第十八章その5 帰るべきところ

 イソリの家に運ばれた俺たちはすぐさま温かい布団に寝かされ、出来立てのお粥を用意された。雑穀の混じったただの粥なのに、これほど美味しいと感じた食事は後にも先にも無い。


 ビバークで寒さをしのいだおかげか、俺と棟弥さんは至って健康体で大きな問題は無いようだ。


 一番心配されていた大門屋の店主は足先が軽い凍傷を起こしていたものの、すぐに治るそうだ。下手すれば切断の可能性もあっただけに、俺たちは心底ほっとした。


「いや、皆様には本当にご迷惑をおかけしました」


 布団に包まった大門屋の店主はしゅんと小さくなり、部屋に集まった部下やアイヌの猟師たち、それにイソリのコタンの人々全員にすっかり弱々しくなった顔を向けていた。


 コタンに運び込まれた彼は必死の看病を受け、イソリの調合した薬を飲み、さらにワカサギ料理まで振る舞われた。つまりはアイヌの人々のおかげで一命を取りとめることができたのだ。


 今まで和人という圧倒的有利な立場を利用し、横柄に振る舞っていたアイヌの人々に助けられたのがショックでもあり、自分には何故だか理解さえできない様子だった。


「気になさらないでください。困った人を助けるのは蝦夷の大地に生きる者として当然の務めです。まして命の危険が迫っているのなら」


 そんな店主にイソリは微笑みを向けながら、煎じたばかりの薬草茶を渡す。


 途端、店主は布団に顔を埋めた。


「私は本当に、あなたたちに今までひどいことをしてきた。そんな私に気をかけてくれる必要など無かったのに……!」




 その春、俺たちは大量に作ったアットゥシ織を松前の城下町まで運んだ後、全国から集まった商人たちに売りさばいた。


「さあさあ、アイヌの人々の生きる知恵の結晶、それがこのアットゥシだよ!」


 実物を見せると目利きの商人たちはすぐさまその頑強さに感心し、こちらの言い値通り麻と同等の価格で次々と購入した。中には来年以降の入荷も確保したいと、予約注文を入れる者もあった。


 当然、イソリのコタンからは和人の織物職人と同等の価格で買い取っている。今までとは考えられない量の米や物資に溢れ、コタンはちょっとしたお祭り騒ぎだった。


 潤ったのはイソリのコタンだけではない。


「さあ、厚岸のうま味をそのまま、皆さんの台所までお届けしますよ。干し牡蠣がき、干し牡蠣はいらんかね? さらにこの棒鱈ぼうだら、こちらもアイヌの漁師が命を懸けて冬の荒れる海で釣りあげた至高の逸品だ」


 大門屋の店主も俺たちのすぐ近くで店を出していた。


 アイヌの人々に助けられたのがよほど心に響いたのだろう、あれからというもの彼はアイヌからの買取額を大幅に引き上げたのだ。今まで大量の鮭を捕まえてわずかな米を得ていた漁師たちが見たこともないほどの米俵を受け取り、和人もアイヌも誰もが驚いた。


 それを見ていたアイヌの人々は自分たちも頑張ろうと仕事に精を出し、結果として厚岸は例年以上に多くの物資が集まり大いに賑わったのだった。おかげで他の商人にも適正な価格で商売を行うことのメリットが広がり、アイヌからの買い取り価格は次第に高騰、アイヌの人々の生活は向上したのだった。


 その場合本土に流通する昆布や鮭の値段が高騰するという問題も思い浮かんだが、今まで極端に安く買って高く売るという行為を繰り返していただけでそこまで値を上げなくても儲けは出るらしい。これに関して大門屋の店主に尋ねると、彼は「儲けの額は小さくなってしまいますが、アイヌも和人も皆喜ぶのなら良いではありませんか」と笑って返した。


 夏の収穫を目指して既に春のジャガイモ植えに着手していたカゲさんについてだが、同時にユリ根やハッカなど他の植物の栽培方法を確立したとして松前藩に認められ、さらなる長期の滞在が認められた。だが最終目標は蝦夷でも育つ米の栽培だ。これからさらに年数をかけて、じっくりと品種改良に努めるそうだ。


 米以外にも多くの作物を集め、蝦夷で栽培できないか確かめるそうだ。特に異国の寒冷地の作物があれば是非譲ってほしいと、長崎貿易に伝手のある俺はしつこく頼まれた。これは長崎の高砂たかさご屋さんに相談しないとな。


 そして初夏、アットゥシやら昆布やらを満載にした船に乗り、俺たちは八幡への帰途に就く。


 沿岸の町に寄港しては風を待ち、少しずつ日本海を南下するので行きに比べると時間はかかる。だが途中で蝦夷の産物を大量に売ることもできたので、敦賀つるがに着いた頃には出港時の倍以上の資産を計上していた。


 そしてほぼ1年ぶりに、俺たちは八幡の町に帰ってきたのだった。


 相変わらず大きな商人屋敷が軒を連ねる活気ある街並み。八幡堀には小舟が行き交い、荷揚げされたり積まれたりと港の男たちはひっきりなしに働いている。誰かが寄進でもしたのだろう、日牟禮八幡宮は修繕のために多くの宮大工が集まっていた。


 そう、これがいつもの八幡の風景だ。北国から長く待ち焦がれた、俺の第二の故郷。


 そして白石屋には今日も多くの客が出入りしている。煎餅を買いに近所の子供が、大量の反物を受け取りに呉服屋の店主が、伊吹山の艾(もぐさ)を求めに医師が。あらゆる年代、階層の人々がそれぞれ欲する商品を求め、この白石屋に集まっている。


「ただいま、帰ったよ!」


 お客さんたちの脇をすっと通り抜け、俺は暖簾のれんをくぐると同時に店内に声をかけた。


 慌ただしく走り回っていた店員たちの動きがピタリと止まる。が、数秒かけてゆっくり全員が表情を緩めると、「お帰りなさい、店主さん!」と声を揃えて俺を迎えてくれたのだった。


「サブさん、お帰りなさい」


 そして遅れて奥の座敷から現れる人影を見るなり、俺は長旅の疲れもすべて吹き飛んだようだった。


 久しぶりに見る湖春ちゃんはますます大人っぽく、綺麗になっていた。

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