3


 こめかみに冷や汗を感じながらセスは小さな声で言い訳をした。


「いや、言うつもりだったんだよ? 言おうとしたんだけど、君は昨日行っちゃったからさ」


 それっきりジャンヌは黙ってしまった。少し気まずい雰囲気になった中で、闇術士はそれでもここが耐える所だと思いながら、造られて間もない石畳の町の説明を続けた。実際に水路を作っている途中の場所に連れていってその構造を見せてやると、彼女は興味深そうにそれを眺めていた。やれやれ、これで少しの間救われたかもしれないと彼が息をついていると、焦げたような色の獣の耳がこちらを向く。


「……何故、このよーうな乾いた土地に、わざわーざ水を引いーてまで住もうとするーのでーすか? もう少ーし向こうの方へ行けーば、森も近ーくなるでーすのに」


「えっ?」


 金色の瞳は真っ直ぐこちらを見つめていた。通り過ぎていく人々が振り返って二人をじろじろと眺め、また去っていく。彼女はまたもどかしそうな顔つきになった。


「だからー、ここはちょっと暮らしにくーいね、そうでしょ? 向こうの方に畑、見えてるけど、ちょっと育ち、悪いかもね」


「ああ、それか……」


 そこでセスが喋るのをやめて考え込んだので、ジャンヌは何か理由でもあるのだろうかと思って、訊いた。


「どうしたーのでーすか?」


「いや、あのさ……僕達がここに住んでる理由、あんまりいい土地じゃないのにここを離れない理由をね、君に話してやろうかと思って」


「何かあるのでーすか?」


 彼は考え込むのをやめて、彼女を見てふふん、と鼻の奥で笑う。


「ここが乾いた土地になってしまった理由さ」







 百年ほど前のこと、ある時炎の化け物が、まだ肥沃だったこの土地に突然現れ、木々や家や畑を焼き回って暴れていた。


 その化け物は人をも襲い、そこらの水術士では到底敵わないほど凶暴であった。幾つかの村が無惨に壊滅して、流石に西の方で軍隊が動き出そうとした時のこと。


 一人の男が何人かの仲間と共に立ち上がった。


 当時、その化け物を倒した者には、一生遊んで暮らしてもまだ余るほど多額の金貨が褒美として与えられるという触れ書きが回っていた。そんな時に現れたその男の名はエンベリク=ヒューロア、水の使い手。そして、また剣士でもあった。彼の所持する剣には強力な水の力が宿っていたという。現在、それは行方がわかっていない。


 その剣を持つ前に、エンベリクは東の方の村に住んでいた。ある時、隣の村に住む彼の恋人が、助けを求めて体に火傷を負ったまま彼の元へ来たのだという。


 炎の化け物が。彼女はそう言って倒れたきり、二度と動かなかった。


 エンベリクは仇を討つと固く心に誓った。そして、これ以上犠牲者を出さない為にも、ここで自分がやるしかないと考えた。後先も考えずに飛び出した彼は真っ先に鍛冶屋の元へと向かった。力を込めることの出来る剣を、一本造ってくれ。


 最初、鍛冶屋は当然のように断った。だが、魔剣士は何とか食い下がって頼み続けた。貴方は自分が今まで伝え聞いた中で、最も素晴らしい職人だ。こうも言った。その剣を造ってくれるのなら、自分はその為に何でもする。彼の想いはそれだけ強かったのだ。


 ドラゴン使いに会って来い。


 鍛冶屋のその言葉を聞いて、エンベリクは驚愕した。現実は厳しかった。深い森の中に住んでいるドラゴン使いに会い、彼らと共に住むドラゴンの、それも水の力を操る一頭の、鱗を手に入れて来い。鍛冶屋が彼に課した使命はそれだった。


 一刻の猶予もなかった。彼は磨いた鋼の剣を一振りと、自分の家と引き換えにした拳ほどもある水の魔石を持って旅立った。もう、家は必要なかった。戻って来られるかどうかもわからない旅だった。


 エンベリクは自身の水の術と森の中の木の実で腹を満たし、生きて歩いた。


 そしてある日水の魔石が尽きた頃、右も左もわからない緑の中で、一人の人間らしき人と出会った。黒髪に鳶色の瞳、整った顔立ちに程よい体つきの若い女だったという。


 ふらふらだった彼は、黒髪に鳶色の瞳の彼女に助けられた。その時に、彼は自分が今どのような理由があってここにいるのかを彼女に語って聞かせた。炎の化け物に恋人を殺され、幾つもの村が既にないこと、その為に自分の力を宿すことが出来る剣が必要なこと、そして最高の鍛冶屋が水のドラゴンの鱗を欲しがっていること。


