第六章 (8) ミッション

 彼曰く。

 ここひと月ほどの間、アヴィセンナは箱館エリアの“七つの大罪”出現率が極端に落ちたように感じていた。体感的なものかと思い、彼はプロフェットであるリーナに話を聞きおおよそのデータをまとめてみたそうだ。そうしてみたところ、


「どうも十月ごろから“大罪”全体の出現数は低下しているようなのですが、その代わりに出現レベルが第二階層に集中しているようなのです」


 “七つの大罪”はその能力の高さに応じ階級が設けられているが、基本的に街中に現れるのはレベル最下層にあたる第三階層だ。それよりもさらに能力値の高い第二階層は第一階層の手足のようなものなので、基本的にそうやすやすとお目にかかることはできない――もちろん、ゼロではないが――。それが今までの傾向だった。


「確かに、今までは第三階層の相手をすることが多かったけれど、ここしばらくは第二階層ばかりだった気がする」


 付け加えるようにリーナが言った。

 ふむ、と三善は微かに唸り、胸の前で腕組みをする。


「やっぱりか。うん、予想通り」


 その反応に、一同が怪訝な表情を浮かべた。


「やっぱりってどういうこと?」


 その問いに、三善は短く頷く。


「今日話そうとした内容と少し関係があるんだが――、そうだな。やっぱりそちらから話そう」


 突然で申し訳ないが、と三善は前置きする。「来月から箱館支部の体制が変わる。今日ここにみんなを集めたのはそれが理由だ」


 体制が変わる。

 その一言に驚かない訳がない。箱館支部は長らく司教が不在という不遇な環境の中運用されてきた。そのせいか、彼らが連想する「体制変更」とはすなわち司教の異動。もしかしたら逃げられるかもしれない。長年の経験からそんな思考が芽生えるのも、まあ無理な話ではなかった。


「本当か」


 その証拠に、ずい、と一同がほぼ同時に同じことを言いながら三善に詰め寄ろうとした。


「ああ。……いや、ちょっと待て。お前らなにか勘違いしているだろ。おれはいなくならないぞ」


 その不穏な空気を察した三善はすぐにそう付け加えた。なんだか人を易々と殺しそうなほどの殺気が一同からあふれ出ていた気がする。どうでもいい話、ここの職員は三善に対する執着が半端ないのだ。


「ここ数カ月の間、本州地区で『塩化』現象が起こっているのは知っているだろ」


 三善がそう言うと、科学研担当の宮部みやべが口を開いた。


「ああ、本州地区が今それでとんでもないことになっているのは知っている。こちらにもいくつか検証の依頼が来ているが」

「そう、それだ」

 ならば話は早い、と三善が言った。「教皇庁からのお達しで、本件について早急な対策を練るよう言われている。そのため、この場所に臨時で対策本部を設けることになった。みんなにはそれに協力してもらうつもりだ。具体的に何をするかというと、まあ、塩化現象に対する検証作業だな。現場の指揮はおれがとるつもりだが、おれも塩化現象についてはあまり詳しくない。そこで科学研から何人かサポートを派遣してもらうことにした。ブラザー・ホセとブラザー・ジョンはそのサポート要員の一部。遅れて、本部からあと二名来る予定だ」


 色々言わなければいけないことはあるが、まずは妙にレベルの高いプロフェット集団がやってきた理由を明らかにしておきたかった。三善はひとまず数あるうちのミッションをひとつ達成したことに安堵する。こういう言い方をしておけば、釈義調査令状のインパクトを軽減できる。ひいては橘の身を守ることができる。そう考えてのことだった。


「それともうひとつ、この対策本部設立にあたり、――ああ、これをおれが言うのか。やだなあ」

 ぶつぶつと三善が言い、それから意を決したように顔を上げる。「来期からおれが大司教に就任することが確定した」


 ――沈黙。

 三善が何か冗談みたいなことを言った気がするが、気のせいだろうか。は? とでも言いたげな一同の視線をよそに、三善は淡々とした口調で続ける。


「要するに、おれたちはエクレシアにとって体のいい人質にされたってことだ。一緒に頑張ってこのピンチを乗り越えましょう。おれたちは運命共同体です」

「ちょ、ちょーっと待って。意味が分からない」

 ロンがいつになく慌てた口調で返す。「ええと、まず、大司教?」

「おう。しばらくは支部長兼任ということにしてある」


 三善はさも当たり前のような口調で言い、簡単に事の次第を伝えた。

 例の『塩化』現象が立て続けに発生したことによりエクレシア内の情勢が悪化の一途をたどっていること。エクレシアが枢機卿団に対し対策を打ち立てるよう強く求めており、このままでは国際問題に発展しかねない域まで達していること。そこで新たに大司教を選任し、塩化現象の調査を本格的に行わせる方針となったこと。


 そして。

 今までの調査結果からある程度事象発生パターンを特定できており、その中で次に現象が発生する可能性が高いのが、


「――この箱館エリア、という訳だ。敢えてこの場所に対策本部を置くのは、この場所が他環境と比べ技術寄りの職員が多いこともあるが、どの場所よりも事象再現できる可能性が高く、物理的にすぐ手を打てる環境だからという理由の方が大きい。たまたまおれがここの支部長だったから、というのもない訳ではないが。事前に聞いた話だと、『塩化』現象が起きた地点では“大罪”第二階層出現率が急激に上昇するらしい。だからアヴィセンナの報告書を見て少し驚いた。まさか先に欲しい情報を用意してくれるなんて思っていなかったから」


 つまりこの支部で今後達成しなければならないミッションはふたつ。


 かの『塩化』現象の解析を完了させること。

 そして、箱館エリアの『塩化』を事前に食い止めること。


「これを達成するには、お前たちの力が必要だ。誰が欠けても上手くいかない。そう思っている。……おれがちゃんと盾になるから、お前たちは自由に、お前たちらしく、そしてできればなるべく早いうちに行動してほしい」


 彼らにも辛い選択を迫ることは重々承知の上だ。だからこそ三善はホセが運んできた『漁夫の指輪』を受け入れることにしたのだ。自分がその地位にいることで、少なくとも彼らを守ることができる。


 これ以上、己が怠惰でいることは許されなかった。


「これがおれからのお願い事項だ。頼めるか」


 そこまで言った三善は、ゆっくりと頭を下げた。

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