第十二章 その2 おっさん、試験に急ぐ

 突如発生した雑踏の中での魔動車事故に、道を行く人々も何だ何だと駆けつける。


「お嬢さん、大丈夫かい?」


 労働者風の男が魔動車のドアを開けた。そのおかげで、中で押しくら饅頭になっていた5人が一斉に「ぎゃああ」と叫びながら雪崩出てしまい、男はぎょっととびのいてしまった。


「え、ええ、ありがとう」


「さあ、こっちに」


 集まった群衆の中から眼鏡をかけた若い女が進み出て、座り込んでへろへろと目を回すナディアに手を伸ばす。


 その時だった。ふらつく頭を押さえていたハーマニーが、女の顔を見るなり叫んだのだ。


「そいつです! 一昨日、ハインさんを刺した女です!」


 ほとんど悲鳴に近いハーマニーの声に、目を丸くしたナディアが「へ!?」と手を引っ込める。


「ちっ!」


 女の顔が一瞬で歪んだ。そして間髪おかず、懐から取り出されたナイフがナディアに突き立てられる


 だがその刹那、すかさず手を伸ばしたマリーナが護身用魔術を放ち、女に直撃させる。


「えい!」


 ボフンという鈍い音とともに、吹き飛ばされる女の身体。これは周辺の空気を圧縮させ、相手の身体を弾き飛ばす魔術だ。


 だが女は空中で身を一回翻らせたかと思うと、そのまま何事も無かったかのように石畳の上に足から着地したのだった。


「な、なんだあの女!?」


 集まった通行人からも驚きの声が上がるが、彼女はそんな観衆などいないかのように、またしても懐から別の物を取り出したのだった。


 女が手にしていたのは小さな鉄球だった。魔術の訓練にも使われる、遠距離の敵を狙い撃つためのシンプルながら強力な武器。達人が使えば銃弾にも劣らない殺傷力を発揮する。


 一同がぎょっと目を見張る間もなく、手の上から放たれる鉄球。しかしすかさずマリーナが結界魔術を展開し、一塊になったハインたちは淡い緑の光に包まれた。


 だが魔動銃の一発にも匹敵する速度で放たれた鉄球は、マリーナの光の結界をぐにゃりと歪めると、そのまま多少減速したもののその壁を突き破ったのだった。


「危ない!」


 ハインの声に全員が頭を押さえて伏せる。おかげでほんのわずかな時間差で5人の頭上スレスレを鉄球が通り抜けたものの、停車した魔動車の車体にぶつかった鉄球はべきっと鈍い音とともに金属製のボディに深い穴を穿ったのだった。


 まだ半人前のマリーナであっても、弾丸が結界魔術を突破するのは並大抵のことではない。眼前の女の魔術の腕を周囲に知らしめるには、これだけで十分だった。


「ゼファーソン家の手下ね、もう諦めなさい、ゼファーソンさんはすべて白状したわ!」


 ナディアが息を切らしながらも強く言い放つ。だが女はしゃがんだハインをじっと見据えたまま、ゆっくりと首を横に振った。


「そんなまやかしには騙されません、主の口からの命令でなければ私は決して任務を諦めない」


「なんて意地っ張りなのでしょう、このハインさんは――」


「ハーマニー、だめ!」


 危うく話し出しそうになったハーマニーの口を、イヴが慌てて塞ぐ。


 ハインが現国王にとって双子の弟にあたるなんて事実、王国をも揺るがす一大秘匿事項だ。こんな所で大っぴらにされたら、もう試験どころではない。


「そこの女、手を挙げろ!」


 ようやく騒ぎを聞きつけた巡回中のふたりの兵士が駆けつけ、女の背後に立つと魔動銃を向ける。


 兵士の声に女がちらりと振り向くと、獣のような視線を彼らに送る。そして次の瞬間、女の姿がふっとかき消えたのだ。


「と、透明化魔術……うあ!」


 直後、それなりに離れた距離に立っていた兵士の手に持っていた魔動銃が空中に跳ね上がる。どうやら一瞬で間合いを詰めた女が蹴り上げたのだろう。


「皆さん急いでください!」


 その隙に、回復術師科の4人は魔動車に再び乗り込んでいた。ハーマニーはハイン他女子生徒の背中を押したり、集まった群集に道を譲ってもらうよう呼び掛けてサポートする。


「させるか!」


 もうひとりの兵士にも襲い掛かり魔動銃を奪った女は、透明化魔術を解除して強奪したばかりの銃を車に向ける。


「やめろ!」


 再び女の姿を見つけるなり、兵士たちがとびかかる。だが女は舞い上がる木の葉のように跳躍しながら彼らの手から逃れると、何が起こっているのかさっぱり状況を呑み込めていない人々の間を恐るべき速さですり抜けていったのだった。


