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 人の記憶に残る、あなたの行ったことのない場所に、転移出来る空間を開くことが出来るだろうか? セスの依頼は、それだった。


「ああ……やったことはありませんが、やり方なら知っているので、多分出来ると思いますよ」


 セナイ=フィルネアはそう答えた。


 ギルバートと会ったジャンヌがミストラルの家の居候となり、ボワナ族の土地へ一旦戻りたいと言い出したのは昨日の夜のことだった。この数日間のうちに彼女は話を聞いたミストラル家の父に連れられて第一回目の記念すべき町の集会に参加した。集会には老若男女を問わず人々は行ける者が皆集まり、コボルティアーナを連れた赤毛の風使いが進行係を務めた。エルフはそのかたわらでいつの間にやら用意していた動物の皮をなめして作った紙とインクと羽で作られたペンで、色々なことを書き留めていて忙しそうだった。懸念していた何らかの争いが起きることはなかった。


 その時、たまたま町に来ていたドラゴン使いが数人いて、成り行きで集会に参加させて貰っていたらしく、彼らはドラゴン使いの町に帰ってコボルティアーナと西の町の交易路が開けるかもしれないという知らせをいち早く皆に知らせた。


 ずっともやもやした気持ちのままだったテレノスは、その数日前にカレンと会っていた。彼女は当惑した表情で見知らぬ少女を連れており、それが誰かと尋ねれば、シラクサだというではないか。人間でもドラゴン使いでもあり得ない黒い髪と瞳の少女に疑いの目を向ければ、その体が突如光り輝いて、次には最早家の天井にまで届くような大きさになったラインラントの黒いドラゴンがそこにいた。


 火術士は何か自分に別の用事があるのだろう。そう思えたが、ヒュムノドラゴンの出現に用事はうやむやになってしまった。ひょっとしたら、彼女は自分との行為に気付いていたのかもしれない。だが、その時はテレジアの娘竜の力の判明という事件が衝撃的すぎたし、その問題については話し合ってもあまり意味がないように思えた。


 レフィエールの弟はしかし好奇心には勝てず、コボルティアーナという種族を見たことがなかったので、ミストラルの家に行ってみた。するとそこにはセナイがいて、話題のジャンヌという若い女と話しているではないか。


「テレノス=レフィエール、ドラゴン使いさ。よろしく」


 そう挨拶すると、相手もきりっとした笑顔で一族の名と共に丁寧に返事をしてくれた。


「ドラゴーンを、あなた、使うのでーすか?」


「いや、俺達は決して“使って”いるわけじゃないんだ。ほら、俺達全体を呼ぶ時に“ドラゴン達のパートナー”じゃ面倒臭いと思わないかい? 他にいい言葉が当てはまらないから多分そう言ったり言われたりしているだけだよ」


 コボルティアーナの質問に答えながら、テレノスは兄を思い出しついた。エルフの言った通り、あれほどの術の使い手ならばドラゴンを使えて当然かもしれない。しかし、兄はいつもオーガスタやヴァリアント、生まれてあまり時の経っていないシラクサとも対等だった。特に、ヒーラー種の兄のパートナーは逆に彼を振り回している。


「そういえば、ギルバートは何処だい? 色々聞きたいことがあるんだけど」


「ああ、彼なら私にこの部屋を貸してくれて、それから外へ行きましたよ。おそらく町の各家の主人と話し合っているのではないでしょうか」


 テレノスが質問すると、セナイが答えてくれた。


「何の為にここを借りたんだい、セナイ」


「私ですか? 私はこの方の記憶からコボルティアーナの方々の村の様子を拝見させて頂き、彼女が百八十日かけて戻る手間をなくす為に転移の空間を開こうとしているのですよ。発案者はセスですけど……集会では交易の推進を皆が叫んでいましたし」


 そういうわけでしばし静かにして下さいねとエルフは柔らかく言って、納得のいった表情のジャンヌに向き直った。ドラゴン使いはミストラルの家のテーブルの下に押し込まれてあった丸椅子を出して座り、これからどんなことが起きるのかを見届けようと思ってそこに立つ二人を見る。


「わたーくしは、大丈夫でーす」


「それでは、失礼しますよ」


 彼女は目を閉じ、エルフが何事かを呟いた。


 何を言っているのかはわからなかった。ただ、セナイの持ち上がっている手の中で何かが輝き、それがコボルティアーナの額に一本の光となって吸い込まれたのが見え、彼は思わず息を呑む。そうだ、きっと今この耳と尻尾を持つ女の子は自分の村のことを考えているに違いない。そしてエルフの術によって共有しているのだ。


