第十四章 その4 おっさん、助け出される
「横暴なる王に、正義の鉄槌を!」
高らかに声をそろえ、人々が行進する。税と身分格差に苛まれ続けた民衆の不満が、扇動によってついに爆発し、思考を捨て何事をも省みない状態に陥っている。
「あの先頭にいるの、さっき演説してた人ですね。さっきの広場から移動してきたのでしょうか」
ひとつの巨大な生き物のようになった群衆を見てパーカース先生がぼそっと漏らす。彼女らは建物の陰に隠れて同じ方向に歩く人々を見守っていた。
「ハインさんは……いませんね」
ハーマニーがじっと目を凝らして新王に祭り上げられたハインを探すも、その姿は見つけられなかった。
「広場に戻ったら何かわかるかもしれない」
ヘルバールの一言に女性陣は「ええ、行きましょう!」と頷くと、そのまま裏路地を伝って広場へと向かう。
先ほどは人でごった返していた広場だが、現在はすっかり閑散として人っ子ひとつ無い。ただ石畳の上を風に吹かれる土埃や誰かの落とした帽子が舞い、埋め尽くしていた人の名残を見ることができる。
「人の気配がありませんね」
「周りにいた連中はみんな乗せられたんだろうな。危ないと思った人ももう逃げ出しただろうし……ん?」
ヘルバールが耳を立て、広場に面した商店のひとつを睨み付ける。見れば、壊したガラス窓から誰かが這い出している。災害や事件の混乱に紛れて現れる、火事場泥棒だ。
「こら、何している!」
ヘルバールの声に泥棒はびくっと飛び上がると、慌てて逃げ出した。
すかさずヘルバールはポケットから小さな鉄球を取り出し、手のひらに乗せ置くなり念じて撃ち出す。
さすがは元軍人、弾き出された鉄球はかなりの距離があるにも関わらず、まっすぐ泥棒の背中に直撃する。激痛に石畳に倒れ込んだ泥棒は、そのままうずくまって立つこともできなかった。
「まったく、こんな時に悪事を働くとは、逞しい野郎だ」
駆けつけて見てみると、泥棒は細身の男だった。ぼろぼろに汚れた衣服から、労働者階級だろう。
「ちょうどいい、お前、ここで演説は見てたか?」
ヘルバールが男の腕を後ろに回し、地面に組伏せた状態で尋ねた。男は痛みに顔を歪めながらも、従順に答えた。
「ああ、見てたよ。みんなあっちの方に行っちまったから、誰もいなくなったと思って、つい出来心でやっちまったんだ」
「それじゃあ演説してた奴ら以外にも首謀者は何人かいたはずだ。そいつらはどこから来たかわからないか?」
「俺がここに来た時には演説が始まっていたからな……あ、でも舞台に立っていた新王が途中でいなくなったな。たしかそこの路地に消えていったと思うぜ」
そう言いながら男は広場と繋がる一本の細い路地に顔を向ける。古い建物に挟まれた、注視していないと見落としてしまいそうな小路だ。
聞くとヘルバールはにっと笑い、拘束した腕を離す。
「ああ、今日は教えてくれたことに免じて許してやるが、次見つけたら容赦しねえ。ここは危険だ、早く安全な場所に逃げな」
「すまねえ」
男は背中をかばいながらよろよろと立ち上がると、そのまま別の路地に飛び込んでいった。
男の姿が見えなくなると、一行は無言で示された小さな路地に向かった。ここには陽の光すら滅多に入らないのだろう、壁際に吹きたまった土埃から、ひょろりと細長い雑草が生えている。
「この辺りは繁華街の裏の顔、普段は太陽を避けてるゴロツキどもの縄張りだ。さすがに今日ばかりはみんな避難しているみたいだがな」
ヘルバールを先頭に、6人が進む。普段良識のある女性なら、絶対に近付かないような場所だが、今は誰も踏み込むのに躊躇することは無い。
「ねえ、このドア開いてる」
後ろからナディアが呼び止める。彼女は途中で目についた建物の扉にそっと手をかけながら歩いていた。
少しだけドアを開けて中を覗き込む。外観は古く朽ちているのに、内部は調度品や絵画なども置かれ、不釣り合いなまでに整っている。まるで今も丁寧に使われているようだ。
ここに何かある。直感した一行は素早く家の中に滑り込んだ。
「ええ、万事うまく進んでおります」
少し奥に歩いてみると、誰かがぼそぼそと話している。だが聞こえるのは男の声ひとりのみ、一人言か、はたまた通信でもしているのか。
「すでに王城には複数の集団が向かっています。あとは人数が溜まったところで私が連絡を入れれば、門番が城門を開ける算段となっております。王妃様は今の内に抜け道からお逃げください」
ヘルバールは後ろの少女たちを一瞥すると、目だけで動くなと伝える。そしてひとり足音を殺し、そろそろと声のする方へと近付いていった。
