第一章 (9) エクレシア本部・第十三ゲート内会議室にて
「『A-Pプロジェクト』の経過は、現状は良好といったところか」
エクレシア本部・第十三ゲート内会議室。
本部内でも指定保護区域に指定されているこのエリアでは、一定以上の位の者のみが使用することを許されている。特にこの会議室は、司教の中でも特に上層階級の者のみが使用できる、エクレシア内でもとりわけセキュリティレベルの高い居室でもある。
ホセはこの日、枢機卿であるジェームズ・シェーファーに呼ばれこの会議室を訪れていた。
そもそもこのジェームズという男は、ホセと非常に馬が合わない。彼は枢機卿団のトップであり、前大司教の補佐役を務めた非常に優秀な聖職者である。ホセもその点は認めているが、いかんせん彼は何事にも保守的過ぎる。大聖教の教義を守ろうとするあまり、他の考えを決して聞こうとはしないのだ。忠義に厚いのは構わないが、その特定の思考だけで物事を進めようとしないでほしい、というのがホセの本心である。
また、彼の所属する枢機卿団は似たような思考を持つ者がとても多いという点もホセの悩みの種であった。自身が彼らにひどく嫌われているのは一向に構わないのだが、それでも利用できるものは利用しようという意図が見え見えで非常に心象が悪い。
「先日の“
「基本的には、ブラザー・ケファとブラザー・ミヨシの成果ですよ。私は特になにもしておりません」
ホセは小さく肩をすくめる。「さて、これで私も現役復帰ですか。どこまであなたは私を利用するおつもりなのでしょう」
「利用とはまた。口が悪い」
ジェームズはおかしそうに乾いた笑い声を上げる。「私はただ、君の存在を高く評価しているだけだがね」
「そうですか」
話しても埒があかないと判断したのか、ホセはそれ以降、自発的に口を開こうとはしなかった。その姿を、ジェームズはどう捉えたのだろう。まるで聞き分けのない子供へ言い聞かせるように、驚くほど穏やかな口調で言った。
「君にはまだ我々に協力し続けてもらう必要があるからね。『喪失者』となっても、未だ君の中に眠る力は計り知れない。君を解析することで、大聖教の未来は随分と明るくなるだろう」
そんなに見え透いたお世辞を吐かずとも、素直に言ってしまえばいいのに。ホセは思う。逆を返せば、すべてを解析し終えた暁にはお払い箱ということだ。これだけ尽くし続けても、この男の前では無意味に過ぎない。ならばせめて、少しでも長くこの場所に居続けることができるよう努力するまでだ。
「ところで、猊下のご様子はどうだい」
ジェームズが唐突に尋ねた。
ジェームズは、エクレシアの中でも三善のことを知る数少ない人間の一人である。時々彼自身も三善に接触を図っているようだが、そういう時に限って『教皇』は三善と代わろうとしない。おかげで三善は毎回きょとんとしながら、「ええと……、どちらさまでしょうか」の一言を繰り返すこととなるのだった。
ホセは逡巡し、慎重に回答する。
「特に変わりはありませんよ。そろそろ、猊下に執務を行ってもらう必要がありそうですか? 必要ならば調整しますが」
「いや、結構」
ぴしゃりとジェームズが言い切った。「それくらいならば、こちらでどうとでもなる。特になにもないならそれでいい」
「分かりました。何かあれば声をかけてください、可能であれば私を通してもらえると非常に助かります」
「そうさせてもらう。あの怯えた顔を毎回見せられるのも、なかなか辛いものがある」
ジェームズはさて、と立ち上がり、ロマンスグレーの髪を両手でなでつけた。彼は別件の用があるとのことで、先に退室すると言う。
「ああそうだ、ブラザー・ホセ」
扉に手をかけたところで、ジェームズがホセに声をかけた。「次に猊下がいらした際は、ぜひこちらにも声をかけてほしいと伝えてくれ」
「ええ」
彼が何故そのようなことを言ったのかは不明だが、とりあえずは話を聞いておくに越したことはない。ホセが頷くと、それに満足したのか、ジェームズは足早に居室を離れていくのだった。
扉が静かに閉じられ、居室にはホセただひとりだけが残された。
彼は立ち尽くしたままじっと扉を見つめていたが、そののちに大きく息をつく。また嫌味を言われるかと身構えていたけれど、今回はそれほどひどいことを言われなかった。無駄に気を張っていたせいで、彼は吐きそうなほどに疲れてしまっていた。
聖職衣のポケットから懐中時計を取り出すと、長針はジェームズに会う前の時間よりも三十分進んでいた。たったの三十分だ。それだけの時間で、まるで丸一日肉体労働をしたかのような激しい倦怠感に襲われている。
もう何も考えたくない。そう思うくらいに、彼は消耗していた。
さて、この場所に長居は無用である。ホセもさっさと退室の準備を進め、ようやく地上に戻った頃には、既に疲労がピークに達していた。やや酸欠気味でもあったのだろう、頭がひどくぼんやりする。その身にまとう白い聖職衣の重さが余計に身体の動きを鈍くさせている。エクレシアの聖職衣は、なぜこうも高位であればあるほど重たいのだろう。司教レベルでこれなのだから、大司教のものなんて洒落にならないレベルなのではなかろうか。そんなことを考えるくらいには、ホセの頭は判断の正常性を欠いていた。
とはいえ、彼が本部でやるべき仕事は溜まりに溜まっている。ようやく常駐できることになったのだから、少しは減らしておきたいものだ。
まずは自室に戻り、プロフェット用の聖職衣を通称・開かずのクローゼット――ここ数年ろくに開けていないため、何が出るかよく分からない――から探し出す。それから久しぶりに体術訓練も行わなくては。それから、隙を見つけてケファの『例の再試』を見てやる必要がある。それと、自分のデスクに山積みとなっている書類に判を押す。ああ、それとマリアにたくさん本を読んであげると約束していたので、資料室に探しに行きたい。無理そうなら、通販で発注すればよいだろう。それから、ええと。
これからなにをすべきか頭の中で整理していると、背後からなにかがぽすんと抱きついてきた。完全に気を抜いていたので、驚いたホセは思わず文字通り飛び上がってしまった。
「あ、ああ。マリアでしたか」
その正体――マリアについては、さすがにジェームズと会う間は連れて歩けないと判断し、科学研に預けてきたのである。そんな彼女がここにいるとなると、おそらく抜け出してきたのだろう。
彼女の紅い瞳が、じっと、ホセに何かを訴えていた。
彼女が言わんとしていることは理解しているつもりだ。しばらくひとりにされたから文句を言っているのだろう。彼女が開発されたドイツの研究所では、文字通りトイレと風呂以外はほぼべったりとくっついて回っていた。まるで母鳥にでもなった気分であったが、この本部内ではそうもいかない。それでも、彼女にとっては自分しか頼りにできないということは重々承知の上なので、少し甘やかしてしまうのも事実だ。
「すみません、お待たせしました」
不在の間の空白を埋めるため、彼女の細い体を抱き締めてやる。それでやっと落ち着いたのか、彼女の表情が険しいものから少しだけ柔らかいものとなった。
こうしていると、彼女は本当に生きているように思えてしまう。怪我もするし食べ物もそれなりに口にする。笑うし泣くし、こうやって文句も言ってくる。特定のものに対して執着することは聖職者としてよくないことだと分かっていながら、それでも大事にしてやりたいと思ってしまう。
「先に部屋に戻りますが、そのあとでよければヒメ君とケファのところに行きましょうか?」
ホセの提案に、マリアは小さく頷いた。
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