第一章 (11) あの日の答え

 赤レンガ倉庫の前でヨハンが待ちかまえていると、ようやく探していた二人のが姿を現した。

 その頃にはすっかり観光客よろしく箱館を満喫していた二人は、文字通り鬼の形相を浮かべたヨハンにその場でこっぴどく叱られてしまった。


「まあまあ、これでも食べて落ち着いて」

「甘いものを食べれば気持ちも落ち着きますよ、ブラザー」


 開き直りも甚だしいシリキウス師弟は、咄嗟に無理やり彼の口にチーズスフレを突っ込んだ。

 この狸野郎、とは思ったが、甘いものに罪はない。ヨハンがその美味しさに気を取られている隙に、三善はさっさと助手席に乗り込んでいた。「センセ、そこは下座です」と橘は言いかけ、――結局その言葉は腹の中に押し込められ、大人しく後部座席へ乗り込む。どうせなにを言っても彼は言うことを聞きやしないのだ。それは諦めとも言うが、細かいことを追及できるほど今の橘に体力は残されていなかった。要するに疲れていたのである。


 不機嫌そうな様子のヨハンも運転席に乗り込むと、素早くシートベルトを締める。


「ったく、余計な釈義を使わせやがって」

「ブラザー・ヨハン。地が出ていますよ、地が」


 三善の発言に、そういえば後ろに橘が乗っていたことを思い出した。いまさら取り繕っても遅いとは思うが、念のため咳払いをし、ヨハンはいつもの冷静な口調に戻る。


「息抜きしたかったならそう仰ってください。あまりブラザー・ホセの顔で街中を楽しそうに歩かれると困るのでは? 主にあなたが」

「そうね。まぁ、別に一日遊んでいた訳ではないので……。いいじゃないですか。あなた、意外と頭が固いんですね」


 にこりと微笑んだ三善に、これ以上何を言っても無駄だと判断したのか、ヨハンは口を閉ざしたままアクセルを踏んだ。


 しばらく車を走らせていると、案の定疲れが出てきたのか、後部座席の橘がうつらうつらと船を漕ぎ始めた。ほぼ一日中市内を連れ回したのだから、疲れるのも無理はない。

 三善はクスリと笑い、おもむろに変身を解いた。灰色の髪と乳白色の肌に戻り、「やっぱりこっちの方がいいや」と満足そうにしている。


「坊ちゃん、もういいのか?」


 横目にそれを確認したヨハンが尋ねた。

 まだ制限時間は残っている。あまり外で素顔を出すのはよろしくないのではないか――だからできれば後部座席に乗ってほしかったのだが――と彼なりに気を遣ったのである。

 その問いに、三善は首を縦に動かした。


「本当に助かった、ありがとう。見ておきたいものもしっかり見てきたし、なによりタチバナが予想外に日本史に詳しかった。勉強になったよ」


 この口ぶりからすると、どうやらあれだけ観光体勢で臨んでいた五稜郭タワー見学すらも彼にとっては想定内だったらしい。ヨハンはわざとらしくため息をつき、


「坊ちゃん……。少しくらい勉強しようとは思わなかったのか? 本部勤務でない俺だって、多少は勉強したよ」

「当時は必要ないかと思ったんだ。でも、世の中要らないものはないって、本当の話だったんだね」


 そうですか、そりゃあよかったねとヨハンは聞き流す気満々だ。


 しばしの沈黙。


 彼らの耳に入ってくるのは、ヨハンの指先がハンドルを弾く音のみだ。道路工事による交通規制がかかっており、それによる渋滞に引っかかったのである。「さっさと帰りたい」がヨハンの本音だろうが、三善は敢えてその気持ちに気づかないふりをした。軽いお菓子類はたんまりとあるので、時間だけは楽々と潰せるだろう。それに、これは丁度いい機会かもしれない。後ろに橘は乗っているけれど、彼は思いの外口が堅いから心配は無用だ。


 三善はバックミラーに目を向け、橘が安らかな寝息を立てていることを確認してから、ゆっくりと口を開いた。


「――なあ、ヨハン。ちょっといい?」

「あ?」

「ずっと前におれに言ったことを覚えているかな。おれがぬくぬくして育った云々っていう……」


 ああ、あれね、とヨハンは頷いた。それは『契約の箱』を三善が継承する際、トマスが三善に対して言ったことである。


「『自ら戦争に出たことある? その手で人を殺したことは? そもそも大聖教が十字軍遠征を企てた理由、知ってる?』とか、そういうやつだっけ。言ったなぁ、確か。ま、俺も大人気なかったってことで勘弁してくれないか」

「いや、あんたの言うことは正論だと思うよ。おれはむしろ感謝しているくらいだ。……さっき五稜郭を見学したとき、あの時言っていたのはもしかしてこういうことなのかなって思った。だから、あんたには報告しておこうかなって」


 ふ、と息をついて前を見据える。テール・ランプの紅い光がほんの少し眩しかった。目を細めながら首に下げた十字を中指でそっとなぞる。やはり昔からの癖は直らないものだ。今はつるりとしたほぼ新品の金十字。その違和感はまだ拭えない。

「今なら言えるんだよ。大聖教が『十字軍遠征』を企てた理由も、教会側が何人殺したのか、その方法も併せて。後天性釈義でどれだけの人が実験に使われて、どれだけの人を犠牲にしたのかも。それと、何だっけ。リバウンドを起こして再起不能にした人数か。――全部覚えたよ。あんたに指摘されて、気がついて、覚えた。でもさ、覚えるだけって意味が違うんだよね」


 最後のジオラマを見て、そう思ってしまった。気がついてしまった。


「うまく言えないんだけど、そういう戦いの歴史って、……傷を語り継ぐことなんだよなって、そう思った」


 三善は助手席で膝を抱え、うずくまるようにして座り直した。真紅の瞳は伏せられており、今は見えることがない。彼が何やら難しいことを思案しているときの表情だ。

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