第3話 危険からは逃げよう

 ずっとこの辺りを探検するわけにもいかないので、見える範囲の様子を調べてみることにした。

 滝壺の向こうはまばらに木の生えた林になっていて、足元はごつごつした岩場だ。

 夫は珍しそうにあたりを見回している。

 魔物図鑑によると、こうした林や森の中で見られるのは、虫っぽいものや鳥や小動物系など、比較的小さい魔物が多いようだ。

 稀にアリジゴクのような魔物もいるので、足元に気をつけながら歩く。開けた滝壺のまわりから一歩、林の中に分け入った、その時!


「きゃっ」


 美香が小さな悲鳴を上げた。木の上からスルスルと降りてきた蔓が、美香の右手に巻き付いて引っ張ったのだ。思わずスコップを取り落としてしまった。


「美香ちゃん!ああ、なんだ、それは。大丈夫?」


「痛っ、パパ、殺虫剤をこの蔓にかけてみて」


 美香の手を引っ張っている蔓に向かって殺虫剤を振りかける夫。幾分反応が鈍ったようだが、相変わらず蔓は美香を離さない。上を見ると、まだ何本もの蔓が蠢いて、下の様子を見ているようだ。

 夫の方に2本、美香にはさらに3本の蔓が降りてきた。


「ママ、大丈夫だからね」


 夫は美香が落としたスコップを拾うと、手に巻き付いている蔓の上の方を、スコップで思いっきりぐ。スコップは蔓を引っ掛けたまま側の木の幹に当たり、ちぎれて上にはじけ飛んだ。降りてこようとしていた蔓が、戸惑うように揺れている。

 その隙に夫は美香の手を引いて、林の外へ転がり出た。


「ママ、大丈夫?」


「ええ……どうやらすこし血を吸われたみたい」


 美香は手に残った蔓を引き剥がしながら言った。ツルは美香の手首に食い込み、管を伸ばして血を吸っていたようだ。

 幸い、蔓は林の外までは追ってこなかった。

 怪我も少し血が出ている程度でたいしたことはない。美香は夫に見張りを頼み、リュックの中から魔物図鑑を取り出して調べることにした。


「ああ、あったわ。これ!吸血葛きゅうけつかずら。そのまんまのネーミングねえ」


 森の中に根を生やし、大きな木の上の方に巻き付き獲物が通るのを待ち、下を通る獲物に巻き付き、体液を吸って養分にする。

 根からも栄養分を吸収するほか、一年中緑の葉を茂らせて光合成も行う為、獲物が通らなくても枯れることはない。

 魔物、動物の区別なく動くものをとらえる。

 根を生やしているところから動くことはなく、行動範囲は狭い。


「ねえ、ママ?危険だから早く戻ろうよ」


「ううん、ここに書いてあるんだけど……」


 吸血葛の生息する森には魔物や危険な動物が少ない。森の中で安寧に暮らしているのは、蝶型の魔物リーフモスぐらいである。リーフモスについては43ページを参照のこと。


「つまり、この森は比較的魔物が少なくて、中に入りさえしなければ安心って事よ」


「へえ……ママ、この本の字って見たことないけど、読めるの?」


「ふふ、勉強したのよ」


 自慢げに胸を反らしてどや顔をする美香、そしてそれを見て嬉しそうに微笑む夫だった。


「この林に入るのは当分やめにして、花ちゃんに会いに行きましょうか!」


「うん、あ、ちょっと待って!」


 夫が滝壺を見て声をあげた。


「この滝壺の中、すごくたくさん魚がいるね……釣りをしたら楽しそうだなあ」


 見れば透明な水底に蠢くいくつもの青黒い影。何十匹いるのか分からないが、皆同じ種類のようだ。


「こんなにいたら、網でもすくえるんじゃない?」


「ああ、ほんとだ」


 夫が無造作に滝壺のなかに網を突っ込んだ。

 ……ら……牙の鋭い魚がアルミ製の柄に喰らいついてきたんだが。


「ひぃっ、みみみ美香ちゃん、ここここれ、本当にただの魚かな?」

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