第三章 (1) 特定

「最近、随分熱心にお勉強しているみたいじゃないですか」

「え?」


 ホセに指摘されたケファが、ぎくりと頬をひきつらせた。


 昼食を食べようと三善と共に食堂へやってきたケファは、たまたまそこで出くわしたホセとマリアに声をかけられた。ケファは露骨に嫌そうな表情を浮かべていたが、三善が喜んでしまったので仕方がない。奇しくも相席することを余儀なくされた訳だが、そこでホセから思いもよらぬ一言を投げかけられたのだった。そして冒頭に戻る。


 ここしばらく『契約の箱』と大司教の釈義について調べ物をしており、起床時刻ギリギリになってようやく布団に入る生活を送っていたケファである。こんなにも不摂生な生活をしているなんて、誰にも言っていないのだが。一体どこで悟られたのだろう。先日ホセが自室まで尋ねてきたことがあったが、その時だろうか。


 悶々と言い訳を考えるケファだったが、


「いや、最近時々眠そうにしているので。また原稿でも書いているんですか?」


 その心配とは裏腹に、ホセは予想外のこととして捉えていたらしい。これはなかなかに好都合である。


「まあ、そんなとこだ。参っちゃうよな、本当」

「何か今ギクッとした顔をしましたが、見なかったことにしておきましょう。体を壊さないように気を付けてくださいね」

「はいはい」


 適当に受け流すと、ホセの興味はどうやら三善へと移ったらしい。そろそろ年に一回行っている収支予定の報告を家庭裁判所に行う予定があるため、その件について後で話をさせてほしい、という旨を説明している。三善は分かったような分からないような微妙な顔をしていたが、ひとまずは頷いていた。


 ケファは、三善に「大司教になれ」と言った手前、別の方法がないかを考えているとは知られたくなかったのである。それに、漠然とした勘ではあるが、なんだかこの件については誰にも言わない方がいいような気がしたのだ。


 だめだったら、それでもいい。己のエゴかもしれないが、納得できるまで考えよう。それにしても、もう少し寝ておかないとまずいかなぁ、と食事をしつつ考えるケファだった。


 マリアはレモン水を飲みながら、そんなケファの様子をじっと見つめていた。


「ん、どうしました? なにかおかしいです?」


 マリアは静かにコップを置き、それからぽつりと呟いた。


「今、ペテロ、嘘ついた」


 ケファが思わず飲みかけの水を噴いた。それをもろに食らって目を剥いているのはホセの方である。


「ちょっと、あなた……」

「悪い、ちょっとびっくりした……」


 気管に水が入り、しばらく咽ていると、三善がハンカチを差し出してくれた。それを受け取り口の周りを拭くと、ようやく息をつく。


「ありがと。洗って返すわ」

「ケファ。まさか私に内緒でなにか変な副業でもしているんじゃないでしょうね。やめてくださいよ、そういうの。労務管理的に結構厳しいんですから」

「いや、してねぇし」


 言い合いになるかと思ったが、このタイミングでホセの携帯電話が着信を訴えて震えた。失礼、と一声かけ、席を立ちつつホセは通話ボタンを押す。はい、と穏やかな口調で切り出すも、彼の表情は次第に険しくなってゆく。


「――え。第一区に“嫉妬”が?」


 そして、何やら不穏な言葉が口を突いて出た。


***


 電話の主は帯刀だった。


 帯刀・慶馬の二人はここしばらく本部に滞在しており、“嫉妬”を生け捕りできないかとあれこれ考えていたようだが、ここでようやく結論が出たらしい。彼らは一足早く現場に向かったそうなので、電話会議で要点を伝えることにしたということらしい。


 例によって四人はホセの仕事部屋に向かい、電話会議用のスピーカに向かって話し始める。


「それで、場所は第一区というのは本当なのですか」

『ああ』

 帯刀が肯定の返事をする。『第一区、浅木あさぎ市。そこに聖所がひとつあるだろう。多分そこだ』


 浅木市はエクレシア本部より北西部に位置する教区で、車を三十分ほど走らせればたどり着くくらいの距離にある。確かにそこには古くから大切に祀られている聖所があるが、なぜそこだと断定できたのだろう。


 三善が首を傾げていると、


『“嫉妬”の探しているものが何かを考えたら、必然的にそこにたどり着いた。ここからは他言無用でお願いしたい』

 と、まるで電話の向こうで三善の疑問を察したかのような回答があった。

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