「……大きな塔、水晶で出来ていますね……村じゃないではないですか」


 ドラゴン使いの前で彼は呟きながら、まだ両手を差し出すように上げたまま光を繋ぎ続ける。エルフはその後も色や形を呟き続け、しまいには一番大きな呟きにこんなことを言った。


「……こんな金の量は見たことがありませんよ。しかも、魔法を使える者がいるようです!」


 ありがとうございました、と言われたのでジャンヌは目を開き、少しにやりと笑ってみせた。ふっと光が消えて、テレノスは立ち上がって二人に近付く。


「わたーくしの住む所では、色んなもの、採れるね」


「セナイが言っていた大きな水晶の塔って、本当かい?」


「あれは、わたーくし達の象徴でーす。ある時ボワナ族と、セーヌ族の人達が、地面を掘ってーいたら、出てきたね。それかーら全部の族が来て、みんなで掘ったね。今は、磨いて、立ててあるーね」


 どうやら本当のようだった。


 それから、三人は外へ出て、この町とドラゴン使いの町を結ぶ光り輝く空間の方へと向かった。空はからっと晴れていて、前よりも幾分か快適になっている。


 石畳の道ですれ違う人々は、彼らを見かけると皆驚いたような表情になり、それから微笑んで挨拶をしたり手を振ったりしてくれた。コボルティアーナはそれに機嫌をよくしたらしく、ふと見ればその尻尾がゆらゆらと揺れている。


 と、彼女が遅れ始めた。どうしたのだろうと思い、テレノスは歩調を緩めて後ろを振り返る。セナイはすたすたと前方を歩いていて、何も気付いていないか気にしていないようだ。


「どうかしたのかい?」


「……あまーり大声では言えないのでーすが」


 その声が小さかったので、ドラゴン使いはもう少しジャンヌに近付いた。少しだけためらってから、彼女は言った。


「一度だけ、わたーくし達の住む場所に、エルフが来たーことが、ありまーした。沢山のコボルティアーナのわかーい人達が、エルフの話聞いて、今自分がーいる所に満足出来なーくて、どんどん出て行ったね。前より、数の減りまーしたわたーくし達は、困っていまーす。わかーい人働くのにぴったり、だから、いなーくなったらみーんな、困るね」


「……エルフのせいだ、って言いたいんだ?」


「その通りでーす。でも……セナイ、ちゃんと話、聞いてくれーるね。やっぱり、長く生きる人は、わたーくし達とは違います。彼は、いい人でーす」


 ふうん、と彼は唸って、前を歩くエルフに視線を向けた。


「……うん、セナイは色々なものを見てきたらしいから。俺の先祖とか戦争とか」


 何をもって彼女がエルフをいい人と呼ぶのかはわからない。だが、先程の言葉の裏に何ら意図はなく、素直にそう思っているということが口調からは感じ取ることが出来た。


 やがて、弓形を描く石の門がつけられた光り輝く空間のある小さな丘の上に彼らは辿り着いた。先に着いていたセナイが振り返って二人を出迎え、ドラゴン使いの町に通じている空間とは別の場所に立つ。前振りなのだろうか、彼はこう言った。


「一歩も前へ出ないで下さいね、お二方」


 そして、それは二言三言の詠唱と共に開かれた。


 既にあった空間と変わりのない強度のそれがもう一つこの町に出現していた。それは生み出されるときに膨大な量の光を放ち、たちまち大勢の人々が何事か、と丘の上に集まって様子を見に来る。その中にはギルバートもセスも、いつの間にかミストラル家の若い姉妹も存在していた。


「……これで新たな世界が開けた」


 エルフは言って、大勢の人々を振り返った。彼らは一斉にどよめき、ミストラルの父が知らせていたのだろう、そして大きな拍手と歓声があちこちから上がる。それは豊かになる希望であり、長く苦労を積み重ねて生きてきた彼らの念願の一つでもあった。人々は口々にこう言った。


「これでもっと安心して生きていける」


「食べる物以外の余裕が出てきて嬉しい」


「また面白いものを見ることが出来るぞ」


 セナイは笑って、ジャンヌの方を見た。彼女は何処か不思議そうな顔をしていたが、皆が喜んでいるのを見るのは良い気持ちだったらしく、それから首を少し傾げて微笑み、言った。


