第四章 (3) 聖痕
***
また、ひどくなった。
ホセは鏡に映った自分の姿を睨めつけながら、短くため息をついた。
聖職衣の上着は肩に掛けたまま、その下に着ている白いシャツのボタンをへそあたりまで大きく開けている。年齢の割に引きしまった筋肉の上、ちょうど胸の中心に赤い十字の傷痕が見える。
一昨日“
「やはり、“
あの日、かつての“釈義”能力部位の一つである「右手」で彼奴に触れ、そして元々の“釈義”能力部位の「喉」で対価「讃美歌」を歌った。自分がもう『釈義』を展開できない身体だとは言っても、『対価』に全く反応しない訳じゃない。特に後者は、前者とは全く異なる方法で発動していた訳で――。
いずれにせよ、釈義を消費し続けるのはそもそも無理があるのだ。その件については、この胸元の痣が物語っている。
だから、不安なのだ。三善には昨日検査を受けさせ、身体に異常はないとは言われたけれども。あの時三善が発した一言が脳裏に浮かぶ。
――『
あれ自体は釈義ではないものの、使いすぎると後々身体にリバウンドとして跳ね返ってくる可能性がある。この十字の痣――“聖痕”という形で。ただでさえ三善の保有する釈義の全てが後天性なのだ。通常のプロフェットよりもはるかに危険は多い。
「
その時、静かに部屋の扉が開いた。
「ああ、あなたでしたか。ヒメ君は?」
大あくびをしながらケファは扉を閉め、実にのんびりとした足取りで歩いてくる。
「図書館に行ったよ。必要なものができたんだと。……とりあえず、今のところは安定しているみたいだ。体調的にも、釈義的にも」
「そうですか」
それでも安心はできませんね、とホセは言い、自分の荷物から小さな瓶を取り出した。その中身は一般に『聖水』と呼ばれるもので、本来的には土地を清め結界を張るための祭器なのだが、今では医療用に使用されることのほうが圧倒的に多い。ちなみに、一昨日土岐野の放った『聖火』を沈めたのもこれである。
彼はそれをさらしにしみこませ、聖痕に当てる。じゅ、と人間から発せられたとは思えない、まるで焼けた石に水を注いだような音がした。しばらくしてようやく痛みが引いてきたのか、長く息を吐き出し、ホセはそのアイボリーの瞳を閉じた。
「この仕事が終わったら、一度フランスに『コレ』を取りに行かなくてはなりませんね。あなたも来ますか? ブラザー・ジョーのところですが」
そう言って聖水の入った小瓶を振って見せる。
「別にいいよ。どうせあの親父はピンピンしているだろ。連絡はたまに取っているし、今更だ。ああ、でも、孤児院の方には顔出ししたいかな」
そこまで言って、ケファはふと思い出したように、「やっぱやめ。ヒメがいる」ときっぱり断った。
そう言うと思った。ホセは笑いながらシャツのボタンを留め、上着に袖を通す。首には洗礼を受けた証である銀十字を、左腕にはロザリオを。それらは窓から差し込む太陽の光を反射し、きらりと瞬く。
「いいじゃないですか、ヒメ君と一緒でも。彼にも外の世界を教えるべきです。最終的には、『聖都』に行く子ですからね」
「だから嫌なんだよ」
ケファは眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように言った。「まだあいつには早すぎる。少なくとも、あいつが猊下の力なしに生き長らえる方法を手にするまでは外に出せない」
甘いだろうか、と彼が呟いたので、ホセは優しく首を横に振ったのだった。
「――だから、我々は急がねばなりませんね。あの子のために」
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