 その間に車は発進し、唖然とする人々と倒木を残して学校へと向かったのだった。




「な、何者なの、あの人は!?」


 車の窓からどんどんと離れてゆく倒木を見ながら、ナディアが息を切らす。


「兵士を圧倒するなんて、普通じゃないわ」


 イヴも生まれて初めて命の危機を感じた経験に、ドキドキと今なお高鳴る胸を押さえる。


 透明化魔術は高位の魔術師の中でも本当に才能のある限られた者にしか使いこなせない。魔術師養成学園でも使いこなせるのは、現在獄中のフレイを始めほんの一握りだ。


「いや、もしかしたら……」


 マリーナが口に手を当て、神妙な面持ちで呟く。


「噂で聞いたことがあるわ、諜報活動や暗殺のために、特殊な訓練を受けた存在を公にされない部隊があるって。あくまで噂だと思ってたから本気で信じていなかったんだけど……」


「まさか、そんな特殊部隊まで出てきたの!?」


「すまない、僕のせいで……」


 ナディアの顔からさっと血の気が引き、ハインが重々しく俯く。


「弱気になっちゃだめ!」


 だがそんな沈み込む一同に、強く叱咤する者があった。次席のイヴ・セドリウスだ。


「あの事実を知った後も、ハインさんを守るって決めたのは私たちよ。で、ハインさんもそれに乗っかった。その時からみんな、こうなる可能性があるかもしれないってのはわかってた。そうでしょ!?」


 普段ひとりで滅多に口を開かない彼女が熱くが語りかけている。その姿に回復術師科1年の面々が黙り込む。


「私は逃れようのない難局に直面したとき、辛くて大変なことはいくらでもあった。でも絶対に後悔はしなかかった。何せ自分で決めたことだから。一度決めた決意を途中で自分から挫いてしまう方が、よっぽど後悔すると思っていたから。私は決めてるの、ここにいる全員で同じ試験を受けて同じ日に回復術師になるって。だからそのためなら、どんな苦難だって乗り越えてみせる!」


 しんと静まり返る車内。だがふっとハインが微笑むと、「みんな、ありがとう」とひとりひとりの顔を見回したのだった。


「そ、そうよね」


「ええ、みんなで合格しましょ、進級試験」


 つられてナディアとマリーナの表情も緩む。意外なイヴの一面を垣間見て、再びいつもの和やかな空気を取り戻しかけた、その時だった。魔動車の天井に、ずんと何か重い物が乗ったような音が車内に響いたのだ。


「え、何今の音?」


 嫌な予感が走る。まさか、そんなことは。あるわけないよね。


 だがそんな期待は軽く裏切られる。爆発のような破壊音とともに、金属製の屋根が吹き飛ぶ。砕け散った屋根の欠片が車内の4人に降り注ぎ、全員が叫びながら頭を押さえていた。


 そしてすっかり大穴が開き空の見えるようになった車の屋根。金属片の雨の中、ちらりと頭を上げたハインの見たものは、天井のわずかな足場に立って車内を見下ろす、例の女の不気味に眼鏡を光らせる姿だった。




 一方その頃、王城の王妃の私室には男のわめき声が響き渡っていた。


「王妃様、どうかお考え改めください!」


 巨大な柱に縛られ、手に魔封じの手枷をはめられていたのは年老いた男。そう、長年王の付き人を務めているゼファーソン氏だ。


 ここは王妃の認めた人物以外、立ち入ることはできない領域。国王でさえも入るには事前に王妃から許可を得る必要があり、彼の懸命な声も外には届かない。


 昨日、王妃にすべてを話した彼は勧められたお茶を一口飲むなり、意識を失うように眠り込んでしまった。気が付けば魔術を封じられた上で拘束されており、ハインの監視に当たらせていたメイドに監視の中止を命じたくてもどうしようもない状態にあったのだ。


「いい、ゼファーソンが抜け出さないようしっかり見張っててね」


「は、王妃様」


 付き人の少女に命じる王妃は、まるで瞳の中に氷でも詰まっているような視線でわめくゼファーソンを見遣る。そしてふっと、不気味に口角を上げたのだった。


「ふふふ、思いがけないビッグチャンスが巡ってきたわ。忌々しいこの王国も、ようやくおしまいね」

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