うまでもなく、ぱっぱと全部注文してくれた…なによもう。かっこいいことしないでよ。ずるいわ…そういうの、ずるい。


「ふぅ…間違えてなかったかな?」

「え、ええ。合ってたわ」

「それならよかったよ……日結花ちゃん。今日はクリスマスイブなのに付き合ってくれてありがとね」


あたしが一人頭を悩ませていると、落ち着いた声が耳に届いた。


「そんな、むしろあたしが付き合ってもらった側なのに…お礼なんていらないわ」

「それでもだよ。クリスマスイブの大事な時間を君と過ごせるだけで僕は幸せなんだから」

「…んぅ」


あぁ…やばい。今のセリフはだめっ。胸の奥がきゅんきゅんする。嬉しい。そんな素敵なこと言ってくれるなんて嬉しいに決まってる。

でも…真っすぐ綺麗な目で見られると照れる。頬が熱い。どんな顔すればいいのか、どんな言葉を返せばいいのかわからない。

うう…なんて返せばいいのよ。いつにも増してかっこいいこと言ってくれちゃって…そんなのにここまで動揺させられてるあたしもあたしだけど!こんなこと言ってくる郁弥さんが悪いのよばか!!


「…またすごいかっこつけたこと言うわね」

「そ、そうかな?」


なんとか絞り出した言葉に対して、少し驚いた顔を見せる。自分の言ったことがこんなにもあたしを悩ませているとは夢にも思っていない様子。

…あたしだけ動揺してるのがばかみたい。これだから天然はずるい。精神的にすっごく疲れる。


「…あたしだからいいけど、他の人に言っちゃだめよ?」


だって、他の人にあんな恥ずかしいセリフ言ったら相手の人が困るでしょ。二人で食事に行くくらいだし、正面からあんなこと言われたら誰だって照れるわ……あれ?


「あはは、他に言う人なんていないから大丈夫だよ」

「う、うん。でもそれは女の人に誘われないからでしょ?」


あたし、さっき変なこと言った気がする。あたしにしか言っちゃだめって、それ…ううん、郁弥さんは気にしてないみたいだし考えるのやめよう。あー顔が熱い。


「…実は、誘われることならあるんだよね」


頭の中で一人一喜一憂していると、苦笑気味に一言放り込んできた。


「ふーん…え、うそ。誰に誘われるの?」


この顔は嘘じゃない顔。

なによ…あたし以外にもいるんじゃない。そんなそぶり全然見せなかったのに…。


「会社の同期の人と…あと飲み会で話した人とか…」


なんであたしの方をうかがいながら話すのよ。べつになにもしないわ。


「飲み会って…一般的に言われる合コンってやつ?」

「…うん。それもあるけど、会社全体のお疲れ様会で会った人とかも、かな」

「そう…それで、どうなの?誘われたんでしょ?」

「断ったよ。僕は……僕じゃだめだから」


何を言えばいいのかわからず、迷うような仕草で言葉を紡いだ。顔も少し下向きで、暗い表情を浮かべている。

…あぁ、まただ。またこの顔。苦しくてもどかしくて、諦めて泣きそうな、そういうの全部押し込めてしまい込んだ、そんな顔。

話してほしい。教えてほしい。助けてあげたい。いろんな言いたいことをぐっとこらえて、軽く深呼吸して落ち着いた後、口を開いた。


「あら、じゃあどうしてあたしとは来てくれるの?もしかして、その人たちより軽いと思われてる?それなら心外だわ」

「違う違う!君は特別だからだよ…僕がどうとかより日結花ちゃんのためならなんでもしてあげたい…うん。奉仕の心だね」


彼の心情には気づかないフリをして、冗談まじりに会話を進める。どうやら正解を選べたようで、いつものふわっとした雰囲気に戻り、恥ずかしいセリフに加えてよくわからない冗談まで入れてきた。


「…奉仕って、執事か何かなの?」

「気持ちの問題かな。それくらいの気持ちはあるってことだよ」

「あ、そう?なら明日のイベント来てちょうだい」


きっと、彼の抱えていることは大きいものなんでしょうね。あたしじゃ足りない…ううん。もしかしたら誰にも話してないのかもしれない。あんな顔するくらい…あたしには想像もつかない何かがあったんだと思う。


「え、そ、それはちょっと…」

「…奉仕の心は?」


幸いにも、今一番彼の近くにいるのはあたしだけ。彼の言う通りなら縁もあるらしい。つまり、手助けできるのはあたししかいないってこと…そう簡単に手助けできないのが苦しいところね。


「う…それとこれとは話が別というか…」

「言い訳はだめよ。執事はそんなことしないわ」


"人を笑顔にする"。

以前思い出したこれは、思ったより難しいみたい。お仕事はともかく、こうして直接的なことだと途端に難しくなった。たった一人を笑顔にしたいだけなのに、それがどうしてもできそうにない…今は、ね。


「僕は執事じゃないって。気持ちの問題だから…というか、この話ネミリでして終わらなかった?」

「え?郁弥さんが寝落ちして終わったやつ?」

「それは先週だよ。そのあと色々話したよね?」

「ええ。そういえばそうだったわ」


…そう、今はまだ無理でも、いつかなら違う。時間をかけて話していけば大丈夫。あたしだけ助けられて、それで終わりなんて嫌。こんな良い人をこのままにしておくなんて、あたしにはできない。彼のことも助けてあげないと。


「日結花ちゃんもわかってくれてなかった?ほら…」

「別に画面見せなくてもいいわよ。ちゃんとわかってるから。それより、郁弥さんは明日どう過ごすの?結局用事がどうとかしか話してないじゃない」


目の前で楽しそうに笑う姿からだと、何かを抱えているなんて全然わからない…でも、あの顔を、あの雰囲気を一度知ってしまったからには、きっちり解決させてもらおう。

最後には、笑顔で"ありがとう"って言ってもらうのよ。それでやっと、あたしも一つ前に進めると思う。この人を笑顔に……あたし、前にも似たようなこと考えなかった?…気のせいじゃないと思うんだけど…うーん、思い出せない。

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