5
「……もう愚弟なんて言わせないからね?」
トレアンの体に入っていた力が、ふうっと抜ける。次の瞬間、気が抜けたのか、彼はその場にくずおれてしまった。傍にいた二人が慌ててひざまずき、近くに突っ立ったままのセスとタチアナも急いで駆け寄る。
どうやら、抱え込んでいた大きなお荷物が急になくなったため、安心して気を失っただけのようだった。ドラゴン使い達は少し申し訳なさそうに微笑んで、一人、また一人と彼らの元へ歩いていく。数人がかりで兄を持ち上げ彼の家へと運んでいくのを見送りながら、後にはセスとタチアナ、何人ものドラゴン使いが残った。
レフィエールの兄弟の家の戸が閉まるのを見届けた後、その中にいた一人の若い男のドラゴン使いが口を開く。その目は二人の人間を見ていた。
「……何だかさ、思ったより上手くやっていけそうだって思うんだよな、あいつの話聴いた後だとさ……なあ」
水術士と闇術士は、彼を見た。また別のドラゴン使いの若い女が、親しみのこもった眼差しで二人を捉えながら言った。
「……実は、ちょっと噂で聞いてたんだ、トレアンさんの人間の友達のこと。それからちょっと気になってて、色々知りたいんだよね! あたし達の知らないこと、沢山知ってるだろうから」
セスとタチアナは互いに視線を交わしてから、にっこり笑った。
「僕らも同じこと思ってたよ……セス=アンデリーっていうんだ」
彼は言って、嬉しそうな光を宿したグレーの瞳で新しい友人達を見た。
「あたしは、カタリーナ=ローゲ。よろしくね、パートナーはラクス」
短く切り揃えられた髪は何処も傷んでいなくて、綺麗な漆黒だった。色々な紹介を受けて、最後に一番始めに話しかけてきた若い男が口を開く。
「クラウス=リンドブルム。パートナーはルシア」
「タチアナ=ミストラル、トレアンさんが言ってたカレンっていうのは、あたしの姉さんなの。さっきは……やりすぎて、ごめんなさい」
彼女が言うと、皆はあの氷の術を思い出したようで、再び身を震わせる。だが、この水使いの娘がこれから起こったかもしれない盗賊達の悪行を、未然に防いだのも事実だった。
「だけど、あれは結局この町をあいつらから守ったんだ。確かにとんでもないもんかも知れないけど、当然のものだ。別に気にすんな」
クラウスがにやっと元気付けるように笑って、タチアナも困った顔に、やっと笑みを浮かべた。
「でも、あそこまでトレアンが感情的になるのは初めて見たかもなあ」
にやっと笑った後に宙を見ながら顎に手をあて、彼が呟く。途端、セスがぴくりと反応した。それに気付かなかったかのように、ドラゴン使い達は好き勝手に言い始める。
「ああ……衝撃的すぎたかも」
「何か悲しかったんだけど、あたし……今あらためて考えてみたら」
「あいつの支持者はもともと多かったし、最近また増えたし……でもさ、これでやっと町の女は身近にいる奴の意外な良さに気付くんだって」
「うわ、期待してるよこいつ」
「でもいい人見つけたみたいだよねー、彼」
「あ、あの……」
と、タチアナがおずおずと話しかけてくるので、皆は今初めて気付いたようにそちらを見る。一人がにこやかに問いかけた。
「どうしたんだい、タチアナちゃん?」
「こ、この辺で勘弁してあげて下さい……」
言いながら、彼女はセスをちらりと見た。彼は頭を抱えて大げさな溜め息をついている最中だった。その意味にいち早く気付いた何人かが、あっと声を上げてにやにやしながら詰め寄る。
「なるほどねー、羨ましいわけか。あの相手の子のこと、お前――」
「そうじゃなくて!」
噛みつくように反論する顔は真っ赤になっていて、皆の嗜虐的な心をくすぐった。止める間もなく彼はからかわれる対象になり下がり、タチアナは心の中でごめんなさいと謝りながら、苦笑するしかなかった。
「ああもう! 一年半以上振られ続けてるさ、どうせ僕は! 悪いか!」
皆がまた大笑いした。先程とは打って変わって、和やかな雰囲気になっている。嘘のようだった。でも、本当なのだ。
ただ、嬉しかった。自分達は、恐れていた筈のドラゴン達に助けられたのだ。
「――見た、あの術?」
ドラゴンだけになった。人は皆、集会専用の町の広場に行ってしまったらしい。その中で、オーガスタが呟いた。
「……ああ、氷の術か」
緑灰色の鱗のドラゴンが答える。唸る声があまりかすれていない所をきくと、この戦士はまだ若いのだろう。銀白色の癒し手は首を振った。
「違うわ、トレアンの方よ、ラクス」
「風も土も火も水も、ってやつか?」
「そうよ、それ」