 若い女は、私に任せて、と言ってエンベリクを残して何処かへと行ってしまった。


 数日間、彼はまた木の実で飢えをしのぎながら、ひたすら待った。こうしている間にもまた村が襲われているかもしれない、そう考えると気が気ではなかった。だが、彼は彼女が帰ってきた時でも苛立ちを見せようとはしなかった。黒髪に鳶色の瞳を持つ若い女は、深い青色に輝くドラゴンの巨大な鱗を三枚も持ち帰っていた。魔剣士はそれに感謝し、彼女に何度も礼を言ってからそこを立ち去った。その人は優しく、また訪ねて来て下さいと言った。


 エンベリクは、再び倒れそうになりながら、鍛冶屋の元へと三枚の鱗を持って帰ってきた。倒れた彼を看病してくれたのは光術士の男だった。鍛冶屋は何処にそれを隠し持っていたのか、まるで剣のような形の大きな水の魔石で一振りの剣を鍛え上げた。鍛冶屋自身も術士であったとのことだった。


 ドラゴンの鱗の二枚が、エンベリクの体に合う鎧となった。光術士が、もう一人の弓使いの仲間を連れてついてきた。弓使いは、魔石の矢尻を持つ矢を放って力を利用する女だった。


 情報を入手しながら急いで旅をするうちに、ある時彼らは一つの知らせを受け取った。エンベリクの故郷の村からそう遠くない所に、その化け物が現れたとのことだった。


 三人は急いで、エンベリクの生まれ育った村へ向かった。水の魔剣士自身、この村を何としてでも守り切ればならないと考えていた。そして、予想通り炎の化け物はそこに現れた。


 炎の化け物は辺りを焼き尽くしながら向かってきた。光使いがエンベリクと弓使いを補助し、弓使いは闇魔石の矢で化け物の動きを封じることに全力を尽くした。エンベリク自身は水の術や氷の術と水魔石の剣で、ドラゴンの鱗の鎧に守られながら炎の化け物と直接対峙した。


 ひどく長く、そして熱さで消耗する戦いだった。三人は全身に火傷を負いながらもずっと戦い続けた。しかし、炎の化け物の強さは一向に衰えない。


 自分の恋人の最期の姿がエンベリクの頭の中をよぎり、このまま村の大切な人々を守ることが出来ないのかと、彼が炎の中に囲まれて思った時だった。


 とてつもない何かの大きな吼え声が空気を震わせ、次いで女のものと思われる声が聞こえたかと思うと、何本もの氷の柱が炎の化け物を取り囲んでいた。驚いて見上げれば、深い青の体の色のドラゴンが上空で羽ばたきながら止まっていた。そのドラゴンの上には、いつかエンベリクが出会った、あの黒髪に鳶色の瞳を持つ若い女が騎乗していた。間違いなく彼女はドラゴン使いだった。


 ドラゴンの放つ水の力は凄まじかった。そして、ドラゴン使いが放つ術もまた、それと同じくらい強力なものだった。三人はそれに勇気付けられた。光術士は火傷を癒し、弓使いは炎の化け物の足を水魔石の矢で上手く地面に固定した。


 そしてエンベリクは、剣と氷の術を同時に化け物の体に突き刺した。


 水が弾け飛び、燃え盛っていた炎は大きく破裂するような音を立ててあっという間に消えた。全ては一瞬にして終わった。彼らは、その時まさにこの村を救ったのだった。


 しかし、炎の化け物によって焼き尽くされ焦土と化した人々の土地は元には戻らなかった。光術士の人脈は広く、何人もの土術士がエンベリクの村に来て、その土地の為にと術を使って再び豊かにしようと尽力したが、それでも大した効果は得られなかった。


 だが、人々はその土地を離れなかった。


 命をかけて自分達を守ってくれた人の誇りと名誉の為に彼らはそこに残ることを決めた。土術士達のおかげで、土地も少しは回復していた。エンベリクが守ってくれた土地を簡単に見捨てることなど出来なかった。どれだけ苦しくても、彼らはそこで懸命に作物を育て、暮らし、生きた。エンベリク自身も例外ではなかった。術を使う力を持っていようが持っていまいが、彼らは同じ“人”であった。


 エンベリクは自身を森の中で助けてくれたドラゴン使いの若い女を次第に愛するようになっていった。そして、彼女も魔剣士に惹かれていた。しかし、ドラゴン使いと共に住む日は訪れなかった。


