第九章その2 大陸の秘薬

「これは烏犀角うさいかく、それにこちらは鹿茸ろくじょうではありませんか。他にもこんなに珍しい薬種が……」


 宗仁さんの頬は紅潮し、目は子供のように輝いていた。


「すごい、これだけあればあらゆる病に対して薬が作れます」


 俺たちは茶屋の一室を借りていた。権六さんの希望で、自分が渡したことを店の者に悟られないよう俺は宗仁さんに直接薬種を渡したのだ。


「ええ、そこで宗仁さんにお願いがあるのですが」


「店主さんのことですね」


 何も言うまでもなく、彼は俺の意図を読み取る。


「店主さんが日々衰えておられるのは誰の目にも明らかです。この薬を全て使っても病の完治は不可能でしょう……私にできるのはただ死期を少しでも伸ばすだけ、それでもよろしいですか?」


「もちろんです」


 俺は頷いた。現代医学をもってしても人の生き死にはどうにもならないのだ。この時代に余命を延ばせる薬を作れるだけでも奇跡だと思う。


「理解しております。ですが今、光琳さんが最高の日野椀を作っています。せめてそれが完成したのを見届けられればと」


「わかりました。私もあらゆる手段を尽くしますよ」


 宗仁さんも頷き返した。


 おそらくは店主さんにとって、光琳さんの日野椀が最期の仕事になる。心残りなく臨終を迎えられるよう、俺たちも奔走するしかない。


「ところで店主さんの容態は?」


「かなり無理をしておられたのでしょう。日野から帰って来られてから、すっかり床に伏してしまわれました。一人では起き上がることすらできないので、他人の手を借りて歩くのがやっとです」


「そうですか……」


「湖春ちゃんも付きっきりで傍にいます。気丈に振る舞ってはいますが……本心ではいつでも泣き出したいと思っているでしょうね」


 あの娘は喜怒哀楽は激しいけれど、他人に弱みを見せることは無いからな。


「店主さんもですが、湖春ちゃんも心配です。様子を見てきますね」


 俺はそう言うと茶屋を出て、白石屋に向かった。




「あら、おかえりなさい」


 手代たちが商品を運んでいるのに混じり、葛さんが俺を見かけるなり声をかけた。


「ただいま戻りました。あの……」


「良くはなっていませんわ」


 俺の聞きたいことに葛さんは直球で返す。


 だが下手に言葉を濁してもらうよりも俺にはむしろありがたかった。淡い期待をもちながら実際に弱りきった店主さんの姿を目の前にして取り乱すよりは。


「湖春さんもここ数日ほとんど寝ていません。旦那様の隣に布団を敷いても、朝まで一睡もできないままのようです」


 本当に父を慕っているのだなぁ。


 以前、湖春ちゃんは幼い頃に母親を亡くしたと聞いている。残された店主さんは懸命に一人娘を育て、その結果明朗快活な子へと成長した。


 湖春ちゃんにとって店主さんは厳しさを教える父親であり慈愛に溢れた母親でもあるのだ。そんな人を失った時、まだ子供の彼女はどうなるのだろう。


「店主さん、ただいま戻りました」


 俺は寝室となっている奥の座敷に顔を見せる。


「サブさん、おかえりなさい」


 すぐさま弱々しい湖春ちゃんの声が返ってきた。寝かされた店主さんのすぐ隣に座る彼女の目の下は、真黒なクマで縁取られていた。


「湖春ちゃん……看病ありがとうね」


 すぐ休めと言いたかったが、彼女を一目見ればそう言う気も失せてしまった。


「サブさん……光琳さんは……いかがですかな?」


 さらに弱々しく尋ねたのは店主さんだ。息切れも激しく、言葉ひとつひとつに命を削がれているようだ。


「順調ですよ、今のところは。誠蔵さんとも協力してより良い物を作っておられます」


「それは安心です……これで心置きなく逝けますね」


「お父ちゃん、嫌な冗談はやめてよね。しばらくのんびりしていたらすぐ治るから、ね?」


 湖春ちゃんが泣き出しそうな顔で父親の頬にそっと手を添えた。


「そうですよ、今宗仁さんが新しい薬を調合されています。今までよりも効きの良いのをね。きっと店主さんの容態も快方に向かいますよ」


 そんな時だった。葛さんが「お客様です」と部屋に上がり込んできたのだ。


「どちら様ですか?」


「ええ、川辺屋の店主さんです」


 俺は身構えた。こんな時に一体、何の用だろう?


「いやいや、最近痩せてきておられたと思っておりましたが、まさか病に伏せておられたとは」


 座敷に上がってきた川辺屋の店主は慌てふためきながらその太った身体を揺らした。


 そして弱りきった店主さんをみるなり、「おお」と嘆きながら大げさなアクションを取るのだった。どこまでが本気なのだろう。


「なんと嘆かわしい、私のかかりつけの医者に腕の良い者がおりますので、すぐに呼び寄せましょう、あの者ならすぐに治してくれます。なあに昔からのよしみではありませんか、気になさらず」