「ええ、何もかも王妃様のご協力あってのことです。これで北方帝国も内海の制海権を取り戻し、かつての威光を轟かせることもできましょう」
そして柱の陰から覗き込み、ヘルバールは驚きのあまり声を漏らしかけた。彼が見たのは、簡素な机に置いた通信用魔道具に向かって話すレフ・ヴィゴットの後ろ姿だった。
ヘルバールは呼吸を止め、ゆっくりと慎重に足を動かす。そして背後から近付くと、そのまま目にも止まらぬ速さでヴィゴットを羽交い締めにした。
「ひぎゃ!」
完全なる不意打ちに情けない声を上げるヴィゴット。
「ヴィゴット、どうしたのです、ヴィゴット!?」
床に落ちた魔道具から女の声が鳴り続ける。だが、ヴィゴットの魔力注入が中断したために、やがてその声も途切れてしまった。
「な、なぜあなたたちがここにいるのです!?」
抵抗しようと暴れるも、彼は腕力も魔力もそこまで強い方ではない。屈強なヘルバールが相手では万にひとつも勝ち目はなく、ただ取り乱したように声を荒げた。
「ヴィゴットさん、まさかあなたがそっち側だったなんて……」
そっと柱の陰から顔を見せたのはナディアは、目をそらしながらため息を吐いた。ヴィゴットが反王政派に与していることはヴィーネから聞かされていたが、旅行記のファンのひとりとして何かの間違いであってほしいと自信に言い聞かせていたのだが、その希望さえも音を立てて崩れた瞬間だった。
イヴも同情しているのか、苦虫をかみつぶしたような顔でナディアの背中をそっと撫でる。
「ハインさんはどこ!?」
「アルフレドさんも、どこにおられるのです!?」
そんなナディアと違い、マリーナとハーマニーがぐいっと顔を近づけてヴィゴットに詰め寄る。いつもなら可愛げのある少女らの顔も、この時ばかりは鬼気迫るものだった。
「地下の通路の突き当りの倉庫だ。鍛冶屋の方は……その手前の部屋に突っ込んでいる」
観念してヴィゴットが吐くと、ヘルバール先生はうむと頷き、他の面々に目配せをする。
すぐさま彼の意図を理解し、パーカース先生、ナディアとマリーナ、そしてハーマニーの4人が駆け出す。ヴィゴットを捕縛するため、ヘルバール先生とイヴはここに残った。
「あとひとつ、お尋ねしたいことがあります」
ヘルバール先生が適当な布で腕をきつく縛り上げている最中、イヴはじっとヴィゴットの顔を覗き込んで尋ねた。
「王妃様というのはどういうことですか? あなたは一体何を企んでおられるのです?」
少女の質問に、ヴィゴットは口を閉ざしたまま俯いた。だがすぐにヘルバールの巨大な掌が両の頬を掴み、無理矢理にイヴの方へと向けられる。
「俺は退役していても心は軍人だ、この国を守るためならどんな相手にだって立ち向かう。100人殺しの殺人鬼だろうが、あんたのような高級貴族だろうがな」
凄みを込めたヘルバールの声。ヴィゴットは痛みに眉をしかめながらも、へへっとわざとらしく笑って言い放ったのだった。
「ふふふ、こんな国に何の価値があるのでしょう?」
「急いで、仲間がいるかもしれない」
他の4人は地下への階段を降り、長い長い廊下を駆け抜けていた。元々は古代の地下水路だったのだろうか、あの古ぼけた建物の中がこんなに広いとは驚きだ。
「何者だ!」
騒ぎを聞きつけ、廊下の向こうから3人の男が駆けつける。いずれも仮面とマントで己の姿を隠した者たちだ。
「ええい!」
だがその姿が視界に入るなり、マリーナとパーカース先生が手を突き出して、ふたり同時にありったけの魔力をぶちまける。単なる護身用魔術の一種だが、狭い地下通路をどうっと吹き抜けた強風は通常以上に威力を増していた。
「ぐわあ!」
室内を吹き荒れた豪風に男たちは吹き飛ばされ、3人そろって地面や壁、さらには天井にまで叩き付けられて、そのまま気を失ってしまう。
予想以上の効果にマリーナらは若干心苦しいものを感じざるを得なかった。だがそのひとりの仮面がずれているのを見て、マリーナは「あ!」と声を漏らしてしまった。
「この方……パルカ男爵だわ!」
「知ってるの?」
「ええ、お父様のお知り合いで、王城勤めの貴族なんだけど……まさか男爵が首謀者の一人だったなんて」
信じられない。そう思って気を逸らした時だった。
「危ない!」
突如ハーマニーがマリーナの身体にタックルをかまし、ふたりそろって地面に倒れ込む。
何するのよ、そう言い返す暇もなく、倒れ込んだふたりの頭上スレスレを一発の弾丸がかすった。直後、すぐ近くの壁に直撃したそれは、壁材のレンガを貫いて深々と黒い穴を穿ったのだった。
