八月七日 8 (2) ひとりきりでいること

「なあ。久しぶりに外に出られて、どう? 楽しい?」


 三善が振り返りながらそっと尋ねると、イヴはゆっくりと銀縁の眼鏡を外したところであった。そして、その青い瞳を三善へと向ける。そのまなざしはどこか既視感があった。彼女はゆっくりと、消え入りそうな声で答える。


「楽しいけれど、あなたがいない場所は少し退屈ね」

「そっか。でも、今までいた地下室よりは刺激的だろ」

 そして三善はにこりと微笑んだ。「おれも、あなたが近くにいてくれた方が安心する」

「それは、目の届く範囲に置いておきたいということ?」

「少し違う。おれは、あなたが『ひとりきり』でいることにどうしても耐えられなかったんだ」


 三善はそのまま懐に手をやり、手のひらサイズの箱を取り出した。


「――イヴ。煙草、吸っていいかな。しばらく見なかったことにしてほしい」

「未成年はだめですよ。まあ、言っても聞かないとは思いますが」

「見逃して。お願い」


 イヴは困ったように眉を下げ、既にその手にショート・ホープを泳がせている三善をじっと見つめる。もう吸う気満々じゃないか、とは口が裂けても言えなかった。


「ブラザー・ホセに怒られますよ。後々私も怒られますし」

「うん。おれに対してはげんこつ一発じゃ済まないと思う。年々ホセは変に頑固になってきちゃってさ。まあ、悪いのはおれだけどね。遅い反抗期ってことにしてくれないかなぁ……」


 しかしそれは法的に禁止されていることなのだ。三善が言うほど軽い問題ではない。イヴはそう言いたげに困惑した目を向けるも、三善はそれに気づいていないようだった。


「こういうことをしていると、ケファが怒ってくれるような気がするんだ。どこかで期待しちゃっているんだろうね、何事もなかったかのようにひょっこり帰ってくることをさ」


 へへ、と笑いつつフィルターに口を付けようとする。

 だが、その寸前でイヴはさっとそれを奪い取った。ついでにライターも箱も、それに関連するもの全てを奪い、彼女は自分の胸ポケットにつっこんだ。


「あ、ちょっと。何するんだ」

「一年後にお返しします。一応あなたはここの支部長なんですから、いつまでもチャラチャラされると困ります。他に示しがつきませんから」

「……あーもう。分かったよ。自分でプログラムの原案を出しておいて言うのもアレだけど、君は頭が固い」

「あなたがゆるゆるすぎるんです」

「へいへい。分かってます、おれが全て悪い――ああ、でも。ありがと、怒ってくれて」


 その一連のやりとりを、扉の隙間からロンとリーナが見つめていた。意外とあのひとは不真面目な放蕩者であるらしい。


「なんか、随分ギャップがある人だなあ……」


 ところでケファって誰? とリーナが首を傾げる。それに対しロンは無言だった。


 彼はその仕事柄、その人物が一体誰なのか、嫌というほど思い知らされていた。事実、彼の没後所属部署は大変な騒ぎになったのだ。



 ロンの正式な所属は教皇庁異端審問部門である。それを敢えて伏せてはいるが、本来神父が教えに反していないかというものを常日頃監視するのが彼の務めである。各支部に一人ないし二人配属されてはいるものの、この部門に所属する神父は大抵他の部署とかけもちしているため、その事実を知る者は滅多にいない。おそらく全てを把握しているのは、人事部長のブラザー・ホセくらいだろう。


 その『事件』というのは、約三年前、エクレシア指定便にあたる飛行機が謎の事故を起こし、たまたま乗り合わせていた宣教師が被害に遭ったというものである。その宣教師というのが、ケファ・ストルメントだった。


 それだけならばまだいい。しかし、問題は事故の調査が進むにつれその輪郭をはっきりと浮かび上がらせてきたのである。


 本部の公式発表ではエンジン・トラブルと称していたが、実際は違う。機体全体に何か物理的に大きな力が加わり、制御が利かなくなった飛行機が重力に導かれるままに落下したのである。その膨大な力は、『釈義』のそれと非常によく似ていた。


 教会側唯一の被害者であるケファ・ストルメントは元々『十二使徒』に指名されるほどの能力を持つプロフェットだったが、この飛行機に乗った時点ではその釈義全てを失っていた。だから彼が直接の原因ではないことは明白だが、他のプロフェットが何らかの形で関わっていたことは容易に想像できた。


 そして今も、彼の死体は見つかっていない。


 まさか『彼』の名が司教の口から出てくるとは考えもしなかったのである。


 この姫良三善という人物、彼の口ぶりから察するに、どうやらケファ・ストルメントと非常に近しい人物であったようだが――まさか。ロンは血の気が引く感覚を覚えた。


「おい。そこで覗き見してる二人」


 その三善が声をかけた。どきりと心臓が跳ねた。


 おずおずと二人が戸を開け、様子を伺ってみる。


 司教様はご立腹かと思ったが、そうではなかった。機嫌がよさそうに爽やかに微笑み、どちらかに建物の案内を依頼したいと言った。イヴでも別に構わないのだが、まずは彼らの性格を知りたいという、単純な興味だった。


「はいはーい! 俺が行くー!」


 真っ先に手を挙げたのはロンだ。


司教ファーザー、この人と二人きりになるのは危険ですよ! 私が行きます」


 続いて押しのけるようにリーナが出た。


「……どっちでもいいんだけど。面倒だからジャンケンで決めてくれる?」


 よっしゃーと呑気に気合を入れる二人、このノリが妙に新鮮だったので、思わずじっと見つめてしまう三善だった。本部ではここまでバカそうな奴はいなかったなあ、と、かなり自然に失礼なことを考えている。


 そんな所感を持たれていることに気づかない彼らは、本気のジャンケンを繰り広げている。数回のアイコののち、


「勝ったー!」


 勝負を制したのはロンだった。

 満面の笑みで呆れ顔の三善の腕を引くと、彼らは意気揚々と仕事場を出てゆく。

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