 なるほど史実ではこうやって病身の店主に言い寄って頼り甲斐を見せ、店の信頼を一気に集めたのだろう。そして店主亡き後はこの店の資産を根こそぎ奪っていったと。


 だが今は宗仁さんもいれば資産もある。この男に頼らずともやっていける。


「ご厚意はありがたいですが、もう既に医者には診てもらっていますので」


 俺が返すと、川辺屋の店主は一瞬こちらに蛇のような目を向けた。だがすぐにいつもの愛嬌ある顔に戻り、またも大げさに話すのだった。


「そんな、この町一番の医者なのに。それを断られるなんて」


「彼の腕は確かです。鍼灸に生薬にあらゆる知識をお持ちで。実際にうちの艾もその方がいないと作れなかったものですので」


 川辺屋のこめかみがぴくんと脈打った。提案を断り続けられ、いよいよ我慢の限界が近付いているようだ。


「そんな、白石屋さんはこれほど弱っておられるではありませんか。あなた方はどこかの馬の骨に騙されておられる」


「そんな言い方はないんじゃない?」


 ずっと黙っていた湖春ちゃんの一言に川辺屋の店主ははっと口を開いた。


 この店に取り入るためにやって来たのに、隠していた本心が漏れ出てしまったのに今さら気付いたようだ。


「宗仁さんは世間の関心や名誉にとらわれず、ただ医の道を究めんとしているだけです。あの方ならば店主さんあらゆる病も癒してくれましょう」


 さらに俺がフォローする。川辺屋は言い返す言葉もなく、ただ震えるだけだった。


「サブさん、買いかぶりすぎですよ」


 その時、がらりと襖が開けられる。宗仁さんが入ってきたのだ。


「できましたよ、新しい薬です。珍しい材料を使ってみたので今まで見られなかった効果が現れると思いますよ」


 彼は権六さんからもらった大陸の薬種で、早速薬を作ってくれたようだ。


 俺たちは店主さんの上体を起こし、ぬるいお湯を用意する。


「その薬が効けば良いのですがなぁ。長話はお疲れでしょう、それでは失礼いたしました」


 居心地が悪くなったためか、川辺屋の店主はそそくさと帰って行った。


「サブさん、湖春ちゃん、ありがとうございます」


 一回分ずつに細かく分けた薬紙を取り出しながら、宗仁さんは俺たちに頭を下げた。


「何をですか?」


「私のような素性もわからぬ者を頼ってくださること、心から感謝しています」


「そんな、医者としてひたむきに振る舞う宗仁さんを見て、信用するなと言う方が無理ではありませんか」


 俺と湖春ちゃんは「ねえ!」と顔を見合わせた。


 宗仁さんはふっと笑う。そしてできたばかりの粉薬を店主に飲ませた。


 途端、店主さんはげほげほと咳き込み布団にぶちまけてしまった、宗仁さんは痩せて骨ばった背中をさすった。


「飲みづらいでしょうが、ご勘弁ください。他に身体を癒す薬はありませんので」


 宗仁さんが別の薬を渡すと、店主は覚悟を決めたようにそれを喉に流し込んだ。


 今度は咳き込まず、顔をしかめながらもこぼさずに飲み込んだ。


 しばらく横になっていると、あんなに白かった店主さんの顔が徐々に赤みを取り戻し、生き生きとしはじめる。薬の効果が早速出てきたようだ。


「ふう、なんだか楽になった気がしますよ。ありがとうございます」


 俺たちもほっと一息吐く。宗仁さんもこの薬の調合は初めてだったようで、安堵の笑みを浮かべていた。


「湖春、お前もずっと私の傍にいて疲れただろう。今日はもう気にせず休みなさい」


 店主さんが湖春ちゃんの手にそっと手を乗せて言う。


 湖春ちゃんは「でもお父ちゃん」と返すが、店主さんは優しく首を振った。


「心配するな、宗仁さんもいるし、今日はサブさんもいる。お前が傍にいてくれるのは嬉しいが、眠りもせずにいられると心配で余計に身体が悪くなりそうだ」


 湖春ちゃんには不服に思えたようだが、しばらくして「そう……じゃあお父ちゃんをよろしくね」と言い残して立ち上がると部屋を出て行ったのだった。


 娘の足音が聞こえなくなり、部屋には男三人が残される。


「宗仁さん、おひとつお聞かせ願いたいのですが、私はあとどれくらい持ちますかね?」


 不意に店主さんは尋ねた。湖春ちゃんには聞かせたくない話、それを感じ取ったのか宗仁さんは正直に答えた。


「持って一週間。薬を使えばさらに2、3日は」


「そうですか……それまでにこの店のことをまとめないといけないのですね」


 店主さんはぷるぷると震える腕を伸ばし、部屋の隅を指差す。


「サブさん、そこの床の間ですが、実は床板が外せるようになっています。お調べください」


 俺は首を傾げながらも言われた通りの場所を調べる。


 確かに、床の間の一部の床が外れるようになっており、その中には小さな木箱が入っていた。


 その木箱もさらに開けると、折りたたまれた書状のようなものが入っていた。


「読んでください」


 店主さんの言葉に俺はただただ従った。紙を広げ、それを俺と横から宗仁さんも覗き込む。


「ええと、私白石屋は病に伏せており……」


 どうやら店主直筆の書のようだ。以前から死期が近いと悟っていた店主さんの、いわば遺書だった。


「この店の権利を我が娘湖春にすべて譲ると同時に、この店の番頭として伊吹栄三郎殿を抜擢する……え、番頭!?」


 目玉が飛び出たかと思った。何度も同じ部分を読み返すが、内容は毎度同じ。


 伊吹栄三郎を白石屋の番頭に置く。この店の家族ではない者としては、最高のポストに置くという文書だった。

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