5 気にかかる白き存在

5-1 雪豹の白い舞


「おはようございます」

「配達ごくろうさま」

 朝、外でそんな声がして、トリコさんが牛乳箱の蓋を開けて、中から牛乳の瓶を取り出して抱えるのが見えた。

 ああ、牛乳は白いな。白、うう、白かったな。白勝った。


 台所では、紗雪がてのひらに豆腐をのせて今まさに包丁で賽の目切りにして、御御御付に入れようとしていて。

 う、なんだか、まぶしいぞ。豆腐も白い……。あの真白き肌のようで。

「だいじょぶ、夏音? まだ引きずってんのぉ?」って、紗雪が八の字眉毛で聞く。


 ああ、春季大会が終わった。優勝したのは自由が丘陽光高校だ。負けた。

 いや、ナットクの出来だった。あの舞が脳裏にちらついて、何度も夢に出てくるくらいに。

 ライバルだなんて、とんでもない。俺は確実にあの踊りに惚れたのだ。

 別にあの男に惚れたわけではないが、心奪われたのは否定しない。



 正直、俺たちの踊りも悪くなかったと思う。

「原釜大漁祝い唄」は、豪快な漁を全身で表現できていたし、「シャンシャン馬道中唄」は、静かな中にも山を登る決意をした花嫁の道中を描けていた。

 だが、上手く踊れていただけでは、まだまだ物足りない。大事な核となる炎のようなものが詰め込めていない。


 自由が丘の舞は、ただただ凄い空気感で美しかった。

 終わったあと、思わず盛大な拍手を送ってしまった。会場も割れんばかりの歓声に包まれた。

 ミンゴが見終わって羽を広げた。美しいものに反応して、対抗したみたいに。

 あんなに静かな舞なのに、何故こうも心が鷲掴みにされたのだろう。


 演目は二つあったが、圧巻だったのは「よへほ節」(*9)だった。

 振りつけはとてもシンプルだ。手の甲同士を近づけて、くるりと一回りする。「よ・へ・ほ」に合わせて、手のひらを祈るように胸の前で合わせる。ほんの少し体を傾けただけで、その斜めの具合に吸い寄せられる。


 哀愁を帯びた密やかな踊りなんだ。夏の宵に現れる蛍のように。

 熊本の祭りでは、千人もの女性が頭に灯籠とうろうを載せて踊るらしい。彼らの舞台では灯籠はないので、笠であったが。

 

 ゆったりとした美しい「よーへーほー」の響きは、熊本弁の「酔え(へ)、ほー」からきたという説がある。

「ほー」は人に対して、何かをうながす言葉。お酒を勧めるお座敷唄が元らしい。それで、あの色香が残っているのかもしれない。


「袖にほんのり湯の花も香る

 町は灯の海 人の波」 


 灯りはまるで夜のゆらぎ、蛍にたとえる

 回る時にきらきら光りが揺れて、せつなくなる



 雪豹司ゆきひょうつかさ

 彼の女踊りがあまりに美しくて、口をぽかーんと開けたまま見入ってしまった。そこらにいる女よりも色っぽかったな。


 まるで春の花散る夕暮れに、ついと現れた最後の雪の欠片のよう。気紛れに現れた妖精のような舞。

 昨年も雪豹はいたはずなのだが、きれいな顔立ちの奴がいるくらいの印象だった。だが今年はもう、昨年とは比べ物にならないくらいの存在になっていた。


 ふと体の前に差し出した指先の白さ、軽やかさ、柔らかさ。目を閉じても「白」がちらちら残像のように浮かんでくる。

 そうだ、昨年とは重さがちがう。何だろう、何を身につけたんだ、彼は。


 あの流し目が俺の心を乱す。視線の先は、ずっと空中に線がたなびいて、それはいつしか螺旋となり、俺を、観客全てを包んで回し続けた。


 こんな踊りがあってもいいのだろうか。白い糸で絡めとられるような心地。

 だめだ、だめだ、自分の踊りができなくなる。

 

 そして何処かしら、雪豹は、銀色兄さんを思い起こさせた。

 一片の氷柱つららのように尖った、あの銀色の髪の刺さるような、覚悟を決めた者の迫力が、あの男からも感ぜられたのだ。




<民謡ひとこと講座>

*9「よへほ節」 熊本県山鹿市の民謡

   若い女性千人が頭に灯籠を載せて踊る「山鹿灯籠踊り」の際にも歌われる曲。

   現在歌われている歌詞は、野口雨情によって改作された風情あるもの。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る