第一章 (14) 本題は釈義調査

 それはさておき。

 三善は空いていたアンデレの隣に腰掛ける。


「アンディとジェイが到着したので、早ければ明日から釈義調査に取り掛かろうと思うのですが……」


 そしてようやく本題に移ることができた。


 釈義調査の件は大司教就任前から準備を進めていたが、本格的な調査に至るまでに時間が空いたのはこれが理由だった。

 釈義調査に必要となる人員は二通りある。まずは教皇庁特務機関――要するに検邪聖省のことだ――による許可証を持つ釈義調査官が一名。それから、科学研から選出された釈義調査資格の有する者が複数名必要となる。今回の場合、ホセが前者、ジョンらが後者にあたる。思い切り三善の身内のような選任になってはいるが、別に三善が手を回したからということではない。どちらも要件を満たす聖職者が限られているため、たいていの場合は兼任させられているというそれだけなのだった。


 ジョンは茶を一口含むと、後にこう返した。


「今回確認するのは黒にゃんこと……」

「羽丘リーナだ。彼女に関しては聖ウルスラの後任である最終確認ができればいい」

 三善がきっぱりと言った。「まだ本人確認中だけれど、対応は早い方がいいだろ」

「へえ、前から思っていたけど、悪わんこの周りにはどうも位の高いプロフェットが集まるねぇ……不思議なことだ」


 アンデレが呟いた。そういう本人が『十二使徒』の一員なのだから妙な話である。


「それは、まあ、はい。事実だから何も言わないけども」


 ふむ、としばらく何かを考え込んでいたジョンは、ためらいがちにひとつ、このように問いかけた。


「黒にゃんこの方は、能力発動させないようにすればいいのか? それとも、何らかの形で釈義を得て模擬させようか。チビわんこ、どちらがいい」

「可能であれば前者が最適かと」

「分かった。ほれ。参考までに、ちょっとこれを見てみろ」


 ジョンが三善に文献を開いて見せた。

 それはどうやら『釈義』についての古い学術書のようだった。ラテン語で書かれていたので、三善は解読のために眉間に皺を寄せじっと紙面を見つめる。


「……、『イスカリオテのユダ』の名を冠する釈義について……?」


 そんな記録が残っていたのか、と三善は呟く。


「俺も相当探して、ようやくこの数行を見つけた。それだけ例の釈義は記録が少ない」


 文献の内容を要約すると以下の通りとなる。

『イスカリオテのユダ』の名を冠する釈義が現れることはごく稀で、記録上過去に一度だけ存在したことがある。

 そのときの釈義の内容は『塩化』――あらゆる物質を塩に変質させる能力とされ、化学系釈義と特殊系釈義の中間のような位置付けにあった。

 しかしながらこの能力は極端にコントロールが難しいため、当時の能力者は『喪神』することで強制的に釈義発動を抑えていたとされている。


「『塩化』……」

 三善がぽつりと呟いた。「御陵市の件と辻褄が合うな」

「ああ。しかし、『塩化』の能力そのものはわざわざ喪神してまで止めるべきものだろうか。たとえば、あの狸の能力だって『灰化』だろ。変質する対象が灰か塩かの違いしかなかろうに」

「それは多分『契約の箱』のせいかと思いますが――」


 三善はそこまで言いかけ、はたと口を閉ざした。顔を上げると、四名が一斉にこちらを見つめている。


 そういえば、彼らには『契約の箱』と『イスカリオテのユダ』の釈義の関係についてはなにも伝えてはいなかったのだ。そもそも『契約の箱』についてすらも。

 唯一イヴだけが目線のみで「とうとうやってしまいましたね」と一言訴えていた。


「……、チビわんこ。お前、何か隠したろ」

 ジョンが怒気を含んだ声で吐き捨てるようにして言った。「言え」

「嫌です」

 それに対し三善は笑顔でそう答える。「死んでも言いません。黙秘します」

「そう答えるということは、隠していること自体は否定しないのか。なるほど」


 一瞬にしてただならぬ空気が流れたその時、執務室の扉が開き、橘とリーナがやってきた。


「センセ、お待たせしました……って、なにこれ。喧嘩したんですか」


 橘が話の腰を折ってくれたことを三善はこれ幸いと言わんばかりに利用した。いつも通りの穏やかな表情で二人の名を呼び、近くまで来るよう手招きをする。

 ふたりが着席したのを見計らい、ジェイは彼らに何枚かの紙を渡した。


「さて。君たちとは初めまして、かな。ボクはジェイ・ティアシェ。科学研の所長をやっていて、本業は医者だ。猊下の研修時代に直属の上司として面倒を見ていました。明日から君たち二人の釈義調査をするつもりでいるんだけど、今日は事前の説明をと思い集まってもらいました」


 注意事項は紙面に書いてあるから、今は重要なところを中心に説明するね、と彼女は言う。

 一度検査を受けたことのあるリーナはおおよその内容を把握しているので、うんうんと納得したように頷いている。

 逆に橘は慌てふためいているのかと思いきや、意外と平然とした面持ちで紙面を見つめていた。それから、橘は「あの」とジェイに控えめに声をかける。


「採血って書いているのは、本当ですか」


 その問いにジェイは首を傾げて見せた。


「うん。やるよ、採血」


 そうか、そうなのか、と橘は微かに悲しそうな表情を浮かべている。


 ――まさかとは思うが、あいつ、注射苦手なのか。


 そうは思いつつ、三善は彼の名誉にかけて敢えて口に出しはしなかった。

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