 彼女は、一族でたった一人の、血を受け継ぐ一番目の子だった。


 そのためらいを打ち消すように彼らは一度だけ愛し合い、ドラゴン使いは子供を身ごもった。だがある時彼女がドラゴン使いの一族の元へ戻ったきり帰って来なくなってしまい、二度とエンベリクの所へ来ることはなかった。彼は自分の子孫に会うこともなかった。


 立て続けに何人もの女を愛した。まるで気でも狂ったかのようだったという。


 生まれた子は父親と同じような水使いばかりだった。しかも、何の影響だろうか、その子供は全て女の子だった。エンベリク=ヒューロアの名を継ぐ者は誰一人として現れなかった。







「だから、今仮にヒューロアさんて人がいても、それはエンベリクの子孫じゃないんだ。エンベリクには兄弟がいたから、多分そっちの子孫なんだよ……そうそう、魔剣士は相手を氷に変えてしまうくらいの強い力を持っていたらしくてね、実は」


 セスは口の端が痛くなってきていたが、喋り続けた。ジャンヌの耳は今や二つとも完全にこちらを向いていた。


「その女の子の一人が、とある男の人と一緒に暮らすようになったんだって。それが、僕の友達のカレンとタチアナの、ひいおばあちゃん」


「……何だーか、遠いよーうで、近い話でーすね」


「ヒューロアさんじゃなくて、二人はミストラルさんだけどね」


 大体こんな感じかな、と彼は付け足してにやっと笑ってみせた。自分の土使いの兄弟が向こうの方でこちらをちらちらと見ながら、エンベリク=ヒューロアが守り抜いた少し固い土を掘り返している。最近ますます仲が良くなったイスティルとタチアナの夫婦もそこにいて、楽しそうに周囲の人々と喋りながら作業をしていた。


 ドラゴン使いの人々が日よけにでも使えと言って施してくれた木の板は、屋根となって作業所で働く人の休憩所となっていた。エミリアが、そこで食べ物なんかを用意して待っているのだ。


「そのよーうな勇者がいたかーらこそ、この町はあーるのでーすね」


「僕は君も勇者だと思うけどなあ」


 彼女がきょとんとした表情でこちらを振り返るので、闇使いは言ってやった。


「だってさ、君達の住んでる所って……聞いた話によると、ドラゴン使いの人達の町からドラゴンに乗って行っても三十日はかかるっていうから、相当遠いんだよね? 僕なら生きてるかどうかもわからないからさ……どのくらい旅してきたんだい?」


 ジャンヌはセスのその言葉に向かって不思議そうに答える。


「二ヶ月ほどでーすが……そんなーに、珍しいことでーすか?」


「……ごめん、二ヶ月って何?」


「月を知らないのでーすか? わたーくしの住んでいーる所では、夜になると星よりも大きーな明るーい光が、大地から生まれーるのでーす。それ、だんだん小さくなったり大きくなったり、するね。セスは見たこと、ない?」


 夜に大地から生まれる月という大きな明るい光の存在は、彼を驚かせた。それならば、眠れないせいでここ最近いつも見ているあの夜の暗さもなくなってしまうのだろうか。しかし、今の彼女の言葉の中に星という名前が入っていたので、そんなことはないとすぐに打ち消すことが出来た。夜が明るければ星は殆ど見えない筈だ。


「何だい、それ……大きくなったり小さくなったりするって」


「その繰り返しが二回続くとー、わたーくし達の土地では暑いーから寒いーに変わるね。そしてまたそれーが二回繰り返す、暑いーになるね。その繰り返しのあいーだに何日を数えてみたーら、多分九十だったね」


「あ、じゃあつまり、君は百八十日くらい……というか、季節まるまる旅してたってことか! すごいなあ、よくここまで歩いてきたね」


 セスは納得して、思わずぽんと手を打つ。ジャンヌは満足気な表情となり、金色の瞳で石畳の町をキョロキョロと見回した。


 と、彼女が一点を見つめたまま動かなくなった。その耳も体も全てその方向に向けられており、次の瞬間コボルティアーナは鼻をひくつかせて、口を開く。


「……エルフの臭い、します」


「どうしたんだい、ジャンヌ――」


 その顔を覗き込んだ闇術士は思わず少し身を引いた。天敵を見るような敵意のこもった眼差し、眉間に寄せられたしわ。彼もその方向を見て、そしてあちらから歩いてくるセナイ=フィルネアという名の南から来たエルフを確認する。


「セナイがどうかしたのかい?」

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