第一章 (3) うっかり、たまたま

 キャビン・アテンダントが去ったのを確認し、ジョンは微かに唸りながら自分のカップに口をつける。


「それはともかく。長々と話してきたが、つまるところ『釈義』と『塩』は切っても切れない関係にあると言っていいだろう。ここまでが前提だ」

「前提が長いな……。それで、菖蒲十条あやめじゅうじょう東西やまとかわちの件は?」


「簡単に言うと、『うっかり、たまたま』だ」

 三善の問いに、ジョンはさっぱりとした口調で答えた。「さっき言った通り、『釈義』使いと『塩』は密接な関係がある。もちろん個人差はあるが、『釈義』使いは高確率で『生きた塩の塊』みたいな状態になる」


 三善も紙コップに口をつけ、苦いブラック・コーヒーを胃に流し込む。


「ところでチビわんこ、食塩を工業的に生産しようとした場合、どうやって作るか知っているか?」


 突然変な質問をされた。三善は思わずきょとんとして、その質問の真意について思案する。――考えても分からなかったので、思ったことをそのまま答えることにした。


「いや……、天日干しじゃないの」

「それもない訳ではないが、最近多いのはイオン交換膜濃縮法こうかんまくのうしゅくほうだな」

「うん? 難しい名前だな。電気でも通すの?」

「そうだ」


 ちょっと待て、とジョンは手荷物からスケッチブックとサインペンを取り出し、簡単に絵を描いて見せた。彼は四角い箱の中に何本か線を引っ張った図を三善へ見せ、


「この箱は塩水が入ったプールだと思ってくれ。プールの両端に電極をつけ、その間に『プラスイオンだけ通す膜』と『マイナスイオンだけ通す膜』を交互に設置する」


 ジョンはさらさらと電極の絵を描き足し、最後に通電状態を示す記号を加えた。


「この状態で電気を流すと、塩水に含まれるプラスイオンとマイナスイオンがそれぞれの電極に引き寄せられる。最終的にどうなるかというと、膜を隔てて『ナトリウムと塩素が濃いパーティション』とそうでないパーティションが交互にできる訳だ。この中から『濃いパーティション』に入っているほうの塩水を取り出して釜炊きすると、純度の高い塩ができる。イオン交換膜濃縮法というのは、つまるところ、こんな話」


「ああ、なるほど」

 三善は頷いた。「なかなか面白くできているな」


「これと同じ原理のことが起こったのが菖蒲十条と東西の件だ。調査したところ、あの場所は諸々の条件が見事に重なっていたことが分かった。具体的には、どちらも盆地であること、また、先の『聖戦』にて国内で唯一戦地となったことからも分かる通り、他と比べると妙に聖所せいじょが多いことが挙げられる。聖所の近くにはなんだかんだで『釈義』使いが集まりやすいからな。さっき言った話にあてはめると、『釈義』使いが塩を生成するための海水、特殊な地形が海水を投入するプール、そして聖所そのものがプラスイオンないしマイナスイオンを通す膜、という感じか」


 なるほど、と三善は頷く。しかし、それだけでは条件が足りない。三善は先ほどのジョンの話をもう一度思い返し、短く聞き返した。


「肝心の電気はどこからやってくるんだ」

「それが『うっかり、たまたま』の真相だ。あの日、菖蒲十条と東西は局地的な集中豪雨に見舞われ、結構でかい落雷が発生した」

「ああ、それは紛れもなく電気だ」


 三善はようやく納得し、うんうんと首を縦に動かした。それは確かに偶然の産物と言っても過言ではない。さすがに天災には誰も勝てやしない。起こるときは起こるのだ。


「となると、やっぱり次は箱館って感じがするな。あの場所は菖蒲十条や東西と立地条件がかなり似ている」

「そう。俺たちが『次は箱館だ』と言う真の理由はそれだ」


 三善は微かに唸り、じっとその赤い目を正面へ向けた。己の右手を左手で包み込むと、何か固い感触があった。――薬指に収まる金色のインタリオリングだ。慣れない感触に一瞬戸惑ったが、すぐに元の表情へ戻る。


 三善はジョンへ目線を向けた。


「たぶん他にもが揃っているところはあるだろ。できるだけ早く、対策できればいいけれど」


 おや、と三善は思った。ジョンはなにか考え事をしているような表情を浮かべていたからだ。なにかあっただろうか。三善は不安そうに彼の名を呼んだ。


「――チビわんこ、ところで、今回の件で少し気になることがあるんだが」

「うん?」

御陵みささぎ市の件なんだが、……」


 そこまで言いかけて、ジョンはぴたりと口を止めた。そしてなにやらじっと口を閉ざしたかと思えば、


「――やっぱいい。もう少し考えをまとめてからにする」


 と、彼にしては珍しい態度を取った。三善は怪訝に思いながらも、本人がそうすると言っているのだからと深く追求しないでおくことにする。気が向いたら教えてほしい旨を伝えると、三善はのろのろと瞼を閉じた。


「技術的な話はここまでにします。ジョン、少し眠ってもいいですか。なんだか疲れてしまいました」

「ああ。疲れているときにこんな話をして悪かったな」

「それは問題ありません。どこかでちゃんと話をしておかなければと思っていたので、ちょうどよかった」


 眠る体制を取ろうと三善が身じろぎする。体制が決まらずにしばらくごそごそと動いていると、見かねたジョンが声をかけた。


「こっちにもたれてもいいぞ。その方が楽だろ」

「ああ、はい。それでは遠慮なく」


 本当に遠慮することなく、三善はジョンの右肩に頭を置いた。途端に彼はうとうとし始め、瞼が重くなってゆく。半分寝ぼけた調子でぽつりと呟いた。


「ずっと不思議だと思っているのですが、何故あなたといるとよく眠れるんでしょう……。安眠枕の成分でも入っているんです……?」


 掠れた声で呟くと、三善は返事を待つことなくすぐに寝息を立て始める。おやすみ三秒もいいところである。


「……、たぶんそれは、いつも寝落ちするギリギリまで難しい話をするからじゃないのか」


 思わずごちたジョンの声は、眠りについた三善の耳には入らなかった。

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