第一章 (1) 共闘関係
三善が私室に戻った頃には、既に日が落ちていた。
いつどこで誰が見ているか分からない。故にアルカイックスマイルを浮かべ続けたまま一日を過ごした三善だったが、さすがに疲れてしまった。
その反動だろうか。部屋の錠を落とした刹那、張り付いた穏やかな表情が瞬時にごっそりと抜け落ちていった。今三善の表情に残るのは、疲労。ただそれだけである。
あれだけ大勢の前で、しかもほぼ立ちっぱなしで長時間話すなど未だかつて行った試しがない。一体どういう修行をしたらあれが平気になるのだろう。甚だ疑問である。
色々と吐き出しておきたい気持ちはあったのだが、三善はその言葉を一旦飲み込み、代わりに着ていた聖職衣をベッドの上に放り投げた。私服代わりにしている楽なシャツへ袖を通し、濃色のスラックスを履く。
部屋に置いたままにしていた携帯に目を向けると、なんだか恐ろしい量のメールが入っていることに気が付いた。ざっくりと件名に目を通し、緊急の要件がないことが分かると、三善はそれら全てを一旦放っておくことにする。
今日はとにかく、何も考えたくなかったのだ。
その時だ。
眺めていた携帯の画面が突然切り替わり、着信を訴えて震えはじめた。
三善の知らない番号である。別に放っておいてもよかったのだが、なんとなく、この電話には出ておいたほうがよい気がした。怪訝に思いながらも、三善は受話ボタンを押す。
「はい」
『――こんばんは。お久しぶりです、
その声を聞き、三善は「ああ」と声を上げる。そういえば先日碇ヶ関へ行った際、彼女へ「何かあればこの番号へ連絡を」とメモを渡していたことを思い出した。
「お久しぶりです。お元気でしたか」
三善の問いに、秋子が淡々と答える。
『ええ。電話してもよかったかしら』
「はい、今なら問題ありません」
それなら、と秋子が続けた。なんでも三善と話をしたい人物がいるとのことだった。三善としてはその人物に心当たりがなかったが、秋子が言うならそれほど変な人物ではないだろう。三善が電話を替わるよう伝えると、電話の向こうで何やら相談する声が聞こえてくる。
そして、別の女性に繋がった。
『もしもし』
三善はベッドの端に腰掛けつつ、はてと首を傾げた。この人は誰だったろう。特に身に覚えがないのだが、知っている人物だろうか。
そう考えていることを察知したのか、電話の向こうから女性の笑い声が聞こえてくる。
『今回は初めまして、ね。教皇就任おめでとう、姫良三善』
「真っ先に真名を呼ばれると思っていませんでしたが、はい。ありがとうございます」
三善はそう受け答えしながらじっくりと思案する。己のことをフルネームで呼ぶ人物はおおよそ決まっているのだ。その中で可能性があるとすると――
「あなたは、……そうだな。“色欲”ですか?」
『あたり。よく分かったわね』
彼女――“色欲”は実に穏やかな口調で言った。今まで対峙した“七つの大罪”と比べると、非常に大人しい部類だ。言葉にこそしなかったが、三善は内心そう考えている。
『どうでもいいけど、あなた、私に丁寧語は使わなくていいわよ。気持ち悪い』
「面と向かって気持ち悪いと言われると、なんだか微妙な気持ちになるな……。まあ、それなら遠慮なく。一体なんの用だ。大体にして、何で秋子さんのところにお前がいるんだ」
そうだ。その理由が分からない。
今までの帯刀家の動向を鑑みると――主に帯刀雪の動向、だが――、彼らは可能な限り中立であろうとしていたし、むしろ“七つの大罪”に対しては積極的な関与をしないようにしていたように思う。ただし、あの帯刀家のことだから、三善の見えていない範囲で何かしら動いているような気はする。
そう考えていた三善に、“色欲”は淡々と答えた。
『私と彼女は共闘関係にある。それだけよ』
「うん……?」
『あなた、お父様にあったでしょう。言っておくけど、お父様を捕まえたのはアキコとその妹よ。私と彼女は、己の父親を捕まえるという共通の目的をもって行動を共にしていた。その目的は果たされたけれど、このまま彼女と共にいるのが賢明と判断した。それだけの関係』
あまりに“色欲”が淡々と言うものだから、三善は一瞬思考が停止しそうになった。なんとなく事情は分かったので、今ここでそれ以上の追及はしないでおこう。そう思うことにする。
そうだ。“怠惰”の時も思ったが、彼ら“七つの大罪”は自身の人生を他人により台無しにされる傾向にある。だからこそ、“色欲”さえ納得するのであれば、それが最もいい選択なのではないか。そしてそれを他人が口出しする理由はないのである。
『私があなたに連絡した理由はいくつかあるけれど……まず、あなた、“怠惰”を逃したでしょう』
心臓がはねた。
今まさに“怠惰”について考えたところだったので、まるで思考を見透かされたのかと思った。三善は一瞬言葉を詰まらせるも、すぐに「なんのことだ」と返す。
『しらばっくれても無駄よ。たぶん、“怠惰”が別のことをしたいとか言い出して逃げたんでしょ』
おいこら、“怠惰”。お前
今頃どこかでのんびり暮らしている“怠惰”に対し、三善はつい毒づいてしまった。
『――私はそのことに対して礼を。用はそれだけよ』
礼だと? 三善が首を傾げたところで、“色欲”は続ける。
『私たちの存在は世界の理を捻じ曲げている。それは本来あってはならないことよ。過去に戻って人生のやり直しをするだなんて、そんな大それたこと……到底許されるはずがない。それでも私たちは諦めることができなかったの。残された可能性にしがみつくしかできなかった。その結果、一〇〇九三回も過去へ戻り、何度も歴史のやり直しを行い、何度も何度もそれを繰り返して、繰り返し続けて、そして私たちは今も無限に続く世界に囚われている。やり方は色々と気に食わないけれど、そんな世界から私たちを救い出してくれた。それに対する礼よ』
「……お前の言う通り、やり方は相当滅茶苦茶だが」
『それでもいいわ。それで充分』
そりゃあどうも、と三善は苦笑した。
『私はしばらく秋子のところに留まることにしたから、何かあれば声をかけて。少しは役に立つつもりよ』
「うん? ちょっと意味が分からない。どういう意味だ」
『そもそも私たち“
三善は言葉を失った。まさかそんなことを言われる日が来るとは到底思ってもみなかったのである。
三善はプロフェットだ。記憶の始まりにあたる十三歳の頃から、“七つの大罪”は戦う対象だと刷り込まれている。今になってようやく「そうとは限らないのではないか」と思えるようになったが、まさか相手から「戦う気がない」などと言われるとは。
三善が声を詰まらせたのを、“色欲”は聞かなかったことにした。
『……まあ、そんな訳だから。ああ、そうそう。あなたの近くにいる“暴食”にもよろしく伝えておいてくれる?』
「えっ? なに、“暴食”だって?」
『それじゃあね』
最後になにかとんでもないことを言われた気がした。
慌てて三善が聞き返すも、彼女は問いかけに答えることがなかった。その頃には既に終話されていて、携帯の画面には通話時間が表示されていた。呆然とその画面を見つめていると、画面のライトが落ち、スリープ・モードへ切り替わる。
三善は小さく息を吐き、ブラック・アウトした携帯の画面をじっと見下ろしていた。
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