と、ひとまわり体の小さなドラゴンが口を出した。体の色は砂のようだ。
「やっぱり、本当だったのね。レフィエールの子が全ての力を操るってのは」
「信じていなかったのか、ルシア」
青灰色のヴァリアントが呆れたように唸った。
「だって、あたしは光魔法しか見なかったから」
「まあ、それもそうだが、あんたも知っておくといい。彼の本気は恐ろしいことを」
ドラゴンは鼻からふしゅん、と水蒸気を発射した。青灰色の戦士はそのまま自分の翼を大きく広げ、バサバサと軽く揺らしてほこりを落とす。他の何頭ものドラゴン達がそれを真似た。
「相変わらず、短い翼だこと、ヴァリアント」
鮮やかな緑のドラゴンが自分の翼と彼の翼とを見比べながら言った。確かに翼の骨が二本も少なく、やっと空が飛べる程度だ。
「仕方ないさ、イザベラ。あんたと違ってウォーテルドラゴン、水竜なのだ、こっちは」
イザベラと呼ばれたドラゴンと比べてみると、明らかにその翼の長さは違った。同じようにラクスの翼も長くて、骨の数が他の仲間より一本多い。
「まあ、それでも前の季節に過ごしやすいのだから、いいのではでなくて? あなたは」
「ああ、涼しいことに間違いはない」
「――それで」
オーガスタが、遮った。向こうの方で、木のやぐらを組み立てる音がする。新しい家が完成すると、ドラゴン達のパートナーは皆新しい夫婦の誕生を祝う炎を燃やし、一晩中踊るのだ。どうやら、町の皆が奮起して建てた為か、一日で作業は終わってしまったらしい。
「嫌な予感がするのよ、繋がりは絶つと寂しくて物足りないけど、作ると厄介なことも舞い込んでくる。あの盗賊達は哀れね、自分達の死と同時に厄介事まで背負わされた」
「……なるほどね。何処の方角から来たか、見た? あたしは一部を南南西から」
「目ざといなあ、ルシア」
ラクスが感心したように唸る。ルシアはいいえ、と鼻息を地面にぶつけた。
「このレファントの大地があたしに教えてくれるの。目じゃなくて、足」
「ふふん、なるほど。南南西か……オーガスタ?」
緑灰色の戦士は銀白色の癒し手に問いかけた。
「あの子達の村とは違うわね。トレアンとあそこへ行った時は、ずっと沈む太陽と同じ方向に行っただけだったから」
一同、黙り込んだ。レファントの森の濃い空気と深い緑が、彼らをすっぽりと包んでいる。そろそろ大きな宴が始まる頃合いだろうか? 人の声が一段と騒がしくなって、ふいっと広場の方を向けば、結構な人数がもう既に集まっていた。
「……協力、するの?」
イザベラが、訊いた。決定的な一言だった。
「……ああ」
最初に、ヴァリアントが唸った。ドラゴン達が彼を一斉に見ると、青灰色の戦士は続けた。
「我らがパートナーの友人だ、それに……人間と我らのパートナーとの間の違いなど、ない。我らの言葉がわかるかわからないか、それだけだ」
あと、外見と。最後にそう付け加え、彼は首筋を伸ばした。
「……なるほどね。後で、水浴び中のカイザーにも言っとかなきゃ」
皆はいいのね? ルシアは念を押した。再び沈黙が訪れて、それは何も異論がないことを無音で示していた。しばらくしてオーガスタが言った。
「さてと、じゃあそろそろ行きましょう、これから楽しい宴の始まりよ」
「……そうだな」
「行こうか」
「ええ」
ドラゴン達は、次々と地面を蹴った。飛ぶ必要などないくらい近くなのに、何処までも飛んで行きたい気分だった。東の空の濃い藍色の上に、星がちらちらと瞬いている。西の明るさの中に、彼らのうろこの色が美しく広がっていた。
地上で、炎がつけられた。あれはカイザーの色だと、無邪気にルシアが言ったのが聞こえた。
目を開けると同時に、気だるさが体を襲ってきた。トレアンは呻きながら目をこすり、視線をあちこちに動かした。どうやら、ここは自分の家らしい。
「あら、起きた?」
ぼんやりと起き上がったところに、聞き慣れた声が話しかけてきた。何があったっけ、と思い出しながらそっちを見ると、膝の上にレフィエールの家のものである本を置いたカレンがいる。
「……読んでいたのか」
まだぼんやりとした頭のまま、思い付いたことを言った。
「ええ、全然わからないけど」
彼女が苦笑して言った。ようやく頭が働き出して、トレアンは目の端をぬぐいながら色々と考え出す。外から音楽が聞こえてきた。
「もう大丈夫なの? トレアン」
カレンが近付いてきて、肩に触れた。ああそうだ思い出した、自分は術を飛ばしまわって、勘違いに気付いて、謝って泣いて、弟に諭されて、そこから先は覚えていない。
――謝る時、自分は何をした?