「では、わたーくしは、首長の……ボワナ族だけの首長ではなーくて、コボルティアーナ皆の首長でーすね、その人の所へ、行ってーきます。また、すぐーに会えるでしょーう――ああ、忘れるところでーした!」


 コボルティアーナはキョロキョロと人々を見回し、慌てたように大声を出す。今そこにいる人々は、皆この若い女に注目していた。


「誰か、わたーくしと来てくれる人、いませーんか? わたーくし達コボルティアーナの首長が、連れてこーいと言ってる、ね」


 途端にその場はしんと静まり返り、人々は皆互いに顔を見合わせる。この中の誰かがそこに行かなければならず、そしてまた皆行きたかった。しかし、ここで下らない争いを繰り広げるわけにはいかなかった。それを察し、彼女の隣に立っていたテレノスは言う。


「……君が決めたらどうだい、ジャンヌ? 俺は余所者だから無理だけど」


 ジャンヌはそうでーすね、と頷いて、それから自分が初めて出会った一人の闇使いの人間を指差した。







「……新たな種族? 何だそれは」


「コボルティアーナ、こっちでも噂になっていた筈。実は知っているのではなくて?」


 生き生きとした森のような鮮やかな緑のうろこのドラゴンは、自身のパートナーに向かって言った。


「俺は聞いていないぞ。人間寄りのレフィエールの者共からか、イザベラ?」


「……貴方が知らないのは特に理由もなく人間を嫌うからよ、マルティン=ワルトブルク、愛しい人。彼らは何も貴方に害を為すわけないでしょうよ、違うかしら?」


「俺はどうもあの軽さが受け付けんのだ」


 しかめっ面をして、マルティン=ワルトブルクはイザベラという彼のパートナーに向かって言った。手作業で紙をまとめるのに飽きて、何か他に良い方法はないかと思い始めた時にドラゴンがこの知らせを持ってきたのだ。


 レファントの森が、自分達が長く住んでいたこの土地が人間達に開かれ、今また別のよくわからない種族がこちらに来ようとしている。このまま安心して一族が長く暮らすことが出来るのだろうか? ワルトブルクのドラゴン使いは思っていた。


「コボルティアーナと人間が手を取り合ったのなら、いずれ彼らはこちらにも来るわね、それは間違いではなくてよ」


 人間は他の人間と争い、互いを傷つけ、そしていとも簡単に今まで争っていた相手を許した。何故そのようなことが出来るのかわからなかった。彼は、人間達が結託してレファントの森を手に入れようとしているように思えて仕方がなかったのだ。それに、今回のコボルティアーナという民族のこと。ヴィッテンベルクの若いドラゴン使いのマリアがその目で見て言うところには、南東の方に三十日ほど飛べば彼らはいるらしい。


 つまり、これで挟まれたことになる。マルティンはそう考えていた。







 惜しいことをしたかもしれない、とここ一年ほどずっと思ってきた。


 最初自分が話しかけた時、彼はただ美しいだけの無愛想な青年でしかなかった。心を開いてくれたと思えた時以降も、彼自身が必要な時にしか喋らないので、いつも話題を作るのに必死だった。しかしあの鳶色の瞳はいつも自分ではなく何処か遠くを見ているようで寂しかった。それが嫌で、こちらから離れて行った筈だったのに。


 今、あの笑顔を自分にも向けて欲しい、と願わずにはいられなかった。


 そして、自分でも不可能だった“彼を満面の笑みにさせること”を軽々とやってのけた余所者が、気に入らなかった。何故自分は駄目だったのか? 何故彼は自分が必死だったのに気付かなかったのだろうか? そして、何故……


 何故、彼は人間の娘を愛しているなどと言ったのか。


 集会において、それは彼女の父を含めその場にいた全ての者が聞いていた。人間達を避けてきた今までなら決して考えられないようなことが、今現在起こりつつあった。人間の娘に出来て彼女に出来ないことが果たしてあるだろうか? トレアン=レフィエールが、憎かった。仲間よりも余所者を、彼は選ぶのか。


「ローザ、ローザ」


 誰かが呼んでいる。人間が疎ましかった。もう一度彼の隣という位置を手に入れたかった。


「はーい、今行くから」

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