序章 (5) 過保護の極み

***


 男――トマスが運転する車の助手席で、帯刀はじっと自分の携帯電話の画面を見つめていた。着信が二分置き、メール受信に至っては数え切れないくらい同一人物から入っている。そのメールを一件ずつ、決して邪険にせずに開封していた。


 そんな彼の姿を横目に、トマスはひゅうと口笛を吹いた。


「美袋からか?」

「ん、ああ。アレは単に過保護なだけだ。まだ俺たちには九時間の猶予がある、問題ない」

「心配してくれる人がいるってのはいいことだよ、ユキ」


 携帯電話を二つ折りにたたむと、帯刀は長ったらしい溜息をついた。今ようやく全てのメールを確認し終えたところらしい。だが、その疲れ切った表情から察するに、おそらく内容は全て同じだったのだろう。


 彼の手の中で、再度携帯が着信を訴えて震えた。


「帰ってこい、の一言に尽きるメールを百単位で送られてみろ」

「嫌だな、それは」

「だろ?」


 若いのにそこそこ苦労しているらしい。トマスは苦笑しつつゆっくりと車を走らせた。


 ワイパーが規則的に雨をかき分けてゆく。本当に、今日はよく降る。トマスは雨が嫌いだった。


「それで、トマス。お前が聞きたいことというのは『契約の箱』の所在と『白髪の聖女』の所在。この二点で構わないか?」

「ああ、結構だ。姫良真夜の方も教えてくれるのか? じゃあ俺も奮発しないといけないなぁ」


 それは難しい、と唐突に帯刀が呟いた。それを聞き、トマスが首を傾げる。


「どういう意味だ」

「『白髪の聖女』の所在は知っている。知っているが、それを教えたからといっておそらくお前たちはどうすることもできない。『契約の箱』は、正直なところ大まかな場所しか分からない。誰かの手によって、意図的に、かつ定期的に移動させているように見受けられる」


 そこまで言うと、じっと帯刀は押し黙った。


 しばらく次の言葉を待ったが、一向に帯刀は口を開かない。見かねて、トマスが代わりに口を開いた。


「君の先代じゃないの?」

「可能性は、ある」

「なら……」

「でも、違うんだ」

 帯刀がぴしゃりと言い放った。「何かがおかしいんだ。おかしいことは分かるのに、何がおかしいのかが分からない。何か、俺は重要なことを見落としている気がする」


 なんにせよ調べるには時間がかかる旨を帯刀は伝えると、トマスはひとつ頷く。


「まあ、『契約の箱』が絡むと何故か情報が錯綜するからな。俺の目には、まるで何度も何度も上手くいくまでやり直しをしているみたいに見えるね……、ん?」


 そこでトマスは何かに気付いたようで、突然ブレーキを踏み減速させ始める。


「あらら。お迎えみたいだぞ、王子」


 帯刀はぴくりと眉を持ちあげた。

 重く湿っぽい雪の中、大きな黒い傘を差しじっと立ち続ける背の高い男がいた。黒いスーツの上からダウンジャケットという出で立ちであるにもかかわらずその洗練された風貌に思わずはっとさせられる。彼ひとりが発する存在感、だろうか。遠目からでもそれを感じることのできる人物はそうそういない。


 トマスはそれが誰なのかすぐに理解でき、だからこそ諦めて車を停止させたのだった。


 傘を差した男はトマス・帯刀が乗る車を一瞥し、ふ、と白い息を吐き出した。傘を握る手には何も身に着けておらず、真っ赤になっている。きっとあの手は冷たくかじかんでいるのだろう。


 それと同時に帯刀はこうも思う。


 ああ、怒っている。あれは完全に怒っている。


「ところで、ユキはどうやってアレを追い払ってきたんだい?」

「ちょっと柱に縛り付けてきた」


 それは最早ちょっとのレベルではなかろう。


 呆れてトマスはため息をつき、仕方なく運転席側の窓を開け、顔をのぞかせる。そして呼びかけようと手を振ろうとし――


「やめろトマス。首が飛ぶぞ」


 帯刀の忠告が入った。そういうことは早く言え、というトマスの思考はあっさりと“それ”によって断ち切られる。


 傘を閉じ、男――美袋慶馬がその“柄”を抜いた。捨てられた“傘”部分は吹きつけた強風により空のはるか遠くへと飛ばされてゆく。そして手に残った柱部分――サーベルに近い形状をした細身の剣がトマスの首を切り裂いた。


 ぶしゃああああ、と、赤黒い液体が慶馬の頬を染め上げた。生ぬるい液体が放つ湯気は悪臭と共に立ち上り、慶馬は小さく舌打ちする。気持ち悪いと淡々と呟きながら。


 トマスだった身体はぐったりと、窓からうなだれていた。伸びた指先からはぱたぱたと血が流れ落ちる。


 剣を一度大きく振ると、それに付着した血液が綺麗に飛び散った。そして、慶馬は冷え切った左の親指で己の顔についた赤を拭う。その間の表情は、なにもない。彼は「こんなこと、心底どうでもいい」とでも言いたげにそっと息を吐き出した。


「雪。何をしているんですか。こんなところで」

「お前こそ。家で待機と、あれ程言っただろう」

「あなたを野放しにしておいたら、帰ってこないじゃないですか」


 それに俺はこの男を殺した訳じゃないですからね、と慶馬が付け足す。目を剥いたのは帯刀の方だった。


 確実に急所を突き、こんなに血が出ているというのに。この男はまだ「殺していない」と言うのか。気違いも大概にしろ。


 そう文句を言おうと帯刀が口を開いた――その時。


「――ったく、酷いな。一回死んじまったじゃねぇか……」


 ぴしぴしと、ひび割れるような小さな音が響き渡った。


 ぐったりとしていたトマスの身体が淡い黄色の光を放ち、己の傷口をゆっくりとふさいでゆく。ピクリと動いた指先は、動作確認をするかのように何度か小さく曲げ伸ばしを繰り返している。そしてとうとう、首の傷が全てふさがった。同時に淡い光がゆっくりと消え失せる。


「これは……」


 帯刀は驚きのあまり、その一連の出来事を思わず凝視してしまった。まるで身体についた小さな傷を何日かかけて自己修復するかのようなレベルで、この男はあの傷を短時間で修復したのだ。こんなこと、普通できるはずがあるまい。否、普通でないからこそ、彼は今“七つの大罪”に身を寄せているのかもしれないが。


 トマスは「やっぱ痛いなあ」と首をごきごきと鳴らしつつ、無表情でそれを見つめていた慶馬に言い放った。


「お前さあ、斬る前に一言“御免”とか“お覚悟”とか言えば、こっちだって対処できんだよ。いきなり来るな。余計な体力使っちまっただろ」


 そうですか、と慶馬が小さく言ったのを聞いて、よし、とトマスが後部座席を開ける。


「お前も乗れ。俺を二度も殺すことができたのは、お前が二人目だ。おじさん気にいっちゃった。ユキ、構わないな?」

「……ああ。慶馬、乗れ。手は出すな。彼は取引相手だ」


 慶馬は帯刀のその声を聞き、一礼した後、後部座席に座ることとなった。

 そして車は走り出す。行き先はまだ、この二人は知らなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る