この両手は、彼女の体のしなやかさを知っている。肩に置かれた手の優しさは自分の背中が知っている。話しかけられてから一瞬で彼は全部を思い出し、一気に赤面した。
「――トレアン?」
……落ち着け、自分。
「……いや、私は大丈夫だから、心配ない」
何とか言って軽く溜め息をついてから、トレアンは立ち上がって口を開いた。親切にも誰かが掛けてくれたのだろう、大きめの織布が落ちて、それを拾いながら。
「音楽が聞こえている……遅刻だ」
「何か始まるの?」
「祭りと宴だ。家は完成したからな」
織布を壁際に置き、腰を縛っていた幅の広い帯をほどく。脇腹のあたりから足下まで長く切れ目の入った上の服をさっと脱ぎ、上半身をさらけ出した。そこで、はっと気が付く。
「そなた、まだここにいていいのか、カレン」
「あ、大丈夫よ。タチアナが父さんと母さんに言ってくれてるから、多分。もしそうじゃなくても、ここで転移の術を使っていいなら言っちゃうわよ、それで安心」
トレアンは表情を緩めてから、さっきとは別の上の服を取った。片手に普段着を持ってさあどうしよう、と考えていると、カレンが貸して、と手を伸ばしてきたので、素直に渡しておいた。
「そっちが正装?」
手際よく服をたたみながら彼女が訊く。何だか夫婦みたいだ、と勝手に思って彼は勝手に赤くなった。馬鹿みたいだ。
「ああ、模様が多い。あと……」
再び腰に帯を巻き直す。むき出しの二の腕に、手の甲まで覆う独立した袖を通して、前にぶら下がっていた白く透明に光る宝石と黒い紐のついた飾りを、胸元につけた。紐が一本ずつ胸から腕にかけて斜め下に下がり、また背中で一緒に留められている。
「両腕が上げにくい代物だ。それもそれでいいが」
それから戸口を見た。髪をほどいて、括り直す。遠くから聞こえてくる弦と笛と太鼓の楽しげな音楽が気分を高揚させ、体の何処かがうずうずしてきた。今年はもっと楽しい、そんな気がしていた。普段の自分らしくもなく、笑いが抑えられない。
全ての仕度が済むと、トレアンは我慢出来なくなって、笑って大声を出した。
「さあ、行くぞ!」
戸を開けると音楽が一層はっきりと聞こえて、少し向こうを見れば広い場所に結構な人だかりが出来ていた。歓声と笑い声が口元をほころばせる。カレンが言った。
「何だか、普段のあなたと全然違う」
「……浮かれないわけがない。私にだって楽しみはある」
それを聞くと、彼女はくすくす笑った。
「……何だ」
「いや、可愛いところあるなあ、って」
「……またそなたは。オーガスタと同じことを言う」
赤くなりながら苦笑して、それから彼はカレンに向かって右手を差し出した。きょとんとした顔に向かって、言う。
「……ほら。遅刻なんだ、走るぞ」
言われるがまま、彼女は左手をトレアンの右手の中に滑り込ませた。それと同時に腕がぐいっと引っ張られるので、慌てて足を動かす。自分が引っ張られて、広場の方へ走っているのがわかった。今、炎はごうごうと音を立てて天を焦がすかのように赤く燃えている。ドラゴン達の姿も見える。
背中が、大きく見えた。仲間内で一番華奢な筈のその背が、一番たくましく見える。そんなことを考えながら走っていると、急に彼がこちらへ向き直った。と、ひときわ歓声と歌が大きくなって、彼女ははっと我に返った。
「えっ、ど、どうするの?」
慌ててそう言えば、トレアンが笑いながら大声で返した。
「好き勝手に踊ればいい! わからなかったら、周りに合わせろ!」
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