「おやおや、勘の鋭いお嬢さんだ」
廊下の闇の向こうから現れたのは仮面を付けた男だった。声からしてまだ若いようだが、魔動銃も無しにあれだけの威力の弾丸を撃ちだせるのは相当な手練れだ。
「余計なことをしなければ一思いに殺して差し上げましたのに、これではお嬢さんを怯えさせたまま殺してしまう。これは私の美学に反する、実に情けな……ぐは!」
気取った口調で話している最中のことだった。ベキッと何かが折れるような凄まじい衝撃音がしたかと思うと、男は奇声を上げてそのまま前に倒れ込んでしまった。
その男の背後に立っていたのはひとりの老紳士だった。手を突き出している様子から、若い男に背後から術を食らわせたらしい。
「良かった……操りの術が解けた……」
老人はぜえぜえと肩で息を切らし、ふらりとよろめく。
すぐさまナディアが駆け寄り、「あなたは?」と尋ねながらその身体を支えた。
「私はトマス・ゼファーソン。国王陛下の側近だ」
老人の自己紹介に、一同は「ええ!?」と声をそろえた。つい先日、ハインの命を狙ってそのまま行方知れずとなっていたはずの貴族が、なぜ今ここに?
「話は後だ。ハイン君を助けに来たのだろう? 彼は今、操りの術にかかっている。あれは定期的に香を吸わせないと効果が切れるのだが、先ほどはどういうわけかヴィゴットが来なくて私の術が解けてしまった。同じように、彼の術も弱まっているはずだ」
困惑する一行だが、ゼファーソン氏の声には従わざるを得ず、ナディアとハーマニーで彼の身体を支えながら暗く長い廊下を歩き続ける。
そして突き当りの扉を蹴破ると、中にはたくさんの木箱に囲まれてぼうっと座り込む大男の姿があった。見慣れたその顔を見るや否や、マリーナは声を堪えることができなかった。
「ハインさん!」
マリーナは駆け出し、座り込んだハインの巨躯にがっしと抱き着く。だがそれでも微動だにしないハインに、彼女は目を点にして顔を上げた。
「まだ効果は切れていなかったか」
ゼファーソン氏が残念そうに吐き捨てる。ハインの眼はまるでどこか遠くを見つめているようで、マリーナの声などまるで聞こえていないようだった。
「そんな、ハインさん、私よ、ねえ、しっかりしてよ!」
泣き出しそうな様子でハインの頬をぺしぺしと叩くマリーナ。そんな彼女を見かねてか、パーカース先生は前に出ると、そっとハインの額に手を当てた。
そして手をわずかに白く発光させる。これは透視魔術を応用した回復術師にとって必須スキルのひとつ、体内の異常を検知する診断魔術だ。
「中枢神経を麻痺させているようですね……でもこれならなんとかなるかも」
「何されるのですか?」
ナディアが尋ねるも、パーカース先生は何も返すことなく、呼吸を整えて精神を集中させる。そして「ふん!」と力を込め、今度は掌を強い緑色に発光させた。
「先生!」
ナディアだけでなくマリーナも仰天した。これは回復術師の代名詞と言える治療術だが、資格を有した魔術師でなければ行使の許されない高等技術なのだ。本来パーカース先生は教員であれど回復術師の資格は持っていない。この術を生きた人間に施したことがばれれば、魔術師としての資格を取り消されるほどの大問題になる。
だが先生の眼には一切の迷いが無かった。例え後でバレてもかまわない、とにかく目の前のハインを助けたい。そんな想いがひしひしと感じられ、少女たちは止めに入ることはできなかった。
やがてハインの濁った瞳に光が戻る。そして強く閉ざしていた口がわずかに動き、ついには自由に動かせるまでに戻っていった。
「みんな……ありがとう!」
術を施され、首を回したハインはいつものハイン・ぺスタロットだった。マリーナが「ハインさん!」と抱き着くと、照れ臭そうに優しく抱き返す。その傍らでただならぬ想いを感じたハーマニーはぽっと顔を赤らめながらも、小さく「おお!」と歓声を上げていた。
「さあ、ここは危険です。アルフレドさんも連れだして、早く逃げましょう」
ナディアに支えられていたゼファーソン氏が提案する。少女たちは「ええ」と頷いた。
「いや、ちょっと待ってほしい」
だがハインは大きく首を振った。ぽかんと口を開けたマリーナがようやく離れると同時に彼は立ち上がると、疑問に首を傾げる一行を見て言った。
「あとひとり、いっしょに連れ出したい人がいるんだ」
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