第三章 (2) 自尊心と引き換え

 その時だった。

 座り込んだ三善の視界が、突如陰った。


「三善」


 ケファだった。

 三善は力なく顔を上げると、彼のアメジストにも似た澄んだ瞳を見やる。その目に微かに怒気が宿っていることに、三善はすぐに気が付いた。


 さっと、血の気が引いた。


「あいつになんてことをしたんだ」


 一番見られたくない相手に見られてしまっていたことに、三善は動揺し言葉を詰まらせる。いつから、と小さく尋ねると、ケファは短く「初めから」と答えた。


「そんな危ないことをせずとも、他にやり方はあったろう。お前らしくない」


 怒鳴られることを想定としていた三善だったが、その予想に反してケファは始終穏やかな口調でいる。呆れられたのかとも思ったが、それとはどうも様子が違う。それに、と三善は思う。


 ――「はじめ」から見ていた?


 その事実に、三善は漠然とした違和感を覚えた。


「お前に時間がないことは分かる。だからこそ、ちゃんとした手順を踏んでおかないと取り返しのつかないことになる。聡いお前なら分かるだろ」


 このとき、三善は理解した。今のケファの言動は、何かひとつのストーリーによって成り立っている。ケファはたまたま三善を見ていたのではない。確実に、確信を持って三善を追っていたのだとも取れる。


 つまりそれは、


「ケファは、どこまで知っているの」


 三善の問いに、ケファは答えなかった。代わりに彼は長く息を吐きながら携帯を取り出す。


「どこまで、か。九割くらいだな」


 三善が追求しようとしたその時、ケファは携帯を耳にあてた。その口からついて出たのは彼の母国語である。電話の相手が誰なのか、初め三善は分からなかった。しかし話すケファの様子をしばらく観察するうちに何となく相手に察しがついた。そうしている間もケファは大真面目な顔で何やら長ったらしく語っており、最後に一言だけ、

「Je ne peux pas vivre sans toi.」

と囁いた。


 そして終話する。


「三善、三日後だ」

「え?」

「三日後に総会があるだろ。その時にお偉いさんは揃って大聖堂に移動する。その時なら、お前が行きたい場所に行ける。だから少し待ちなさい」


 全てを察しているような口ぶりに三善は戸惑いを隠せなかった。しかし、彼が言うならその通りなのだろう。


 わかった、と三善は観念したように頷いた。


「ところで、今のホセだよね。何を話していたの?」

「……俺の自尊心と引き換えに交渉しただけだ」


 その内容については深く語ろうとしなかったが、とんでもないものを代償にしたらしいということを三善は理解した。


***


 三日後。


 彼らは指定の場所へ向かうべく、本部の地下を練り歩いていた。


 ホセの予想は概ね当たっており、大半の聖職者は大聖堂へ向かってしまったため、広い本部の中はいつもより人通りが少なく、がらんとしている。


 ――あのあと、三善はケファと何時間も納得がいくまで話した。


 三善が『白髪の聖女』のことを気にしはじめるよりずっと前から、ケファは密かに調査を進めていたこと。いずれ三善も同じ答えにたどり着くだろうと踏んでいたら、ホセに対し強行突破を仕掛けたので慌てて牽制したこと。


 ――まさかあんなことをするとは思ってなかった。それ以上に、ホセがあんな手に引っかかる間抜けだということにも心底驚いた。


 ケファは淡々とそんなことを言っていたが、三善は心のどこかで違和感を覚えていた。まだ、ケファは何かを隠しているような気がしてならない。しかし、いくら誘導してもケファはその違和感の正体を三善に伝えようとはしなかった。


 それでも、互いの認識を合わせるには十分だ。


 三善の生い立ちを知ること、そして今後の延命方法を考えるのであれば、白髪の聖女と接触することは避けて通れない道だということ。この見解だけは一致していたので、三善はほんの少し安心していた。


 それにしても、と三善は思う。


 ケファがなにかとんでもないことを考えていることだけは分かるのだが、それが何か見当もつかない。変なことに片足突っ込んでなければいいのだが。


 そうしているうちに目的地にたどり着いた。


 本部資料室閉架十三階。三善とケファは、眼前に広がるばかでかい扉を目の当たりにし思わずぽかんと口を開け放っていた。


 鉄のような材質でできたその扉は非常に立派な造りをしており、いかにもこの奥に大事なものが眠っていると言わんばかりの代物である。軽くノックしてみると、その分厚さのせいか小さく反響した音が響くだけで、動く気配はない。


「開け方は知っているのか」


 ケファの問いに、三善は首を縦に動かした。


 帯刀いわく、『釈義』が鍵の役割を果たしているとのことだ。それならば合点がいく。『釈義』には個々が持つ独自の特性がある。これを鍵としているならば、それだけでどのような人物なのか証明できるということだ。


「……ケファ」

 三善はゆっくりと呟くように言った。「いってきます」


「ああ。ここで待っている」


 その一言だけで、安心して『釈義』を使うことができる。三善は微かに痛む胸の痛みをこらえ、そっと両手で扉に触れた。


「――『釈義exegesis展開』」


 刹那、三善の思考はぷっつりと、途絶えた。

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