第四章 (11) 長い長い旅の終わり
「……、ああもう! なんてことしてくれちゃったんですか! げーか!」
辛抱堪らず壬生が罵声を浴びせたので、ヨハネスは眉間に皺を寄せながら片耳を塞いで見せた。
「よりによってあの『ホセ・カークランド』と接触しただなんて洒落にならないでしょうが!」
「ミブ、うるさい」
――あの後適当な飛行機に乗り彼らが到着した先は、何故か『聖都』だった。言葉を失う壬生をよそに、ヨハネスはいつになくしゃっきりとした足取りで空港を出ていく。何か目的でもあるのかと思いついていくと、彼は街中の露店へと向かい、なんとそこでアクセサリーを物色していた少女に『漁夫の指輪』を渡すという暴挙に出たのである。
さすがの壬生もこれには驚いた。なぜ見ず知らずの少女にそんな大層なものを! と叫ぶより前に、壬生はさらに衝撃的なことに気が付いた。
その少女の姿はどこかで見たことがある。確か、エクレシアで管理している『A-P』がこんな感じの人形ではなかったか。
はっとして壬生が周囲を見渡すと、比較的近くに見知った男の姿を発見する。このアンドロイドの主、ホセ・カークランドだ。
なぜこんなところに。そしてなぜピンポイントでこんな地雷を踏み抜いていくのだ、この前大司教は!
幸いホセは電話に集中しておりこちらには気づいていないらしい。しかし、少女に接触した以上、彼にこちらの所在が知られることは時間の問題である。壬生は慌ててヨハネスの腕を引き、裏路地へと姿を隠すことにしたのだった。
――そして今に至る。
「何故『聖都』に来たのかと思ったら、もしかしてそれが目的だったんですか?」
「ああ」
できれば否定してほしかったのだが、壬生の期待に反してヨハネスは強く頷いて見せた。念のため上着のフードを深くかぶせておいたが、こんなことになるなら『聖都』に到着した時点でフードを被らせておくんだった。壬生は己の失態に激しく後悔している。
「今日のこの時間、あの子らがこの場所に現れると知っていたから。今回ヘマした部分を修正しようかと思って」
久しぶりにたくさん動いたせいだろう、ヨハネスの表情にはっきりと疲労の色が浮かび上がっている。彼は道端の段差に腰掛けると、ふう、と辛そうに息を吐いた。ここ数年ほぼ寝てばかりいたから、足腰が大分弱っているのだ。
「何度も短時間の『時間遡行』を繰り返していたら、誤って『漁夫の指輪』を持ち出してしまった。重要なタイム・パラドックスが発生するから、できれば今日中に返してしまいたかったんだ」
「返すだけなら、別に今日じゃなくてもよかったでしょう……」
「いや、今日でなければならなかった」
ぴしゃりとヨハネスが反論する。「今日渡さなければ、あの指輪が三善に渡ることはないんだ」
それに、とヨハネスが口を開いたとき、壬生の肩がぴくんと震えた。
近くで釈義の気配がしたからである。壬生は体を反転させようとするも、その耳に何か細いものが走る甲高い音が聞こえ、一瞬判断をためらった。
数拍置いて、つい壬生は口を開いた。
「……ねえ、猊下。あなたはどうしてこういうときに『釈義』を使わないんですか」
壬生の両手に絡みつくのは細いワイヤーだ。先端には小さな重りが結び付けられており、複雑に絡み合っている。これを自力で解くには相当の労力が必要だろう。
恨み言のように言った壬生の一言に、ヨハネスは短く頷いた。
「使う理由がないからだ」
ヨハネスがゆったりと答え、その瞳をのろのろと持ち上げる。彼らの目線の先にはふたりの人物がいた。
ひとりは背の低い少女だ。どこか既視感のある赤い瞳を、壬生とヨハネス交互に向けている。そしてもうひとりは黒髪の男だ。
薄汚れた外套を翻し、彼は鋭い口調で切り返す。
「――あなた、生きていたのですか。ブラザー・四辻」
男――ホセ・カークランドの双眸が、彼らを睨めつけていた。
その言葉に、壬生はとてつもなく動揺した。
なぜその名をヨハネスへ投げかけているのか全く理解できなかったのである。てっきりヨハネスのことを追ってきたのかと思ったのだが、その一言を耳にし、壬生の予想が大きく外れていることに気が付いた。
いきなり赤の他人の名を突きつけられ、さらには謂れのない理由で両腕を縛り上げられている。今日は厄日なのではないか。
「すみません、帯刀さん。見たところ一番体力がありそうなのがあなたなので、念のため動きを止めさせてもらいます」
ホセはそう言い放ち、ヨハネスへと目を向けた。
「なんだってもう、今日はおかしなことばかり起こる。あなたのことは弟さんが随分探しているのですよ。あなたにも事情はあるのかもしれませんが……」
「待った、ブラザー・ホセ。ちょっと話が見えない」
壬生が声を上げ、それによりようやくホセが口を閉ざした。「つまり、俺たちを追ってきたのではないと?」
それを聞き、ホセはようやく違和感を覚えたらしい。どうにも話が噛みあわない。なにか重要な勘違いをしているような気がして、ホセは微かに眉間に皺を寄せた。
「あなた方を追ってきたのは間違いありませんが……そうか、たぶん目的が違いますね」
「君の予想はたぶん合っていると思うよ。ところでこれ、外してくれる?」
「お断りします」
壬生の声をホセはぴしゃりと遮った。
「目的が違うとなるともっと厄介だ。私はここに至るまでいくつかの可能性を考えていましたが、あなたの反応を見てようやく理解できました。ああ、これは、なんと言ったらよいものか……」
珍しくホセが言葉を選んでいる様子で、微かに声を詰まらせている。
そのとき、口を閉ざしたままでいたヨハネスがのろのろと口を開いた。
「たぶんいつもの君ならこう言うだろうね」
「――こう言えばよいのでしょうか」
そして次の言葉は、ホセの声と見事に重なる。
「『お久しぶりです。その身体には慣れましたか、猊下』」
一字一句違わずに言うものだから、壬生も、それを言ったホセ本人ですら驚いて目を見開いている。ただひとり、ヨハネスだけはぼんやりと宙へ目を向けたまま長く息をついていた。
そして彼ははっきりとした口調で言うのだ。
「ああ、長い長い旅の終わりが、近いね」
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